第7話

 雲の地平線を見ていた。

 非在の象徴といわれている。

 あるいは、新しき、迎えるべき何か。

 押し寄せる白いさざなみがぼやけていた。

 雲は雲だ。

 ただの自然現象なのだ、それ以上でも以下でもない。

 それよりも、空の上にいるのだろうか?

 だとすると、看過すべきでない問題がある。

 俺は高いところが苦手なのだ。

 魂だけ、ここにいる。

 打ち寄せる海岸線を歩いてはいるが、空っぽの宇宙空間を漂う感覚。

 無音の音楽ではあるが、横溢している肌触り。

 かなえられなかった想いが、切れ切れに走る。

 それは誰の歌った歌だろうか?


 寝息が聞こえる。

 規則正しく、安心しきっていて、穏やかな眠り。

 すぐ隣に、裸の見知らぬ女が、向かい合って寝そべっている。

 艶やかなまつげが健康的で美しいと思った。

 豊かなプロポーションは惜しげもなく、金木犀の香りがする。

 見事な右のバストについている、アスタリスクのようなほくろが印象的だった。

 彼女は、そこにいるようでいないように思えてしまうのだった。

 ボディだけが居抜きの型として、そこに留まり続けるゴーストボディというのがある。

 量子場の特異点らしいのだが、オカルトじみていて、哲学ゾンビのようにふるまうのも目撃されたといううわさが上がっているほどだ。

 わずかな距離から体温が揺らいで伝わってくる。

 生きている温もり。

 とすると、彼女は誰なんだろう。

 俺は起こさないよう、そっとベッドを出ると、そこはどこかの部屋の一室で、寝室らしく、あるのは小さなテーブルと簡素な木の椅子、カーテンがされた窓ぐらいだ。

 テーブルの上にはコップと水差しが申し訳程度に置いてあったので、コップに半分くらい注いで、椅子にゆったりと腰掛けて、少しずつ喉を潤した。

 このような世界になってから、メンタルの弱い奴らはボディには入らず、どこか隔離された世界で精神、魂むき出しで漂っている。

 血肉を得ることが耐え切れないそうだ。

 精神の緊張と不安定さに拍車をかけるらしい。

 あるいは、ロボットか、生体アンドロイドのボディを好んで選ぶ輩もいる。

 今の自分は女性の姿をしているのがなんとなくわかる。

 問題は、どの女性か、だ。

 持ちカードは5枚あるが、女性になりうるのはそのうちの3枚。

 特徴はあるのだが、鏡でも見ないと、手や胸元を見たぐらいでは分かりかねない。

 まあ、ボディを失ったわけではないみたいだから、とやけにのんびりした構えになっていた。

 どの女性も分け隔てなく俺にとってはかけがえのないものだ。

 永く、付き合ってきた。

 愛憎というより、切っては切り離せぬ、なくてはならぬレシ、物語だ。

 この世界でそこまで注げるボディは珍しい。

 服のように脱ぎ捨てていくものだから。

 特別な感情、思い入れが無ければ、気にはしない。

 何か特別な物語を共に超えてこなければ。

 ボディにも来歴はある。

 うっすらと靄かかっているのだ。

 夢に出てくることもある。

 かわるたびに、魂が突かれるのだ、襞の奥深いところへと。

 それは反射的であり、訴えでもあった。

 俺だけかもしれない。

 それでも、彼ら彼女らのオリジナリティを認めてやるにはじゅうぶんな感覚だ。


 ボディに定まり、埋もれはあるのだろうか?

 しょせん量子の戯れにすぎないのというのに。


「彼女から頼まれたの……」

 しぼりだすような掠れ声。

 ほくろのあるその女が出し抜けにこちらに放ってきたメッセージなのだった。









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