女心とツケの駆け引き 




 この日の営業は終了。BGMが消えた店内は、営業時より照明が明るくなる。


 店のホストたちはシャンデリアの下に集まり、終礼を行った。店長が明日の予定をさらっと報告して終わる。


 それぞれにはけていくホストたち。幹部たちは広いボックス席でミーティングを。


 幹部以外は私服に着替え、店の掃除を始める。


 売り上げナンバーワンで、役職付きではない律はというと――。


「律さーん! 大丈夫っすか? 」


「ちょっと待ってうぼろろろろろろろ……」


 トイレにこもり、出られないでいた。


 律は、酒が得意ではなかった。終業後にトイレにこもることも珍しくない。他のホストにとっても見慣れた光景だ。


 流す音が響き、ようやく扉がひらく。でてきた律の顔は真っ青で、目が死んでいた。


 私服姿のホストは、頭を下げる。


「すみません! 俺たちが飲むべきでしたよね!」


 律は目もむけず口をぬぐい、洗面所で手を洗う。


「……まあ、飲めるなら飲んだほうがいいよな」


 声は女性を前にするときよりも低く、落ち着いていた。鏡に映るホストを見ながら続ける。


「でも、あのあと志乃しのの客がいれるのはわかってたし、俺のとこで飲んですぐ別の卓でってのもきついだろ」


「いや、でも……」


「もういいって。あのお客さん、次来るときのシャンパンタワーも予約してくれたし。こういうのは助け合い、なんだろ? じゃ、掃除頑張って」


 洗い終わった手をハンカチで拭きながら、よろよろとトイレを出ていく。その後ろ姿を、新人ホストは眉尻を下げて見送った。


 ホストたちが掃除しているフロアを、律は腹をさすりながら横切っていく。

 スーツ姿のまま、更衣室に寄ることもなく、荷物もない。終わらない吐き気に顔をゆがませ、先ほど一気飲みしたことを後悔していた。


 律は、レジカウンターの前で足を止める。


 もう営業終わりだというのに、レジの前に若い女性がたたずんでいた。ブラウンのひざ丈ワンピースで、化粧をばっちり決めた細身の女性だ。


 カウンターの中で、スタッフと拓海が万札を数えている。数え終わった拓海がスタッフに金を渡し、女性に笑顔を向けた。


「うん、これでツケはおしまい。ありがとうね」


 女性は文句ありげに見返している。が、拓海は気にするそぶりも見せず、笑顔のまま首をかしげる。


「ん?どうかした?」


「……別に」


「外まで送るよ。まだミーティングがあるから俺は帰れないけど。一人じゃ危ないからタクシーで帰りな? それとも俺が来るまで待っとく?」


 二人は律の前を横切り、店を出る。地上に向かって階段をのぼっていく足音が、律の耳に届いていた。


 しばらくして、一人分の足音が戻ってくる。拓海がため息をつきながら店に入ってきた。視線を向けていた律に気づき、不満げに眉をひそめる。


「……なんすか? 」


「別に。かわいらしい子だなって」


「人の客のこと気になるんすか?」


 不快に思っているのがよくわかる声色だ。律は気にせず続ける。


「そりゃ、気になるよ。彼女、いかにも、な感じだったし」


「いかにも?」


「学生だったけど今は風俗で働いてるって感じ」


 拓海は返事をしなかった。その態度こそ、正解を示している。


「確か先月もツケ払いに来てただろ。体売ってまで会いに来てくれてるんだ? うれしいね」


「なんすかその言い方。俺の客ですよ。文句あります?」


 にらみつける拓海に対し、律の表情は変わらない。


「ねえよ。拓海も大変そうだと思っただけ」


「嫌味っすか?」


「そう聞こえた? ツケ回収ってみんなしんどいもんだろ」


 ホストクラブは、ある程度の常連であれば支払いを掛けておくことができる。実際、売り掛け行為は珍しいことではない。誰もが一夜で大金をポンと支払えるわけではないからだ。


 大体の店は入金日までに支払えば問題ない。ここで支払ってもらえなければ、ホストの給料はマイナスだ。


 女性に飛ばれるのはホストにとって一番の恐怖。売り掛けを許すのであれば、うまく回収していく技量が必要になる。


「そういえば、律さんはされたことないですよね、売り掛けって」


「ないね。俺、売り掛けさせない主義だから」


「ですよね。俺、律さんの客で入金日に支払いしてる人見たことないですから。いいっすね。余計な苦労しなくて済んで」


 支払いの催促で精神を削られるホストは多い。飛ばれないようにするのはもちろん、支払い後の関係性に響かないよう気を遣う。


 他店では怒鳴ってでも支払わせ、すぐ出禁にするホストもいるようだが、Aquariusアクエリアスにそのタイプはいなかった。


 拓海は頭をかきながら、気だるげに吐き捨てる。


「俺だって掛けなくていいならさせないっすよ。でもしょうがないじゃないすか。俺の客、律さんのみたいに極太ばっかじゃないし」


 律は否定も肯定もしない。ただ黙って拓海を見すえていた。


「売り上げも指名も出さないと、すぐナンバーから外れちゃうじゃないすか。少しのリスクぐらい背負わないとやっていけないっすから。律さんみたいな営業のやり方、理想っすけどきれいごとですよね」


 ナンバー常連のホストでも売り掛けはする。とはいえ、いくら有名だろうと人気があろうと、売り掛けがリスクをともなう行為であることに変わりはない。


「……毎回、ちゃんと回収できてんの?」


 拓海は自信満々に答えた。


「もちろんです。じゃなきゃ結局俺が損するハメになりますから」


「回収できてるならいいんじゃん? 俺はやるなって言ってるわけじゃないし。ただ……」


 急激に襲ってくる吐き気。なんとかこらえ、具合が悪いのを隠すように息をつく。


「あの子、そろそろ接客を変えたほうがいいよ。それができないなら、いさぎよく切るか。……このままあおりつづけたら、飛ぶよ?」


「はあ?」


 拓海の顔に、青筋が浮かぶ。その声は、イラ立ちを隠そうともしなかった。


「余計なお世話じゃないですか。こんなことしてるの俺だけじゃねえし。売り上げの結果がすべてでしょ。営業妨害もいいとこっすよ」


「営業妨害、ね」


 拓海は出入口を親指で指し示す。


「そろそろ次の仕事に行ったらどうすか? ああ、社長だから優遇されるんですっけ、そういうの? いいっすねえ、何もしてないのに女の子から金もらえるんですから」


 律の眉が、ぴくりと動く。


「ああ……それで思い出した」


 極めて冷静で、不愛想な声だった。


「なあ、拓海くん。さっき、俺の仕事の話をしてただろ? 自分の客に」


「え……?」


 空気が、変わった。いぶかしげに見返す拓海に、律は能面のような冷たい顔で続ける。


「俺のほうチラチラ見てたから、そうだろうとは思ってたんだ」


 律から放たれる重圧が、拓海にのしかかる。それでも拓海は鼻を鳴らした。


「そんなの、別に俺だけが知ってる話でもないでしょ。ホストは全員知ってるようなことだし」


「ホストは知ってても客が全員知ってるとは限らねえんだよ」


 律の手が、拓海の胸ぐらをつかんで寄せる。冷徹な表情で見すえる姿は、美しいからこその恐ろしさを引き立たせていた。


「おまえの客はまだしも、俺を指名してたお客さまも近くに座ってたかもしれねえだろ」


 律の声は、よりいっそう低く、ドスが利いていた。


「さっきは知ってるお客さましかいなかったからいいものの。おまえのせいで俺がお客さまとトラブったらどう責任取ってくれんだ。営業妨害はそっちだろ!」


 拓海は負けじと目をつり上げる。反論しようとするも、律がさえぎった。


「俺がてめえの客にヘルプで着いたとき、誰といつ枕してたかぶっちゃけてもいいんだぞ!」


 律の声は、店中に響いていた。掃除中のホストたちが何事かと顔を向け、店長が怪訝けげんな顔で近づく。律の背後で立ち止まり、口を開いた。


「どうした?」


 律は舌打ちしながら手を離した。


「なんでもねえよ。気にするな。……俺はもう帰る」


 ジャケットのえりをただし、すました顔で店を出た。拓海から不満げに向けられる視線を、背中で感じ取りながら。


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