第98話 先輩たちと運
「あ、りがとう、ございました」
連携訓練が終わった直後、私たちは練習場に突っ伏した。
「ん。お疲れ」
リンせんせーはそれだけ言うと、スタスタと練習場を出て行った。
その姿に全く疲れは見えない。
……実際、全然疲れてないんだろうな。
息も絶え絶えな私たちに比べて、息一つ乱れてないんだもん。
ちなみに『私たち』というのは私とデビー、レティの三人だけじゃない。
二年と三年のチームも合わせた九人のことだ。
「はぁはぁ……リン先生、分かっちゃいたけど、半端ないな……」
二年の男子先輩が仰向けに転がりながらそう呟いた。
「ふぅ、はぁ、そうね……授業ではアドバイスくらいしかして下さらないけど、ようやくその実力の一端を見ることができたわ」
ペタンと座り込んだ三年の女子先輩が、若干頬を紅潮させてリンせんせーが出て行った出入り口を見つめていた。
……それって、尊敬の眼差しだよね!? 別の意味じゃないよね!?
「あーっ! くっそぉっ!! 九人がかりでも一撃も入れられないなんてえっ!!」
あまりの結果に、私は二年の男子先輩のように練習場に仰向けになりながら思い切り叫んだ。
そんな私を、二年と三年の先輩方は苦笑しながら見ていた。
「凄いわね。あのリン先生に一撃でも入れようなんて思うなんて」
二年の女子先輩がそう言ったのを聞いた私は、ガバッと起き上がり、その先輩のことをじっと見た。
「え、えっと、なにかな?」
「……リンせんせーは、まだ人間の範疇だもん。そのリンせんせーに手も足も出ないなんて、悔しいに決まってるじゃないですか」
私がそう言うと、先輩方の顔が引き攣るのが分かった。
「えっ、と……あれが人間の範疇?」
「そうですよ」
私の返事に先輩たちがザワついているけど、これは間違いない事実。
「パパとかオーグおじさんは、神様とか天才とかの領域だけど、それ以外は皆努力の結果強くなったって言ってたもん」
これは本人たちから聞いた話だから確実。
あの二人は別格なんだってさ。
私の話を聞いた先輩方は、顔を引き攣らせていた。
「それに、リンせんせーたちは、パパを除いて高等魔法学院に入った頃は私たちとそう変わらない実力だったって言ってました」
「へえ、そうなんだ。さすがに先生とそんな話はしたことなかったから知らなかったな」
三年の男子先輩も私の話に食いついてきた。
「それより、リンせんせーたちの学生時代より、今はパパのお陰で魔法教育が効率化してるんですよ。そりゃリンせんせーたちに比べたら実戦経験は少ないかもですけど、一撃も入れられないなんて悔しくないですか?」
私がそう言うと、先輩たちの顔が少し考えた後に引き締まったのが見えた。
「そう、だな。なんて言うか、俺、やる前から諦めてた気がするわ」
「私も」
先輩たちの顔が、やられて当然と言う顔から、少し悔しさの滲む顔になってきた。
「俺、明日は死ぬ気でリン先生に向かってみようかな」
「そうだね。叶わないのは分かり切ってるけど、最初から負けるつもりで戦うのは違うよね」
お。先輩たちの顔にやる気が漲ってきた。
「そうですよ! 打倒リンせんせー目指して頑張りましょう!!」
『それは無理!!』
「えー」
二年と三年の先輩たちは、学内の模擬戦で対決したことはあっても、こうして話をするのは実は初めて。
けど、共通の敵、リンせんせーに戦いを挑んだ同志として、なんか絆っぽいのが生まれ始めていた。
「さて、いつまでも地面に転がっててもしょうがない。シャワー浴びて帰るか」
三年の男子先輩がそうまとめたので、私も立ち上がりシャワー室に向かう。
その道中のことである。
「ねえねえ」
「はい?」
三年の女子先輩が話しかけてきた。
「あのさ、シャルロットさんってシルバー先輩の妹でしょ?」
「え? まあ、はい。そうですけど……」
なんで先輩がお兄ちゃんのこと……って、そっか。お兄ちゃん、去年までここの生徒だったわ。
「ね、お家でのシルバー先輩ってどんな感じなの?」
その先輩の質問を聞いた他の女子先輩方も、興味津々で私を見つめていた。
その先輩の顔を見て、私は確信した。
お兄ちゃん、学院で超モテモテだったんじゃん。
よく学院時代に彼女ができなかったもんだ。
「えっと、どうって言われても……」
なんて答えればいいんだ?
「例えばさ、こんな部屋着で寛いでるとか、ご家族とはどう接してるとかさ」
「あー、部屋着は、なんか楽そうなやつ着てますね。家族とって言われても、やっぱり普通としか……」
「じゃ、じゃあさ……」
ここで三年女子先輩がゴクリと息を飲んだ。
「か、彼女とかいたり、するの?」
そう真剣な顔をして聞いてくる先輩と、固唾を飲んで私の答えを待つ他の先輩。
「あー……あの、これ、まだ発表されてないので内緒にしてくださいね?」
私がそう言うと、先輩方は落胆した表情になった。
「そう言うってことは……シルバー先輩、彼女できちゃったんだ」
「いやー! ショックー! ずっと彼女いなかったから私にもワンチャンあると思ってたのに!」
「は、はは……」
そ、それはどうだろう。
「それで? 発表ってことは、それなりの人とお付き合いを始めたの?」
「ええまあ」
「それで? 一体誰がシルバー先輩を射止めたの!?」
か、顔! 顔が近い!!
「本当に内緒にしてくださいよ!? ……ヴィアちゃんです」
『……え?』
「だから、ヴィアちゃん……オクタヴィア王女殿下と恋人になって婚約したんです」
『ええええっっっ!!??』
「うるさっ!」
そう、実はまだお兄ちゃんとヴィアちゃんの婚約は世間には公表されていない。
なんか、王位継承権の放棄とか、婚姻後の立場の明確化とか、発表する前にやらないといけないことが沢山あるらしい。
「ん? どうした? 大きな声出して」
少し離れたところを歩いていた男子先輩がこちらに声をかけてきた。
「な、なんでもないです」
「? そうか。急に大声出すから、何事かと思った」
「あはは。すみませーん」
私はそう男子先輩に言ったあと、女子先輩たちに向き直った。
「そういうわけなんで、本当に口を滑らしたらマズいんで、気を付けてくださいね」
私がそう言うと、先輩たちはちょっと顔を青くしながらコクコクと頷いてくれた。
「はぁ……でも、そっかあ、それなら諦めもつくわ」
「ねえ、もしかして貴女たちも知ってたの?」
デビーとレティは驚かなかったので、それで察したんだろう。
姦しくても、やはり国内最高峰の高等魔法学院で代表に選ばれるほどの先輩。
周りをよく見てる。
「まあ、知ってるというか……」
「そうなる前に色々と相談に乗ったりしてましたから」
ヴィアちゃんの恋愛騒動に巻き込まれていたデビーとレティは、苦笑しながらそう答えた。
「はぁ、今年の一年生は凄いのねえ」
「いえ。こればっかりは運が良かったんですよ」
デビーはそう言うと、私を見た。
「私と同い年にシャルたちがいたのも、この学院で同級生になれたのも、最初はちょっと色々あったけど、友達になれたのも、本当に、ただ運が良かっただけなんです」
そう言うデビーの顔は、色々あった最初の頃に比べると、ものすごく柔らかくなった。
私とデビーが笑みを交わし合っていると、先輩の一人が残念そうな声をあげた。
「そっかー、まあ、確かにそういうのは運だよねえ。あーあ、私にもなんかそういう幸運が舞い込んでこないかなあ」
そんなことを言う先輩に、私は首を傾げてしまった。
「え? 先輩たちだってメッチャ運良いじゃないですか」
「ん? なんで?」
「だって、今日だってリンせんせーの指導が受けられたんですよ? 他の国ではこんなことあり得ません。去年までのこの学院でもなかったことです。ほら、運、良いでしょ?」
私がそう言うと、先輩は一瞬ポカンとしたあと、豪快に笑い始めた。
「あっはっは! 確かに! 私ら超運がいいわ!」
「ですよ。だから、対抗戦までにリンせんせーに一泡吹かせてやりましょうね!」
「ええ! もちろん!」
先輩はそう言うと、私の肩に手を回した。
「いやあ、ウォルフォードの娘っていうから、どんな子なのかと思ってたけど、シャルロットちゃんメッチャいい子じゃん」
「そうですよ。私、メッチャいい子です!」
「自分で言うか!?」
また笑いが起きて、私たちはキャッキャ言いながら女子シャワー室に向かって行った。
私は、先輩たちに囲まれていたので気付かなかった。
デビーが、ちょっと遠くを切なげな目で見ていたことを。
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