経営者としての顔 1




 高級住宅街の端に建っている、オートロック付きのマンション。一階部分が広々とした駐車場で、所在階数は五階。他のマンションに比べると築年数が古いものの、清掃や設備管理はしっかりと行われていた。


「最近ご新規さま多くない?」


 上に向かうエレベーターの中、女性の声が響いた。


「あー、この時期そうだよね」


 フリルの服を着こなす小柄な女性に、真っ白なワンピースを着た清楚な女性。二人とも、女優やモデルに負けず劣らずの顔立ちだ。


「今が稼ぎ時だしがんばらなきゃだけどさ~」


「新規で長尺のコースが一番しんどくない?」


「わかる~」


 二人は会員制高級デリヘル「platinum sugarプラチナム シュガー」のキャストだ。待機室へと戻るところだった。


 エレベーターの扉が開き、フロアに出る。


「ていうかさ、私たち以上にドライバーたちの余裕なさすぎじゃない?」


「確かに。ちょっと運転荒かったかも」


 廊下を進むヒールの音が、声と一緒に響いていた。


「あれさ、明らかにドライバー足りてないよね? 車が駐車場に残ってるから、部長とメイコさん出てないでしょ?」


「あー……事務所でなにかあったのかな? 社長絡み?」


「いや、社長になにかあったとしても、社長は仕事優先させるでしょ?」


「まあ、うちらが経営に首つっこむのは違うしねぇ。あとで何があったかメイコさんに聞いてみよ」


 フロアの奥まで進み、扉を開ける。二人は中に向かって、笑顔で声を放った。


「お疲れさまでーす」


 扉が閉まると、マンションは静けさに包まれる。




          †




 sweetスウィート platinumプラチナムは、その界隈かいわいの人間が一度は耳にするデリヘルグループだ。


 会員制の高級デリヘル「platinum sugarプラチナム シュガー」に「platinum latteプラチナム ラテ


 会員でなくても利用できるレズビアン専用デリヘル「platinum candyプラチナム キャンディ


 どの店でも、優れた容姿と教養を持つ女性をそろえている。


 四部屋あるマンションのフロア二階分が会社のものだ。それぞれの部屋は女性の待機や宿泊、指導室、とさまざまな用途に使われていた。


 先ほど女性たちが歩いていたフロアの中で、エレベーターに一番近い角部屋が事務所だ。


 事務所の洋室は今、重苦しい空気に満ちていた。


 同じソファに、スーツ姿の男女が座っている。丸々とした体形で無精ひげを生やした部長と、黒髪をおろしている細身のメイコだ。二人とも、正面に座る相手を見て、ぎこちない笑みをキープしていた。


 メイコはせき払いをし、ぎこちなく声を出す。


「あー……もう一度説明しますね?」


 正面に座るのは、プラチナブロンドの髪に濃いめの化粧をした、ギャル系の女性だ。


「前借したいってことはわかりました。でもその、ウチでは無理なんです」


 女性は不満げに言い返す。


「でも必要なんです」


 メイコが続けようとするも、部長がトゲのある声でさえぎる。


「あのね、さっきから言ってるけど、無理なもんは無理なんだよ?」


 笑みを保った顔で、これが最後とばかりに語気を強めた。


「普通、前借りは三十万が上限なの。わかる? その金額ですらうちでは出せないよ? 厳しい話、レミちゃんって無断欠勤することあるし、遅刻だって多いよね? 指名のお客さんが入っても遅刻するし」


 レミは不満げに目をそらす。部長の説明に、まったく納得していない。


 とどめとばかりに、部長は吐き捨てた。


「こっちもね、そういう女の子にお金貸して、ちゃんと返してくれるとは思えないから」


「でも……どうしても必要なんです」


 メイコと部長が何度説明しても、女性は引かない。先ほどから、このやり取りをずっと繰り返していた。


 リビングのデスクに座る事務員の優希ゆうきが、仕事に出ている女性との電話対応を終える。パーカー姿で黒髪の、カジュアルな青年だ。メモ用紙に時間を記入し、リビングに隣接する洋室へ顔を向けた。


 二つの部屋を閉ざすはずの引き戸は、開きっぱなしになっている。ふてくされるレミの姿を見ながら、デスクの上に置かれた社用の携帯に手を伸ばした。


「お疲れさま~」


 玄関から聞こえた気だるげな声。リビングに入ってきた律に、優希は笑みを浮かべて立ち上がった。


「お疲れさまです、社長。今、連絡するところでした」


「ん?」


 首をかしげる律に、優希は洋室のほうへ手を向け、声を潜める。


「給料、前借したいんですって」


 律は洋室に視線を向けた。助けを求めるように向いたメイコの顔に、何が起こっていたのかを察する。


「ああ、なるほど?」


 洋室に近づき、二人へ声を放った。


「二人とも、大丈夫? 俺が変わろうか?」


 二人はお互いに顔を見合わせ、正面のレミを見る。レミはガードの堅い二人にすねているのか、髪の毛をいじっていた。部長とメイコは律を見てうなずき、腰を上げる。


 入れ替わりに、律がソファに座った。まるで接客でもするかのようなほほえみを浮かべ、レミを見る。


 レミは律とそう年齢が変わらない。キレイな身なりだが、売れている、とも言えなかった。勤務態度に問題があっては当然のことだ。


「給料、前借したいんだって? いくら?」


 レミは目をふせ、小さい声を出す。


「……百万」


「百万かぁ」


 部長とメイコが断るのも納得の金額だ。二人の心労が手に取るようにわかる。


「いいよ。貸してあげる」


 リビングのデスクに戻っていた二人が、洋室を見て口をあんぐりと開ける。


 レミも顔を上げ、目を丸くした。じょじょに、期待に満ちた笑みが浮かんでいく。


「でも三十万しか出さない」


 容赦ない一言だった。


 律の口角は上がっているが、その目は冷たい。先ほどメイコと部長が話していたときよりも、洋室の空気がはりつめている。


 レミは怖気づきながらも、声をひねりだした。


「お願いします……百万必要なんです」


 レミの声が震えていようと、律が情けをかけることはない。


「三十万しか出さない」


「いやです、百万じゃないと」


「三十万しか出さない」


「じゃあ、八十万……八十万で」


 だんだん前のめりになるレミに、切り捨てる。


「借りる側なのにずうずうしいんじゃない?」


 レミは口を閉じ、顔を伏せた。


 経営者としての律は、とにかくシビアだ。部長やメイコのような優しい言い方はしない。


「金が欲しいなら、うちじゃなくてよそで借りたら? 消費者金融とか使えばいいじゃん。借りるのそんなに難しくはないよ」


「それ、は……」


「それが難しいなら、ウチよりも稼げる店で働けばいいんじゃない? なんなら紹介するし」


「すぐに、必要なんです。お金が……」


「ふうん」


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