経営者としての顔 2




 話にならない。律は笑みを浮かべ、どう対処すべきか考える。


 ここは社長として、びしっと断るところだろう。とはいえ、部長とメイコが何度説明しても引きさがらなかった相手だ。律が断ったところで引くとも思えない。


 律は手のひらをパーにして、レミにつきだす。


「じゃあ、五十万でどう?」


 笑顔で言ってのける律に、リビングにいるスタッフは全員、困惑した目を向けた。


「これ以上は無理だよ。もしこれでもごねるようなら、もう一銭も貸さないから」


 リビングの空気に反し、レミの表情は明るい。救世主が現れたとばかりに、目をキラキラとさせている。


「前借するにあたって、守ってほしいことがいくつかあるんだけど大丈夫?」


 レミは何度もうなずいた。


「そう。よかった。じゃあ、明日から、毎日オーラスのNGナシね。もちろん、遅刻は許さない」


「え……」


 デリヘルの営業開始から終了時間まで、ずっと仕事をしろということだ。それにくわえてNGなし。


 プレイ内容はなんであろうと引き受け、オプションもすべてOKにする。自分がどんなに嫌だったとしても、お客さまがしたいことをNGだからと断ることはできない。


 明日から、毎日。


「そのほうが、レミちゃんでもはやく返済できると思うよ。なんなら、ウチで寝泊まりする? 今ちょうど部屋も開いてるからそうしよう。スタッフの目もあるから、こちらとしても安心だし」


 毎日オーラスのNGなしでスタッフの監視付き。真面目とは言えないレミにとって、苦しい条件のはずだ。が、レミは笑顔で、うなずいていた。


「わかりました! がんばります!」


 その振る舞いに、律があきれていることも気づかない。


「……一日で、三十万から九十万」


 突拍子もない言葉に、レミは目をぱちくりとさせる。


「ホストクラブで俺が一日にだす売り上げ。単純計算だけど、最低でも一日で三十万は、売り上げを出すことになるんだ。ああ、ごめん。別に自慢してるわけじゃないよ?」


 レミの表情は変わらず、首をかしげていた。


「わかんない?  一日で、三十万から九十万だよ? 一カ月三十日として単純に計算したら、一カ月の売り上げは九百から二千七百万円になる。……有名な億プレイヤーは、これがあたりまえ。他の店では俺より売り上げたたきだしてる人もいるし」


 レミの生唾を飲む音が、小さく響いた。律の顔に浮かぶ笑みは、冷え切っている。


「俺はね、ある程度自由が許されてる。この仕事を同時にやってるからだけどね。それでも毎日、一応オーラスでやってんの。俺を求めてくれるお客さまのおかげでここまで売り上げてんの。……きみは、どうなの?」


 律の、試すような視線が、レミを突き刺す。


「一晩で、どれくらい稼げる? きみにはどれくらいの価値がある?」


 レミは困ったように眉尻を下げて、うつむく。律の問いに、答えることができなかった。


「毎日出勤、オーラスで、どんな客でも相手して、無遅刻無欠勤、できる? 五十万だからそうだな……。二カ月は続けてもらわないとね。稼いでくれればそれより短くなる可能性も」


「ちゃんと、やります」


 軽い言葉だ。少なくとも律はそう感じた。


「……できなかったときはどうする?」


「できます!」


 それを今までにできていないから、借金をお願いするまでになったわけで。


 律はほんの少し意地悪に言い放つ。


「腎臓ってね、片方売るだけで一千万らしいよ?」


「もしできなかったらそれでいいです! 私は逃げませんから!」


 引き締まった顔で言い切るレミに、鼻を鳴らした。


「……そう? わかった。約束はちゃんと守ってね。レミちゃんを信用してるから、貸すんだよ?」


 ホストとして女性客を相手にするかのように、輝かしく笑う。しかしその目には、一切感情がない。


「とりあえず、五十万、明日用意するから。当然、営業開始の朝十時、ちゃんと来るよね?」


「はい」


「もし一分でも遅刻したときは……貸さないからね?」


「はい!」


 この日は口約束だけで終わる。借用書のサインは明日書いてもらうことにした。宿泊道具をもってくるよう伝え、レミを帰らせる。


「……ふぅ」


 レミがいなくなった事務所に、律のため息が響く。ソファの背によりかかり、腕を上げて体をのばしていた。


「大丈夫なのか~?」


 リビングのデスクから、部長が声を放つ。顧客資料のファイルをめくりながら続けた。


「絶対返さねえぞ、ああいうタイプは」


「うん、そうだな」


「そうだなって……」


 部長の心配をよそに、律は薄い笑みを浮かべた。下ろした腕を組み、電気のついた天井を見つめる。


「たぶん、男だよ」


 ひとりごとのつもりだったが、部長が返してきた。


「ダメ男に引っかかってるって? 」


「うん。めちゃくちゃな額をねだられてるんじゃない? ホストからツケの請求がきてる、とか」


「レミが? そういうタイプには見えないけどな?」


「ああいうタイプほど男に依存するもんだよ。あの調子でとっくにいろんなところから借りてるんだろ。消費者金融はすでに手を付けてるだろうし……闇金に手を染めるのも時間の問題じゃねえかな?」


 律の冷静な口調に、部長は半信半疑といった表情を向ける。


「だとしたら、あいつ、かなりやばいんじゃねえのか」


「さあねぇ? 俺はあの子に金を貸してあげた。あとは、あの子が自分でどう動くか、だろ?」


 肩をすくめた律は、部長のとなりに座るメイコに視線を向ける。メイコは腕時計を見て立ち上がった。壁際に置かれたホワイトボードに時間を書いて、「帰宅」とレミの状況を記入する。


「メイコさん、レミちゃんの緊急連絡先って実家だっけ?」


 メイコは振り向き、ぎこちなくうなずいた。


「そうです。ほんとうに貸すんですか?」


「うん」


 返ってくるのは、盛大なため息だ。


「なんで貸しちゃうんですか。レミちゃんの勤務態度、社長もご存じでしょ?」


「大丈夫だよ。俺の自腹だから」


「そういう問題じゃないでしょ」


 不満げにじろりと見てくるメイコに、律は穏やかな声で返す。


「じゃあ、メイコさん。明日、俺が金を渡すまえにちゃんと住所調べておいてくれる? 身元確認のために撮っておいた免許証の写真も用意しといてね」


「……はい。わかりました」


 事務所の電話が鳴り響き、メイコが慌てて取りに向かう。パソコンの前に座っている優希も、携帯で出先の女の子と連絡を取っていた。


「ほんと、バカだよね。身の丈に合わない借金しちゃってさ」


 なんてことない律のつぶやきは、リビングにいる部長の耳に届いていた。ため息をつきながらうなずいている。


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