第96話 夕暮れ時の街角で

◆◆◆


 シャルロットのお見舞いに行った帰り、マーガレットとデビットはウォルフォード家の車で送られていた。


「なんか、シャルを生贄に置いて来ちゃった感じで申し訳なかったね」

「しょうがないよ。僕らはもう帰らないといけないし、殿下のお話を遮るなんて不敬な真似できるはずもないし」


 オクタヴィアとシルベスタには、夏季休暇中ずっとイチャイチャしているところを見せつけられた。


 その上で更に惚気話を聞かされるとか、相手は自国の王女様とはいえ辟易してしまう。


「それにしても、初めてデビット君と一緒に車で送ってもらったけど、デビット君の家と私の家って案外近かったんだねえ」

「ホント。学院が違うと全然接点ないから、今まで気付かなかったよ」


 マーガレットとデビットが同じ車で送られているのは、家が近所だから。


 デボラは同じ平民でも住んでいる区画が違うため別の送迎車で送られている。


 なのでこの二人は一緒だったのだ。


 ちなみに、今回初めて一緒に車で帰っているのは、今まで訓練が終わった後すぐ帰っていたデビットは、ウォルフォード家の車ではなく魔導バスに乗って帰っていたから。


 今日はいつもの訓練の時間より遅くなったので車で送ってもらったのだ。


「そういえば、こっちの区画だったら、あのお菓子屋とか知ってる?」

「知ってる知ってる! 安いから子供のお小遣いに優しいんだよね!」

「そうそう! 懐かしいなあ。初等学院卒業してからあんまり行かなくなって、今じゃ全然行ってないや」

「あ、じゃあさ、この時間ならまだ開いてるだろうし、帰りに寄ってみない?」

「あ、いいね」

「すみません。今日はここでいいです」


 デビットに比べてウォルフォード家に行く機会が圧倒的に多いマーガレットは、いつもなら自宅の前まで送ってもらう。


 だが、今日はデビットと懐かしの店に寄って行こうと言う話になったので大分手前で降車すると運転手に言った。


「分かりました。お気をつけてお帰りください」

「はい。いつもありがとうございます」

「あ、ありがとうございました」


 車を降りたマーガレットは、いつも送ってくれる運転手に丁寧に頭を下げた。


 それを見たデビットも慌てて頭を下げる。


 車が走り去って行った後、頭を上げたデビットはマーガレットに称賛の声をかけた。


「凄いねマーガレットさん。こんなにちゃんとしたお礼をする人、同年代にいると思わなかったよ」


 そう言われたマーガレットは、後頭部に手を当てて「たはは」と苦笑した。


「シャルの家から帰るときは遅くなるから、いつも車で送ってもらうんだけどね。あんな高級車で送られて丁寧な対応をされると、勘違いしそうじゃない?」

「それは、まあ、確かに」


 デビットは、マーガレットの言葉にドキリとした。


 なぜなら、デビットは車で街中を走っている際、周囲の人間に対してちょっとした優越感を持っていたからだ。


「あの車も運転手さんも、全部ウォルフォードのものだよ。私はシャルの友達だから丁寧に接してもらってるだけ」

「そっか……そうだよな」


 マーガレットの言葉で、ようやくデビットは自分が勘違いしていたことに気付いた。


「だから勘違いしないように、送ってもらったときは自分ができる精一杯のお礼をするようにしてるの」


 そのマーガレットの言葉に、デビットは自分が恥ずかしくなった。


 まさに、マーガレットが指摘した勘違いをしてしまっていたからだ。


「凄いねマーガレットさん。尊敬するよ」


 デビットがそう言うと、マーガレットは「あはは」と照れて頬をかいた。


「そんな大層なものじゃないよ。だって……」


 マーガレットはそこで言葉を切って、ふわっと微笑んだ。


「それを勘違いしたら、私、シャルの友達でいられなくなっちゃうもん」


 そう言ってはにかむマーガレットに、デビットは不意にドキッとした。


 今まではクラスメイトの一人としか認識していなかったマーガレットのことが、急に可愛く見えた。


「あ、ほらほら、早く行かないとお店閉まっちゃうんじゃない?」

「え? あ、ホントだ」


 急に話しかけられたデビットは、ドキッとして顔をそらしながらそう言った。


 今が日暮れ間際の夕暮れ時で良かったと思った。


 絶対、顔が赤くなっているはずだから。


「あー、久しぶりだなー。楽しみ!」

「そ、そうだね」


 マーガレットは本当に楽しそうに、デビットはちょっとギクシャクしながら目的地であるお菓子屋を目指して歩く。


「そ、そういえば、マーガレットさんも代表決定おめでとう」

「ありがとー。いやー、まさかラティナさんが辞退するとは思わなかったなあ」


 今回の学内選抜戦では、二人の攻撃特化の魔法使いと、一人の治癒魔法士を選ぶことになっており、一年はマーガレットとラティナの二人のどちらかから選ぶことになっていた。


 しかし、シャルロットとレインの試合のあとに予定されていたその選抜試験を、ラティナは直前で辞退したのだ。


「ラティナさん、シャルロットさんが倒れたときにマーガレットさんが真っ先に飛び出して行ったのを見て「自分は全く動けなかった。ああ言う時に咄嗟に動けないと本番では役立たずになる」って言って辞退したんだよ」

「へえ、そうなんだ」

「僕、たまたま観戦席の近くにいてね。イリスさんにそう言ってたのが聞こえちゃったんだ」

「そうなんだ。なんでだろうとは思ってたんだけど、私が聞くのはちょっと憚られちゃって。教えてくれてありがと」

「あ、うん。どういたしまして」


 そんな話をしながらお店を目指していた時だった。


 角を曲がったところで、この近所にある高等学院の女子生徒数人とすれ違った。


 デビットとマーガレットは気にせず歩いて行ったのだが、女子生徒たちの方がデビットたちに声をかけて来た。


「ちょっ! デビット!!」

「え?」


 まさか声をかけられるとは全く意識していなかったデビットは、突然名前を呼ばれたことに驚き、思わず振り向いた。


 その視線の先にいたのは、できればあまり顔を合わせたくなかった人物だった。


「ナタリー……」


 声をかけて来た女子生徒であろう人物の名前を呼ぶデビットの顔は、あまり会いたくなかった人に会ってしまったという、非常にきまずそうなものだった。。


「誰?」


 デビットの隣にいたマーガレットは、そんな顔をするデビットのことが気になり、女子生徒について訊ねた。


「あー、例の元幼馴染み」

「へえ」


 デビットの隣に寄り添い、小声でやり取りをするマーガレットがとても親密に見えたのだろう、ナタリーと呼ばれた女子生徒はマーガレットをジロリと睨んだ。


「アンタ、デビットのなんなのよ?」


 そう問われたマーガレットは首を傾げた。


 デビットの話では、この幼馴染みはデビットのことを嫌っているはずだ。


 なのに、なぜ自分とデビットとの関係を聞いてくるのだろう?


 そう思ったが、黙り込んでいるわけにもいかず、本当のことを話した。


「クラスメイトだけど?」


 マーガレットがそう言うと、ナタリーはあからさまにホッとした顔をした。


「あっそ。仲良さそうにしてたから彼女かと思ったわ。あー、まあ、デビットに彼女とかありえないか」


 さっきはホッとしていたくせに、デビットのことを見下すようなことを言うナタリー。


 確かに、マーガレットはデビットの彼女ではないが、大切なクラスメイトではある。


 そのデビットを見下されたことにカチンと来たマーガレットは、つい反撃に出てしまった。


「そう? デビット君なら、彼女を作ろうと思えばいつでも作れると思うけど?」


 まさか反撃されるとは思っていなかったナタリーは、マーガレットの言葉に過剰に反応した。


「は、はあっ!? アンタなに言ってんの!? こんな奴に彼女なんかできるわけないでしょ!! 目、腐ってんじゃないの!?」


 その反応で、マーガレットはある程度事情を察知した。


 したが……隣でナタリーの言葉を聞いて唇を噛み締めているデビットを見て、ナタリーを許さないことにした。


「そう? ウチのクラスの女子は皆不思議がってたよ? デビット君に彼女がいないのは不思議だって」


 マーガレットがそう言った瞬間、ナタリーから『ギリッ』という音が聞こえた。


「は、はあっ? アンタたち、男を見る目がないのね? デビットなんかに色目使うとか、男に飢えてんじゃないの?」


 そう言うナタリーの顔は、マーガレットからはとても焦っているように見えた。


 しかし、ナタリーの気持ちはどうあれデビットを深く傷付けたことには変わりない。


 なので、マーガレットは虎の威を借りてでも容赦しないことにした。


「色目なんて使ってませんけど、そうですか。それでは、あなたが『私たちは男を見る目がない』と、そう言っていたと皆に言っておきますね」

「はっ。どうぞどうぞ、好きにしたらいいわ」


 そう言うナタリーを他所に、マーガレットはデビットに話しかけた。


「そういえば、殿下もデビット君に恋人がいないのは不思議だって言ってたんですけど、殿下の男性を見る目って相当レベル高いよね?」


 その言葉に、ナタリーは動きを止めた。


「で、でんか……?」


 そんなナタリーは視界に入っていないのか、マーガレットとの会話を続けるデビット。


「まあ、選んだ相手がシルバーさんだからねえ」


 そうやってマーガレットと笑い合うデビットに、ナタリーはさっきまでとは違う声色で話しかけた。


「ね、ねえ……殿下、って、なに?」


 若干震える声でそう訊ねてくるナタリー。


「ああ、ウチのクラス、オクタヴィア王女殿下が在籍されているんだよ」

「……はっ!?」


 オクタヴィアが高等魔法学院に在籍していることは知っていた。


 しかし、まさか王女とデビットが同じクラスだとは思わなかったナタリーは顔を真っ青にした。


 自分は、今、確かにデビットのクラスメイトの女子を指して『男を見る目がない』と言った。


 そして、マーガレットはそれを皆に伝えておくとも言った。


 つまり、それは、オクタヴィアにさっきの自分の発言が届く、という意味だった。


「ち、違っ……」


 必死に先程の発言を撤回しようとするが、恐怖で舌が回らない。


 なんとか必死に言葉を紡ごうとするが、一向に声が出てこない。


 そんなナタリーを見て、マーガレットは溜飲が下がったのか、デビットの腕を取った。


「え!?」

「!! ちょっ! ちょっと!!」

「ねえデビット君、もう行こうよ。こんなにも私たちを見下してくる人と関わるなんて時間の無駄だよ」


 マーガレットがそう言うと、デビットはをナタリーを見た。


「っ!」

「そうだね。僕のこと否定しまくってくる人と関わるとか、時間の無駄だよね」

「そうだよ。早く行かないとお店閉まっちゃうよ?」

「分かった。じゃあ行こう」


 デビットは、腕を掴んでいるマーガレットをそのままにし、目的地へと足を進めた。


「ちょ、ちょっと待ってよ!」


 慌てたナタリーがそう叫ぶと、デビットが振り返った。


「あ、そうだナタリー」

「な、なに?」


 ナタリーは、デビットの目が今まで見たことがないほど冷め切っていることに気付き、ビクッと震えた。


「ナタリー、僕のこと嫌いなんだろ?」

「……え?」


 デビットの言葉を、ナタリーは一瞬理解できなかった。


「知ってるんだよ。ナタリーが友達と笑いながら僕の悪口で盛り上がってたの」

「!?」

「僕は、皆のこと見下したことなんてないし、自分が凄いだなんて思ったこともないけど、ナタリーにはそう見えてたってことだよね」

「ち、ちが……」

「そんなこと言いふらされてさ、僕がどう思うかとか考えたことないでしょ?」

「あ……」

「僕のこと嫌いなら、話しかけてこなくていいよ。僕も、ナタリーと絡むと嫌な思いをするから、もう話しかけてこないで」

「い……いや……」

「さよなら。多分もう会わないよ」


 デビットはそう言うと、腕を掴んでいるマーガレットを引っ張るようにその場を後にした。


 まっすぐ前を向いているデビットと違い、マーガレットはチラチラと後ろを振り向いていた。


 そのマーガレットの視線の先では、ナタリーが膝から崩れ落ち、一緒にいた女子生徒に声をかけられている場面を目撃した。


 その光景を見て、マーガレットは思った。


 やり過ぎた、と。


 恐らく、ナタリーはデビットのことが好きなんだろう。


 あれは多分、拗らせたツンデレだ。


 自分の気持ちに素直になれないだけなら、協力してやろうかとも考えたのだが、真意がどうあれ自分やクラスメイトたちを見下す発言を聞いた瞬間、その気が失せた。


 なので、若干未練が残ってる感じだったデビットを吹っ切らせてやろうと、思考を誘導したのだ。


 その結果、デビットは過去の想いを吹っ切ったようだった。


(あー、完全に幼馴染みルート消えたな。もしかしたら、まだワンチャン残ってたかもしれないのに)


 吹っ切った結果、絶縁するとまでは思っていなかったマーガレットは、ワンチャンも失わせてしまったことに、ちょっと罪悪感を覚えた。


 だが、まっすぐ前を見つめるデビットを見て。


(ま、いっか。悪口言って嫌われたのは、あの子の自業自得だもんね)


 マーガレットはそう自己完結し、気にするのをやめた。


「やば。マジで店閉まるかも」

「えー!? ここまで来てそれはないよ! 走ろ! デビット君!」

「ああ!」


 そうしてお菓子屋に向かって走っていく二人を、ナタリーとその友人たちは、呆然と見送っていた。




「あ……あ……」


 去っていく二人を、ナタリーは地面に膝をついた状態で絶望の表情で見つめていた。


 そんなナタリーを見て、友人の一人が声をかけた。


「ねえ、あの子? ナタリーがいつも言ってる幼馴染みの男の子って」


 友人の言葉に、ナタリーは力なく頷いた。


 その様子を見た友人は、ナタリーを見て溜め息を吐いた。


 友人は呆れ返っており、慰める様子は全くない。


「っていうか、あれホント? アンタがあの子の悪口を言い回ってたって」

「う……」

「ホントか……なんでそんなことしたのよ?」


 益々呆れる様子の友人に、ナタリーはポツポツと話し始めた。


「アイツは……デビットは、高等魔法学院に入れるほどの魔法使いなの」

「そういや、あれ、高等魔法学院の制服か。滅多に見ないから忘れてたわ」

「平民の中等学院にさ、高等魔法学院に入れるほどの力を持った生徒がいたら……どうなると思う?」

「そりゃ、普通に争奪戦……ああ、そういうこと?」


 友人は、ナタリーの行動の真意が分かったようだった。


「アイツ……学院中の女から狙われてた……なんか、お互いがお互いを牽制しあってたから誰も告白には行けなかったみたいだけど……」

「誰かが抜け駆けして告白しに行くのも時間の問題と。で、そうならないように彼の悪評を流して彼に近付く女を減らしたかった?」

「……」


 無言でコクリと頷くナタリーを見て、友人は深い溜め息を吐いた。


「なんつーハイリスクなことを……」

「……だって、それしか思い浮かばなかった……」

「その結果、彼にバレて嫌われたってか。アンタの自業自得過ぎて慰める気にもならないわ」

「う、うぅう……」


 友人にそう言われたナタリーは、ポロポロと涙を零した。


 そんなナタリーに構わず、友人はさらに彼女を追い詰める。


「それに、彼と一緒にいた女の子、高等魔法学院の同級生でしょ? ってことは魔法エリートだし、結構可愛かったし、優しそうだったし、何よりデビット君も満更でもなさそうだったし、アンタにもうチャンスないじゃん」

「追い討ちかけんな馬鹿!!」


 そう叫んだナタリーは「うわあぁっ!」と道端で号泣し始めた。


 そんなナタリーを見ながら、友人は内心で(彼、ナタリーのこと微妙な顔で見てたし、ナタリーが素直になってたら上手くいってた気がするんだけどな)と思ったが、流石にこれ以上の追い討ちは致命傷かと思ってそれを口にすることはなかった。


 そして、ナタリーが少し落ち着いてきた頃、それまでずっと待っていた友人は、ナタリーの肩をポンポンと叩いた。


「ほら、そろそろ帰ろうよ。明日、失恋のやけ食いに付き合ってやるから」

「うぅぅ……」


 失恋という言葉を聞いて、またも涙が溢れてくるナタリー。


 これ以上は面倒臭いと友人もフォローはしなかったのだが、あることを思い出し、それは口にした。


「そういや、アンタ明日からやばいかも」

「……え?」

「え? って。なんで忘れてんのよ? アンタ、オクタヴィア王女殿下のこと、男を見る目がないとか言ったのよ? 彼女、殿下と仲良さそうな雰囲気出してたし、もしかしたら殿下に報告されるかも……」

「ヒィッ!!」


 友人の言葉で、王族への不敬発言があったことを思い出したナタリーは、不敬罪による処刑の恐怖の感情に塗り潰され、失恋の辛さに浸る余裕など失ってしまったのだった。


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