身バレとサービス、これも出会い
仕事を終えた女性たちを、スタッフが次々と送っていく。全員送ってスタッフが解散する頃には、もう早朝と呼ぶにふさわしい時間となっていた。
デリヘルの営業を終えた
昔ながらのレトロな内装で、喫煙可。壁際のテーブルで目立たぬよう、仕事終わりのご飯を食べるのが日課だ。
テーブルに運ばれたのは、ホットココアと二種類のサンドウィッチ。ひとつは分厚いトンカツとたっぷりのキャベツ。もう一つはトマトと生ハム、クリームチーズがはさまったものだ。
とんかつのほうを手に取り、少しずつ、ちみちみと食べ進めた。律の食べる速さは、普通の成人男性に比べるとかなり遅い。一人で好きなものを好きなように食べるこの時間が、唯一の息抜きだ。
時間をかけてゆっくりと味わい、ようやく食べ終わる。冷めきったホットココアに、口をつけたときだった。
「やっぱ、かわいい顔してるわぁ」
となりのテーブルから聞こえる、独特な低い声。律は顔を向けた。
細身でキレイなファッションに身を包んだ者が、ふくよかで個性的なメイクをした者に声をおさえて返す。
「あんたそっち系好きだもんね。アイドル系ってやつ?」
「ばっか。違うわよぉ。そんなキラキラ~って子じゃないのよ。アンニュイな俳優系よ。闇を感じるところがいいの」
「あんたのことだからどうせダメ男よ。……あら」
目が合うと、二人は恥ずかしそうにはにかんで会釈した。どちらもおそらくは男性だ。雰囲気と声のようすからして、女装したゲイなのだろう。
律もほほ笑んで会釈する。ふくよか体型のオネェさんが、チャンスとばかりに声をかけた。
「お兄さん、結構この店通ってるよね?」
「はい。常連です」
「あ、やっぱり~。私たちが行くといつもいるからさ、気になってたのよォ」
歓楽街のすみにあるこのカフェは、深夜から朝方にかけて特定の職種が集まりやすい。大体いつも同じメンツだ。店員や客同士がそれぞれ顔を覚えているのもおかしいことではない。
律は柔らかくほほ笑む。
「おれも、きれいな方がいるなって気になってたんですよ」
「まぁ~! そんなお世辞言っちゃって! 大人っぽく見えて意外と若いわよねぇ。いくつ?」
「二十五です」
「やあだピチピチじゃない!」
細身のおネエさんが体をしならせながら、色っぽい声を出す。
「ちょっとお姉さんたちと一晩遊んでみない? その辺の女よりもいい思いさせてあげるからさ。なんつって~」
「あんたドン引きさせちゃダメだって~」
ケラケラと笑いあう二人を見すえ、律はココアに口をつける。
二人は周囲を見渡して、笑い声をおさえた。細身のおネエさんがボリュームを下げて尋ねる。
「お兄さんさぁ、夜の人でしょ? ホストクラブ?」
「ああ、やっぱりわかります?」
「わかるわよぉ。ホスト特有の、女慣れしてる感じが伝わってくるからさぁ」
「そういうお姉さんたちも夜の人、ですよね?」
「あ、やっぱわかるー? 夜の女の色気って隠せないのよね~」
細身のオネエさんが、胸を強調させるように背筋をのばした。あいそよく笑っていると、ふくよかなオネエさんが、太い手を差し出してくる。
「ちょっと、名刺頂戴よ。絶対いくからさ」
「いいですよ」
断る理由もない。律はジャケットの内側から名刺入れを取り出す。一人ずつ、名刺を両手で渡していった。
「どうぞ」
「あらやだ。ずいぶんとシンプルな名刺ねぇ」
シンプルな白に、店の名前と、律の一文字だけ。
「他のお店はどうか知りませんが、ウチはこれがデフォルトなんです」
名刺は店が用意してくれるものの、かかった費用は給料から差し引かれることになっている。
派手なものになるほど割高になるので、さまざまなデザインのものを客によって使い分けるホストが多かった。
しかし律は、女性をえり好みせず目立つつもりもない。標準仕様の名刺だけで十分だ。
名刺を見るふくよか体型のおネエさんが、眉をひそめた。
「ん? アクエリアスの律って、あの律?」
律はからかうような笑みを浮かべ、甘い声で返す。
「あの律って、どの律ですか?」
細身のオネェさんが何かに気づく。ふくよかなおネエさんに手をのばし、たたくようなそぶりをしてみせた
「やだ、あんた! あのうわさの律くんじゃない! 伝説の!」
「そうそう! それが言いたかったの! やっぱりそうよねぇ!」
「枕もアフターもしない、そんで風俗経営者の! 幻のナンバーワンよ!」
二人の声は、店内によく響いている。
「あ、あの……俺の名前を教えているのはお二人だけなので……」
はかなげに笑いながら、困ったように目を伏せる。二人はわれに返り、周りを見渡しながら恥ずかし気に笑った。
「やだわ~、ごめんなさいね、テンション上がっちゃってつい」
「いえいえ」
律は冷めきったココアを飲み干す。口についたココアを舐めとった。
カラになった皿をそのままに、席を立つ。
「じゃあ。俺はそろそろ」
伝票をもって、二人が座る席の真横に立つ。視線を合わせるように身をかがめ、誰もが卒倒するような輝かしい笑みを浮かべた。
「ぜひ、興味があるなら一度いらしてみてください。そのときは、精一杯おもてなししますから」
「いくいく! 絶対いく~」
体をくねらせながら答えるおネエさん方に、軽く頭を下げて会計に向かう。律の手にある伝票は、二つになっていた。
そんなことには気づかない細身のオネエさんは、女子高生のようにきゃっきゃと興奮している。
「ヤダ~、ほんとかっこいい~。イケメンとかじゃないのよね、美しいの、顔が」
「あたしの言ったとおりだったでしょ。でもあの子が幻のホストだったとはね。……うん、ますます好きになっちゃうわ~」
「あんな大物見抜くなんてさ~。あんたもたまにはやるじゃないの!」
二人は簡素な名刺を大事に持ち、眺めていた。食事の会計を律がしてくれたことに気づくのは、まだしばらく先のことだ。
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