二足のわらじと指名客
店の中央に下げられた豪勢なシャンデリアは、高級感と品位をこれでもかと象徴している。
下にあったシャンパンタワーはすでに飲み干され、片づけられていた。
周囲をソファがCの形に囲み、小ぶりなカップル席が並ぶ。どの席からもシャンデリアを見上げられる配置となっており、他の客とホストの姿もよく見えた。
その中の一つに座る若い女性。派手なガウチョパンツで、ベージュ色の髪をひとくくりにしている。
辺りを見渡し、なにかを見つけた。座面に膝をのせ、背もたれにのしかかるようにして後ろを見る。
「あれがウワサのナンバーワン? 初めて見た」
視線の先にあるのは、壁際に設置されたボックス席だ。グラス片手に客と談笑する律の姿が見える。
「他の男に目移りすんなよ。嫌なんだけど、そういうの」
女性のとなりに座る指名のホスト、
「目移りなんてしてないよ~! あたしは拓海が一番だから!」
拓海のとなりに女性は座りなおす。酒の入ったグラスを手に取った。
「でもさ。やっぱりここのナンバーワンって有名人じゃん? 枕とアフターは絶対にしない。ラスソンは絶対に歌わない。客には業界の大物がぞろぞろって」
「はいはい。そうですね」
すねたように拓海は顔をそらす。他のホストと比べて若く、明るめの茶髪を遊ばせていた。
「怒んないでよ、拓海。今日だって拓海のために来てあげたじゃん」
「そうだけどさ。やっぱり面白くないよ、他の男のこと話されるの。俺よりもそっちのほうがいい、って言われてるみたいで」
「そんなことないって」
拓海は後ろを向き、律の席を見る。
シャンパンを飲み進める律は、泥酔する客相手にも会話を途切れさせなかった。律と目が合う前に、自身の指名客に視線を戻す。
「まあ、確かに? 律さんはすげえ人だよ。俺がどんなにがんばっても、売り上げも指名もかなわないし」
女性はバツの悪い顔を伏せた。
「……ごめん」
「それにあの人、外面が良いだけだよ。役職突っぱねてふらふらしてるいい加減な人だし」
「ああ、そうだったね。支配人でもおかしくないレベルなのに」
ホストクラブでは、一定以上の売り上げを出すと、役職が与えられる。
役職付きは、ホストの中でも人気があり、仕事ができる証拠だ。新人教育などの仕事は増えるが、支給手当も増える。
店が役職付きとして強く宣伝し、指名客が増える好循環にも恵まれる。
ホストの仕事で
「他のホストと自分は違うってスカしてんだよ。一応
役職を嫌がる律だが、ナンバーワンを維持できるほど売り上げを出す人材だ。よそに奪われてなるものかと、店は多少のわがままも目をつぶる。
律はこの店で、一番縛られない存在だ。
拓海の指名客が、一本ずつ指を折っていく。
「枕もナシで、役職もついてない。しかも顔も出してないでしょ? どうやって売り上げ維持できるんだろう」
入り口前のホールにも、店のホームページにも、律の写真は展示されていない。律は役職を断るばかりか、顔を出すことも嫌っていた。
「そこはまあ、ちょっと仕掛けがあるんだわ」
拓海が気だるげに息をつく。
「枕とアフターをしないってとこにつながるんだけどね……。あの人、しないっていうかできないんだと思うよ」
「どうして? あ、もしかして不能、とか?」
拓海は鼻を鳴らす。
「そっちのほうがまだよかったかもね。……あの人、ホストしたあとはすぐ、別の仕事に行くんだよ。なにしてると思う?」
女性は小首をかしげて考える。が、眉尻を下げて、答えを促すように拓海を見た。
「デリヘルだよ、デリヘル。ホストしながらデリヘルの経営やってんの」
「え……?」
幻滅した表情に変わる女性は、再び律のいる卓席に顔を向ける。律はニコニコしながらシャンパンを飲んでいた。
女性の耳に、拓海の神妙な声が入ってくる。
「店では女の子にいい顔してるくせに、デリヘルでは馬車馬のように働かせてんだよ。ツケで首が回らなくなった子を無理やり働かせて、金を回収するんだって」
「うわぁ……」
「やべえじゃん? だからさ、あの人と一緒にいる女の子、見てらんないんだよな……。それでもいいって夢中になって、結局あの人の労働力になっちゃうんだから。かわいそうでかわいそうで……」
律を見ていた女性の目に、どんどん軽蔑の色が浮かぶ。
「俺もまだまだだなぁ。女の子を利用するような人に負けちゃうんだから」
女性が拓海に視線を戻すと、拓海は物悲しい目でシャンデリアを見上げていた。
「いつかあの人に勝って一位になる姿、見せてやりたいんだけどな……そうしたらもっと、幸せにしてあげられるのに」
女性は悩まし気に視線を下げた。持っていたグラスをテーブルに置き、決意を固めるように息をつく。
「あの……給料日前だから、ツケになっちゃうけど、それでもいいなら、いれようか?」
「え? ほんとに」
女性はぎこちなくうなずく。
「いや、無理すんなよ。普通の会社員なんだし。安いのもあるからそれで」
「アルマンドの、レッド、おろす」
膝の上に置いている女性のこぶしは、震えていた。
「拓海のためなら、大丈夫。ツケはちゃんと、はらうから」
拓海の表情は明るくなり、女性を力いっぱい抱きしめた。
「ありがとう! ありがとう! こんな俺のこと助けてくれるのおまえだけだよ!」
女性は腕の中で、柔らかく笑う。拓海がスタッフに注文すると、すぐにボトルが届けられた。同時に起こる
『五番テーブルの姫から、な、な、なんと! アルマンドのレッドいただきました、ありがとうございます!』
卓の周りでホストたちが一斉に集まり、コールでにぎやかす。そのときばかりは、女性がこの店の主人公だ。『お姫さまのひとこと』でマイクが渡される。
『拓海のために、がんばります!』
「俺もがんばるー!」
コールはまだ、終わらない。
集まってきたホストのうち、二人に指名されたものがグラスに注いで飲んでいく。多くのホストに頭を下げられお礼を言われ、女性が頼んだボトルの中身はどんどんなくなっていった。
この優越感が、高い借金を背負った罪悪感を忘れさせてくれる。
『おおっと今度は八番テーブルのお姫様! クリスタルいただきました~! ありがとうございま~す』
「え……?」
クリスタル、正式名称ヘネシー・リシャールの値段は、アルマンド・レッドをゆうに超える。下ろした女性とホストのもとに、コールを続けながらホストたちは移動していった。
あっという間に、主役は別卓のお姫様だ。
「え? え?」
青い顔で困惑する女性のとなりで、拓海は頭を抱えながらため息をつく。
「あ、ごめん。ごめんね。もっと高いお酒いれてたら」
「いや……いいよ」
拓海はぎこちなく笑う。
「オールコールだからさ……行ってくる」
拓海は暗い表情で立ち上がり、ホストたちのあとをついていく。その背中を見送る女性は、ふと、後ろに顔を向けた。
そこには、オールコールへ参加しないホストがひとり、いる。
ヘルプが出払ったその卓席で、律はすでにシャンパンを飲み干していた。テーブルにあるのはカラのビンとグラスだけだ。
となりにいる女性は、卓席の横にしゃがんだスタッフにシャンパンタワーの注文をしている。スタッフがもつ会計トレーには、すでに札束がいくつものせられていた。
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