ヒトのかたち


 吐きそうだ、体は熱に侵されじわりと汗が染み出してくる。視界は回り、今立っているのか座っているのかも分からない。


 今、僕は唯一残されていた逃げ道を失った。見えるはずの光は消え、僕達は未だに暗い路地に佇んでいる。


 自身の体力や相手との距離を考えても、再び逃げる事は厳しいだろう。絶望し、心が折れそうなところを横にいる怯えたクレアちゃんを見て、何とか堪える。


(僕がなんとかしないと! でも……どうやって)


 目の前でニヤニヤと笑いながら此方を吟味しているようだ。


「まだ諦めてないようですねぇ。でももう諦めたらどうですか? 貴方を殺すつもりはありませんし、大人しく後ろのお嬢さんだけ渡してくれませんか?」


「はぁはぁ、渡すわけ……ないだろ!」


「わぁお!かっこいいですねぇ、素敵ですねぇ。でもそろそろ面倒です。随分と予定時間を過ぎてしまいましたし、そろそろ終わらせましょうか」


 そう言うと男の背後には再び黒い蛾が集まり始める。いや、背後だけじゃない僕達の後ろや壁、空すらも黒で覆い尽くされていく。


 もう逃げる場所なんて無かった、黒はジリジリと僕達以外の空間を蝕んでいく。

 クレアちゃんは僕の服の裾をぎゅっと握り、泣いていた。彼女にこれが見えてなくて良かった、こんな悍ましい光景見ない方がいい。


(流石に多すぎる! これじゃあクレアちゃんを庇いきれない)


 僕は見えるだけで、この状況を打開する手段を持ち得ない。それなら、いっその事こと見えてない方が良かった。


「それじゃあフィナーレです! 散りゆく彼女の姿を見ながら、絶望した顔を晒してください!」


 黒い蛾はまるで波のように迫ってくる。少しでも庇えるように、僕はクレアちゃんに覆いかぶさる。

 もう無理だ、あんなの防げっこない。僕は絶望して、目を閉じようとした———その時。



 目の前にまで来ていた、黒の波は空から放たれた七色の蝶の群れとぶつかり消滅する。


「おいおい、街の様子が変だから見にしてみれば……随分と私の可愛い友達たちを虐めてくれたようだね」


 空を見上げると、マントをたなびかせ、杖を構えたエレさんが悠然と宙に佇んでいた。


「待たせたね! 助けに来たよ、ノワ君」


 絶望から希望へ、これほど心強い言葉を聞いたのは生まれて初めてだ。アニメのヒーローがよく言いそうなセリフだが、言われる立場になるとこんなにも頼もしいのか。


「ああっ、ああ! 探しましたよぉ、エレノア! 貴方の方から出向いてくれるとは好都合です」


「——っ!その声、その姿は……なんで? なんで生きているんだ!」


「そうです貴方の愛しのお兄ちゃんですよぉ! 随分と探しました、ここに来るまでいくつ街を回ったことか」


 それを聞いて僕は驚愕する。兄だって?あの時エレさんと同じ名前を名乗ったのはそう言う事だったのか。

 しかし、二人の姿はあまりにも対極的だ。エレさんのイメージは泰然たる姿で、のどやかなものに対して、兄を名乗ったのシェダーは狂気的で荒々しい。


 それに魔法だって、エレさんは色彩を与える魔法なのに対して、アイツは全てを灰にする。正反対と言っても過言ではない。


「そんなはずは……、兄さんはあの時死んだ、いや殺したはずなのに!」


「ふっふっふ、そうですねぇ。可愛い可愛いエレノアに会うために地獄から舞い戻ってきました。ですので、抵抗せず付いてきてくれると嬉しいのですが……」


「 そう易々とついて行く訳がないだろ。前が本当は何者なのか知らなないが、私にそう簡単に勝てるとでも?」


「勿論思ってませんとも。私の魔法とも相性最悪ですから……ですので此方も奥の手を使わせて頂きます」


 シェダーはそう言うと、杖を構えて魔力を練り始める。それに呼応するかのように、彼方此方からワラワラと湧き出す。


「させるか! いでよ大火球」


 エレさんはシェダーの行動を止めるべく、巨大な火の球を自身の頭上に出現させ、それをシェダーに向けて放った。


 しかし、その球はシェダーには当たる事はなく、その手前で黒い壁に遮られる。


「手荒い歓迎ですねぇ、、お兄ちゃんは悲しいですよ。それに時間も迫ってきました、これで終わらせましょう」



 彼はそう言うと、杖を指揮棒のように降り始める。それに合わせて、ビュウビュウと細い路地に風の音が鳴り響く。先程のように、黒い蛾が群れを成すわけでもない。しかし、言いようのない寒気がノワールを襲う。


 風は止む事を知らず、徐々に強くなり始める。視界が悪い、大通りにあった灰が大量に路地へと舞い込んでくる。


「——っ、何をするつもりだ!」


「ふふっ、準備は整いました! 生まれなさい灰の巨人」


 彼がそう言うと、その後ろに灰が意志を持つかのように集まり始める。それは徐々に、人の形を成していく。

 しかし、それは唯の人型ではない。体のあちこちから、人の顔や腕、足が生えており、まるで人を寄せ集めて使ったかのような悍ましい姿をしている。


「ああっ!やはりこの魔法は格別ですね。人として生きたいと言う意志が、ありありと感じれます」


 僕は言葉を失った。

 それってつまりあの大通りにあったのは、人だったもの。加えて、灰にされても意識が残ってるとでも言うのか。


「これはちょっとキツイかもね……」


 灰の巨人は僕達を見下ろす。僕達の危機はまだ終わりそうにない。

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