敗北の味
ふわりとした浮遊感を感じる。今僕は立っているのだろうか、それとも寝ているのだろうか。上も下も分からない、ただ暗闇の中を落ちてゆく感覚。
僕は死んだんだろうか、ぼんやりと意識で考える。
ゴルドックさんは無事だろうか、クレアちゃんは逃げれたのだろうか。それにエレさんも……そこで思考は止まる。
何も出来なかったな……まだ何も返せていないのに。
視界はぼやけ、無意識に目からは熱いものが流れる。それを拭うため、腕を動かそうとするも体には力が入らず、ただひたすらに落ちてゆく。
しかしそれは唐突に終わりを告げる、ある瞬間に落ちる感覚は無くなり、何処かに足がつく。それと同時に、何処からともなく声が聞こえてくる。
「——て!」
その声は遠く、何を言っているのかは聞き取れない。でもその声色は、何か縋るような必死さを感じる。まるで誰かに助けを求めるような……
「——、——て!」
声は少しずつ近づいてくるが、その声を拾い上げることはできない。
僕はその声に手を伸ばそうと、力を込める。
まだ届かない、でもいつか必ず……
そこで再び意識は途絶えた、さっきまでの浮遊感は無くなり、代わりに顔に何か生暖かいものを感じる。まるで何かに舐められてるかのような……
目を開けると待ち構えていたのは、大きな獣の顔。僕はその顔には見覚えがあった。
「ハル……ティ?」
僕は困惑しながらも、目の前の大きな狼に声をかける。ハルティは、その声に対して低く唸ると、満足した顔でスッと飛び降りて何処かへと行ってしまう。
口の中はうっすらと血の味がした。
その後ドタドタと勢いよく走る音が聞こえ、バタンと勢いよくは扉がかけられる。
「よかった! 目が覚めたんだ」
クレアちゃんは僕を見ると、瞳を潤ましながら安心した顔をこちらに向ける。
そっか、僕は助かったのか……
周囲を見渡すと、何処か見覚えのある造りの部屋となっており、ここがゴルドックさんの家なのだと理解する。
「そうだ、エレさん……エレさんはどうなったんだ!」
僕は慌てて飛び起きようとするも、全身に痛みが走りうまく起き上がれない。
「起きたばかりで無理をするでない、3日も眠ってあったのじゃぞ」
「ゴルドックさん、無事だったんですね!」
「おお、無事じゃともピンピンしとる。まあ少し厄介な事になったがの……」
ゴルドックさんは貫かれたであろうお腹の部分を撫で、コツリ、コツリと杖をつきながら此方にゆっくりと近づいてくる。
「ゴルドックさん……その手は……」
ゴルドックさんの右手の部分はあざのようなものが広がっており、見ていて痛々しい状態となっていた。
「呪いじゃよ、今のワシは魔法は満足に使えん状態になってしもうた。どうやらあの時受けた魔法が良くなかったようでの」
「そんな……」
「じゃが、命には別状はない。元々魔法なぞパンを焼く時に使っておったぐらいじゃから、気にすることはない」
ゴルドックさんはそう言うと、僕の頭をそっと撫でる。その手は温かく、ゴルドックさんが生きいているのだと実感する。
よかった、本当に。
ゴルドックさんが地に落とされた時は、死んでしまったじゃないかと気が気でなかった。
「エレさんは、どうなったんですか……」
クレアちゃんの顔も見え、ゴルドックさんの無事も確認できた。となれば気になるのはエレさんの安否だ。僕は震える手を押さえながら、ゴルドックさんに尋ねる。
「エレノアは……連れ去られてしもうた。ワシが目覚めた時には、あやつらの姿は何処にも残っておらんかった」
「そう、ですか……」
「連れ戻したい気持ちは山々なんじゃが、今のワシはそこらの老人と変わらん。心苦しいが、ワシらにはどうすることも……」
その言葉を聞いて、全身が焼かれるような錯覚に陥る。エレさんを見捨てるだって、そんなの出来る訳ないだろ!
顔が熱くなり、体が強張る。僕の気持ちは既に決まっていた。
「僕が行きます、僕がエレさんを助けに」
「じゃが……お主ではあやつらに勝つどころか、たどり着くかも怪しいんじゃぞ」
「分かってます! 大した魔法を使うこともできない、知識もない、無力な僕に出来ることなんて限られてることは!」
「じゃったら……」
「それでも、僕は恩人であるエレさんを助けたい! 助けないといけないんだ」
僕は悲鳴をあげ、制止する体を無視して立ち上がる。それを心配そうに、クレアちゃんが横から支えてくれる。
僕に出来ることなんて、何も何もないかもしれない。それでも、何もしない訳にはいかない。
「それに、その口ぶりから察するに分かってるんでしょ、エレさんの居場所」
ゴルドックさんは僕を見定めるように見つめる、その見透かすような瞳に僕は思わず怯んでしまいそうになるが、それを堪え睨み返す。
数秒、いや数分は経過しただろうか、僕はゴルドックさんの目から逸らすことなく、睨みつける。
遂には、それに痺れを切らしたかのように、ゴルドックさんが大きくため息をついた。
「……若いの、若すぎる。若さは時に勇気と蛮勇を履き違える。じゃがの、蛮勇も貫き通せば信念となり本物となる。……ついてきなさい」
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