プロに徹する 2
女性は舌打ちする。ヘルプたちに向けるその冷ややかな目は、あからさまに見下していた。
「どうせあんたたちみたいなのは、安いシャンパンすら頼んでもらったことないんでしょ」
「そりゃあそうですよ。アルマンドとかドンペリなんて夢の夢です」
「じゃああたしが今からドンペリかロジャーおろしてやるよ。そのかわりおまえらが全部飲めよ。ホストならシャンパン一瓶飲んでなんぼだろ? そんであたしに感謝しろ!」
女性はテーブルを見渡す。
「メニュー表は? ないの、ここ」
ほほ笑む律が、眉尻を下げて返した。
「ごめんね。気持ちはうれしいんだけど。きみ、初回だよね?」
「……だから?」
不満げに律を見上げた女性に、穏やかな声で刺激しないよう続ける
「ごめんね。うち、初回では高級なお酒は注文できないようになってるから」
「はあ? なにそれ。融通利かせろよ! こっちは客だよ?」
「そうしたいのはやまやまなんだけどね。お店の決まりだから」
「こっちはホストクラブなんて慣れっこなんだよ! ド素人の初回客と一緒にしないでくんない?」
「ごめんね、それでも、決まりは決まりだから」
「ホストなら黙って酒だしてもてなすべきでしょ?」
興奮してきた女性に、律は笑みを浮かべたまま必死に言葉を選んでいた。
「初回って、顔合わせみたいなものだから。お酒をいれるなら、また今度来てくれたときにしてもらえるとうれしいな」
「だからあ、今! シャンパン出せって言ってんだよ!」
女性の怒鳴り声が辺りに響く。
「ここは客の注文も満足にできないわけ?」
周囲の卓席に座る客とホストが、視線を向けていた。騒ぎに店長も気付いたようで、いぶかしげに近付いてくる。
「そんなに怒らないで」
律はあくまでも冷静に、穏やかになだめていた。
「きみ、まだ十代でしょ? 一緒に飲めないじゃん。きみと同じもので十分うれしいよ」
「おめえらがうれしいうれしくないはどうだっていいんだよ! 私がおめえらに飲ませてやるためにおろすっつってんの!」
「うん、ありがとう。でも店のルールで」
「客に対してそんな態度とって良いと思ってんの? やっぱりこの店よくないわぁ。ナンバーワンですら接客悪いんだもんね」
聞き分けのない女性にどう対応すべきか、頭を必死に働かせる。
無理に説き伏せようとは思っていない。女性に対してわからせようとも思わない。
だからといって、ルール違反をさせるつもりもなかった。
「ごめんね。
女性は舌打ちして、とげとげしく言い返す。
「……ほんとろくなもんじゃないねカシオペアグループは。こっちはぱあっと金を使おうと思ってるのにさ」
「初回でお金を使いすぎる女の子がたまにいるんだよ」
「でも客だよ? 金使ってくれるんだよ? 客を逃がすようなことするわけ? カシオペアグループは」
「ううん。誰でも入りやすいよう敷居を下げてるんだよ。だからこそ初回では高級なお酒をいれられないようになってるんだ。シャンパンをいれるかどうかは指名を決めてからでも遅くは」
「じゃあ、あんたのこと指名してやるよ! それならいいんでしょ!」
「えっと、ごめんね……」
もう一度丁寧に説明しようとしたときだった。
「言ったってわかんないよ、律!」
大人の女性の声が、店のBGMを押しのける。
「ホスト相手に虚勢はりたいだけのガキなんだから!」
「誰だよ、今ガキって言ったやつ! 」
負けじと声を張って立ち上がる。当然、名乗り出る者はいない。
アクエリアスの女性客は年齢層も職種も幅広い。学生や風俗嬢、フリーターなどの若い女性。会社経営者やホステス、昼職でもしっかり働いている社会人、社長を夫に持つ専業主婦もいる。
十代の女性客に対し、誰もが冷ややかな目を向けていた。
「くっそ……! あんたのせいで恥かいたじゃん! どうしてくれんの!」
他の女性客はクスクスと笑っている。場内の空気に収集がつかない。律は女性をまっすぐ見据え、手を伸ばした。
「ごめんね、落ち着いて。とりあえず座ろう?」
女性の手を取ろうとしたとき、店長が卓席の横に膝まずいた。女性に向かって頭を下げる。
「申し訳ございません。うちのスタッフが失礼な振る舞いを……」
「ほんとだよ! なんなんだよ、この店! ふざけんな!」
唾を吐き散らす勢いで、店長の頭上から罵倒した。
「クソみたいなホストばっかで全然楽しくないんだけど!」
「申し訳ございませんでした。こちらからも十分注意いたします。お代は結構ですので……」
「まじでなんなの? ここまで恥かかされて結局サービスの一つもないわけ? こっちは客なのに?」
「申し訳ございません。当店でシャンパンの注文は、初回ではできない決まりとなっておりまして……」
暗がりの中でもわかるくらいに、女性は顔を赤くしていた。かすかに、歯ぎしりの音が聞こえる。
「なにそれ……! どうせおまえらあたしのこと馬鹿にしてんだろ! シャンパン入れるほど金なんかないと思ってんだろ!」
「めっそうもございません」
「ネットでここのこと悪く書きこんでやっからな! 最低最悪の接客だって」
女性はもはや誰かを叩かないと気が済まない。なにをしても怒りを大きくさせるだけだ。
「おまえら経営者ならさぁ! ホストの教育ちゃんとやれよ! 中途半端な接客ばっかしやがってよ!」
「ごめんね」
律は立ち上がり、手を差し出す。
「嫌な気分にさせちゃったよね。……外まで送るよ」
店長に目配せすると、店長はうなずき、その場を離れた。
「なっ、ふざけんな! あたしのこと邪魔者扱いしやがって……」
女性は少し熱が冷めてきたのか、周囲を見渡す。そこかしこからチラチラと向けられる、他の客とホストの視線。
「あーもう! 帰ればいいんでしょ、帰れば! まじでおもしろくない!」
女性は舌打ちして、律の手をはらう。店の出入口に早足で向かう女性に、律とヘルプのホストが続いた。
店を出た律たちは、階段前で立ち止まる。指名客なら外まで見送るが、残念ながら送り指名も受けていない。
階段をのぼる女性の後ろ姿に、声をかける。
「来てくれてありがとう。気をつけて帰ってね。変なキャッチ、このへん多いから」
「は? なんなのマジで」
振り返ってにらみつける女性に、律はほほ笑む。
「……また来てね。平日の早い時間はお客さんも少ないから。今度こそは、ゆっくりお話ししよう?」
「ウザ。バカにしてんのバレてるから。マジでムカつく」
女性は背を向け、不満を見せつけるよう音を立てながらのぼっていく。その背が見えなくなるまで、律は笑顔で手を振った。ヘルプのホストたちは律の後ろで頭を下げている。
「……おい、律」
しかめ面の店長が、不機嫌に近付いてきた。律は笑みを消し、気だるげに返事をする。
「はいはい、ごめんって店長。俺の給料分から差し引いていいよ」
「当たり前だろ、このタコ! おまえはもうちょっとうまく返せよ! ナンバーワンだろ?」
ため息をつく店長は、ヘルプのホストたちに中へ戻るよう顎をしゃくった。ホストたちはすぐさまスタッフに連れていかれ、他の卓席のヘルプにつく。
「……初回荒らしか?」
「いや、それは。どうだろう?」
ほとんどのホストクラブでは、初回を格安料金で楽しむことができる。初回料金だけでホストの接客を堪能し、別のホストクラブを
指名にも売り上げにもつながらないため、こういった客は好まれない。
「
「いや、なにも。今度事務所で定例会議があるから聞いてみるわ」
うなずいた律に、店長は再びため息をつく。腕を組んで、責めるような目を向けた。
「ああいうタイプはほんとにあることないことネットに書くぞ。どうすんだよ」
「大丈夫だよ。俺のお客さまはネットの情報に左右される人たちじゃないから」
「店に来るのはおめえの客だけじゃねえんだけど?」
「大丈夫だって。老舗の力は
「いや、さすがにそれはないだろ。あんな目に合わせておいて……」
律は女性が出て行った階段を見上げる。もう女性の姿はそこにない。
「教養もない。友達もいない。ホストを見下すことでしか、満足できない。持っているのは若さだけ……。うん、きっと、また、来る」
律は階段に背を向け、店長とともに中へ戻っていった。
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