黒き雨

「爺さん、お前の相手は俺がさせてもらおうか」


 フードの男はゴルドックさんの前に立ち塞がり、魔力を練り上げ戦闘の意志を見せる。男の周辺には小さな魚の形をした魔精が、いくつも飛び跳ねては空に水紋を作っている。


「ほっほっほ、お主が何者かは知らんが邪魔せんで貰えんかの」


「邪魔なのはお前の方だろうが。俺たちはそこのお嬢さんを連れて行きたいだけだぜ」


 そう言うと男の視線は、エレさんへと向けられる。


 こいつらの目的は一体何だ、なぜエレさんを狙うんだ。僕は、エレさんについて余りにも知らなさすぎる。何も出来ない歯痒さから無意識に、拳を握る力が強くなる。


「彼方は放っておいて、此方は兄妹仲良く戦いましょうか! まあ、自身の魔法の本質を理解していない貴方に負ける気はありませんが」


「魔法の本質だと? どう言うことだ」


「ふっふっふ、それは秘密です。貴方がついて来てくれるなら話してあげますとも」


 彼らはお互いに魔法をぶつけ合う。しかし、シェダーの灰の魔法の手数の多さにに、エレさんは防戦一方となってしまっている。


「そろそろ終わらせるぞ、あれをやる!」


 フードの男の大声が響き渡る。男の背後ではコイの様な魔精が大きく跳ね上がり、大きな水飛沫を上げる。


「ちょちょ、待ってください! まだ準備整ってないですってぇ」


「うるせえ……沈め、黒雨」


 男がそう告げると、空に大きな雲が発生する。それは徐々に広がっていき、すぐに空一面を覆い隠してしまった。日が隠れ、辺りが少し薄暗くなる。


「天候操作じゃと……させん!」


 ゴルドックさんはそれに対抗するかの様に、周囲に漂っていた炎を一つに纏める。そして、パクリと傍にいた巨大なトカゲの形をした魔精がその炎を食べた。それと同時に、その魔精はスッと姿を消し、その場には巨大な火の球が形成される。

 それはまるで太陽の様で、轟々と燃え盛りながら少しずつ大きくなっていき、それが男の元へと放たれる。


 ——閃光。

 ゴルドックさんの放った火の球は、確実に男にぶつかり凄まじい爆発と共に辺りに熱を撒き散らす。


 なんて威力だ、煙でどうなったのか全然分からない。でも、流石にあれを食らって無傷でいられるはずがない。


 しかし、そんな希望的観測を嘲笑うかの様に、煙の中から男の声が聞こえてくる。


「すげぇ炎だったぜ、俺じゃなきゃ焼け死んでた!でも……残念だな爺さん、俺に炎は効かないねぇよ」


 フードが焼け落ち、男の顔が晒される。短く逆立った髪に鋭い目つき、そして何より特徴的だったのはその頭に備え付けられた獅子の様な耳であった。


「楽しませて貰ったお礼だ、今度は俺の魔法を味わってくれや!」


 男がそう言うや否や、雲からは黒い雨が滝の様に降り始める。普段見る雨とは違い、その雨はまるで墨汁の様に真っ黒だ。


「——っ! これは、クレア! ノワ君!」


 黒い雨が身体に触れるたびに、少しずつ自身の体が重くなっていくのを感じる。服が濡れて重くなるのとは、訳が違う。

 ミシミシと骨が軋む音が聞こえてくる。もう立っていることは出来なかった。


 僕は地面に這いつくばり、空を見上げる。エレさんもゴルドックさんも以前空に浮いているが、その姿は苦しげだ。


「俺の魔法を食らってまだ立ってれるとは流石だな、でもそんな体じゃもう俺には勝てないぜ」


 男はゴルドックさんに凄まじい速度で接近すると、至近距離で水の球を放つ。それはまるで弾丸の様に、ゴルドックさんの体を貫いた。


「ゴフッ……、なぜワシの魔法が……」


「相性が悪かったな、まあ少しひやっとしたぜ。それじゃあまあ、ジジイは床で寝ときな」


 口から血を吐き、腹を押さえるゴルドックさんを躊躇なく、男は地面に叩き落とした。


「師匠っ!」


「おやおや、よそ見をしていて良いんですかぁ」


 シェダーは、エレさんがゴルドックさんの方を振り返った隙を逃さなかった。どうやら男の魔法はシェダーにも効いている様で、少し動きは重い様だがそれはエレさんも同じことだ。

 急いで迎撃の態勢を整えようとするが、もうその時には遅かった。シェダーが放った大量の灰の波に、彼女の姿は飲み込まれていく。


「ノワ君……」


 彼女の声が微かに聞こえた気がする。

 しかし、僕ももう限界であった。体は地面に磔にされ、内臓が締め付けられる。もう目を開けているのも辛い状態だった。


「目的は果たした、行くぞ」


「彼らはどうします? 放っておくと面倒かもですよぉ」


「既に43分22秒の遅れが出ている。そんな塵どもに構ってる暇はねぇよ、俺の魔法を食らったんだ放っておいても死ぬだろ。さっさと付いてこい」


 薄れゆく意識の中で、シェダー達が何やら話しているのが聞こえる。ああ……悔しいな、何も出来なかった。

 僕は無力感に打ちひしがれながら、そこで意識を手放した。

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