第66話 若者の迷い

 歩行者を巻き込んだ馬車の衝突事故。


 多くの怪我人を産み出した大事故だったが、被害者にとって幸運だったのは、事故が起きた場所が病院の近くだったこと。


 そして、その病院には偶々、本当に偶々シシリーたち一行が立ち寄っていた。


 即死者がいなかったことも幸運だった。


 一見して致命傷を負っていると思われた重傷者も、シンとシシリーが二人がかりで治療に当たったことで、事故の規模にも関わらず一人の死者も出すことなく、その日中には被害者全員が歩いて帰宅できるまで回復した。


 そして、最後の一人を見送ったあと、ラティナは安堵の息を吐いた。


「皆、無事に帰れて良かった」


 ラティナの耳には、怪我を治してもらって感謝してくる患者たちの声が残っていた。


 ありがとう、助かった、あんたは女神様だ。


 最後のは大袈裟だと思うが、治療を施した人から感謝の言葉を貰うのは嬉しかった。


 自分の力が褒められたからというのはもちろんある。


 しかし、それ以上に、患者さんを助けるということは、その人の今後の人生を助けるということ。


 それを成せた証が感謝という言葉で返ってきていると、ラティナは思った。


「それにしても……やっぱりシン様とシシリー様は凄い」


 ラティナは、自分に割り振られた治療を行いながらも二人の治療を見ていた。


 二人が魔法の熟達者だということは重々承知していた。


 しかし、実際の現場で見たのはこれが初めて。


 中でも圧巻だったのは、千切れた腕や足を魔法で繋げてしまったこと。


 しかも、繋げた腕や足は、その直後から問題なく動かすことができていた。


 あれはシシリーから治癒魔法の指導をしてもらっていなければ、人知を超えた所業にしか見えない。


 事実、それを見ていた医師たちは、シンとシシリーのことを神のごとく敬い始めていた。


 これなら、ヨーデンに治癒魔法が広まるのは早いだろう。


 留学して以降、ラティナの目標になっていたヨーデンでの治癒魔法の普及にこれほど追い風になるものはない。


 あとは、自分が治癒魔法を極めてヨーデンに普及していけばいい。


 目標が明確になったラティナは、治癒魔法の連続行使で疲れていたが、実に充実感に溢れていた。


 そんなとき。


「ねえ、ラティナ」


 今回の事故ではなにもすることができず、医師や看護師たちの助手として動いていたイリスが声をかけてきた。


「ん? どうしたの? イリス」

「……」


 ラティナを呼び止めはしたが、イリスはなにかを言おうとしてはまた口を噤んでしまい、中々言葉を発しない。


 ラティナは、イリスがなにかを言いたいけど上手く言えないのだと思い、イリスが言葉を発するまでジッと待った。


 そして、しばらく待ったあと、ようやくイリスが言葉を発した。


「あ、あのさ、ラティナ。その……アンタ、治癒魔法師になるの?」

「うん。そのつもりだよ」

「……いいわね。アンタは目標ができて」

「え?」


 そう言われて、ラティナは首を傾げた。


「留学生に選ばれたのが、アンタじゃなくて私だったら、私が治癒魔法師になれていたのに……」


 イリスの言葉にラティナは思わず目を見開いた。


「え……もしかして、イリスも治癒魔法師を目指していたの?」


 まさか、イリスも自分と同じ夢を持っていたとは思わなかった。


 そもそも、治癒魔法はアールスハイドに留学してから存在を知ったもの。


 本当は攻撃魔法を覚えるための留学だったが、治癒魔法というヨーデン人にとっては夢のような魔法の存在を知ってしまった。


 その存在を知ってから、ラティナは治癒魔法に夢中になった。


 これがあれば、ヨーデン人の多くを助けることができる。


 なので、攻撃魔法も覚えていったが、熱の入れようは治癒魔法に傾いていた。


 そして今日、治癒魔法師見習いとして沢山の人を救った。


 そんな治癒魔法師という存在にイリスも憧れていたなんて知らなかった。


「……いや、そういえば、特にそんなこと思ったことないわね」

「っ!」


 少し考えてから発したイリスの言葉に、ラティナは思わずコケてしまった。


「ちょ、なにそれ? だったら、なんの話なのよ?」


 わざわざ話しかけてきたのに、その取っ掛かりの話題をイリス自身が否定した。


 一体この時間はなんなのか? 意味が分からず思わずラティナが問い質してしまったのは正しい行動だろう。


 しかし、イリスにはイリスの言い分がある。


「……もし、私が留学生に選ばれていたら、私も将来の目標を決められたのかな?」


 そう言うイリスの表情は、ラティナのことが羨ましいと如実に物語っていた。


「もしかして、将来に迷ってるの?」

「……迷ってるっていうか、迷いが生じたっていうか……なんだろうね」


 そう言って、イリスは曖昧に笑った。


「今日さ、アールスハイドの人たちに魔法を教えてもらって……凄いなって思った」

「そうだね。凄いよね」

「魔力制御量も多いし、攻撃魔法も凄いし、変成魔法だって不格好だけどすぐに使えるようになってたし」

「うん」

「それに比べて私たちは……魔力量も全然だし、攻撃魔法に至っては発動すらしなかった」

「……それは仕方ないよ」

「でも! アンタは出来てた! 魔力量も多くなってたし、攻撃魔法だって使えてた! つい何ヶ月か前までは私たちと同じだったのに!」


 イリスがそう叫んだことで、ラティナはイリスの態度にようやく得心がいった。


 ああ、そうか。イリスはついこの間まで肩を並べていたはずの自分が先に行ってしまったようで焦っているんだ。


 そう納得したラティナは、叫んでしまったあとハッとして俯いたイリスに自分のことを話した。


「ねえ、イリス、私は留学してまだ数ヶ月。それでも、あれだけの魔法が使えるようになったわ」

「……なによ、嫌味?」

「違うよ。ヨーデンにいたとき、私とイリスにそんなに実力に差はなかった。けど、留学したら差が出来てしまった。これって、なんの差か分かる?」

「……」


 イリスは少し考えてから自分なりの答えを言った。


「魔法を教えてもらえる環境?」

「そう。私も、最初は魔力量の増やすことが怖かった。でも、この腕輪を貰ってから、暴走の恐怖から解放されて魔力量を増やす訓練ができた。今日、イリスも貰ったよね?」

「え? くれたの? 貸してくれたんじゃなくて?」

「多分くれたと思うよ。だってコレ、アールスハイドじゃ魔法使いは全員必須で付けていないといけないから支給されるんだよ」

「そんなことして、この魔道具を作ってるところ大丈夫なの?」

「作ってるのはシン様なんだって。シン様、自分で商会を経営されているんだけど、凄い利益を出しているから、これは魔法使いへの利益還元事業だって言ってた」

「……」


 シンのことは、今日初めて知った。


 アールスハイド生たちの話では、シンはまさに生ける伝説。


 この世界を容易に征服できるほどの力を持ちながら、その力を民衆を助けるために使う、真に英雄と呼ばれるに相応しい人物。


 その話を聞いたとき、イリスはまるでお伽噺の主人公のようだなと思った。


 そして実際に対面したとき、その考えが正しいことを知った。


 一体なにをしたのか、この国で最強と謳われる兵士たちが、シンを前にして蒼くなり震えていた。


 しかし、兵士たちにシンに対する恐怖心はなく、なんというか畏怖している、という言葉がしっくりくる感じになっていた。


 そんな人物なのに、経営まで得意なのかと、イリスはシンがどれだけ有能なのかと呆気に取られた。


「まあ、シン様のことは、あんまり深く考えない方がいいよ。私も色々話を聞いたし直接言葉を交わすこともできたけど、とにかく全部常識外の人。ミーニョ先生が言ってたけど、神様の遣いだと思っていた方がいい」

「そ、そうなんだ」

「うん。話を戻すね。そんな魔道具があって、昔から攻撃魔法が盛んだったからその教育方法もしっかりしている魔法学院で魔法を教えてもらった。ここまで揃っていたら、私でも色んな魔法が使えるようになるんだよ」

「……だから、それが羨ましいんじゃない」

「じゃあ、今の状況は?」

「?」

「私と同じく、魔力制御用の魔道具を貰って、アールスハイド最高の魔法学院の教師であるミーニョ先生に教えてもらって、攻撃魔法に関してはその人外のシン様に教えてもらっている。アールスハイドの人たちだって羨むほどの環境だよ」

「……そっか」

「そうだよ。だから、この一週間、一緒に頑張ろ。絶対にイリスのためになるよ」


 ラティナがそう言うと、イリスは頷いた。


「そうね。よくよく考えてみたら、私だって恵まれてるわ。ラティナが私以上に恵まれてるから焦ったのかもしれない」

「そうだよ。それに、今後アールスハイドと国交ができれば自力で留学できるかもしれないよ? それからでも遅くないよ」

「……でも、その間にアンタは先に行っちゃうんでしょ?」

「それは勘弁してよ。折角聖女様と言われているシシリー様に治癒魔法を教えてもらえる幸運に預かってるんだから、こんな機会逃せないよ」

「やっぱり、シシリー様ってアールスハイドでも聖女様って呼ばれてるんだ?」

「もう凄いよ? 皆がシシリー様のことを敬愛してるの。シン様のことは拝んでる人もいるよ」

「はぁ……なんか、私たちとは次元の違う話ね」

「まあ、それだけご苦労されたからかもしれないけどね」

「そうなんだ。どんな話か知ってる?」

「うん、アールスハイドでは有名な話でね……」


 ラティナは、ようやく焦りや不安を感じていたイリスから肩の力が抜けたことを確信し、アールスハイドで語られているシンたちの逸話を話し出した。


 病院にいる時間内では話し切ることができず、その日イリスはラティナの滞在しているホテルに泊まることになった。


 そこでラティナと同室になっているアリーシャも交え、遅くまでシンたちの話で盛り上がった。


「そんな凄い人と、今同じ屋根の下にいるなんて、興奮してくるわね」


 ラティナたちの部屋で興奮気味にそう言うイリスだったが、ラティナたちはなぜか苦笑していた。


「なによ? ミーハーだとでも言いたいわけ?」

「いえ、そうではなくてですね」

「あのさ、イリス。実は……今シン様とシシリー様はこのホテルにはいないのよ」

「え?」

「今日の授業が終わったあと、アールスハイドに帰られましたわ。なんでもお仕事が残っているそうで」

「え? え?」


 ラティナとアリーシャの言葉が、イリスは全く理解できない。


「帰った、ってなに?」

「そのままの意味ですわ」

「いやいや! 無理でしょ!? ここからアールスハイドまでどれくらい遠いと思ってるの!?」

「ああ、お二人にはその距離をゼロにできる魔法がありますから」

「は?」

「まあ、所謂瞬間移動の魔法だよ」

「瞬間移動!?」

「まあ、厳密には違うらしいですけど、まだ私たちには理解の及ばない魔法ですし、これはシン様の運営するアルティメット・マジシャンズという組織の機密魔法。誰もが使えるわけではありませんわ」

「いや、そんなことより! そんな夢みたいな魔法があるの!?」

「ええ。なんでも、シン様が開発されたとか」

「シン様が……」

「しかも、その魔法を開発したのは高等魔法学院入学前。つまり、今の私たちより年下のころです」

「……」


 アリーシャの補足情報に、イリスは開いた口が塞がらない。


「ね? 比べるだけ無駄でしょ? シン様は常識外の存在だよ」

「……ラティナの言っている意味がよく分かったわ。そんな凄い人から魔法を教えてもらってるんだね、私たち」

「うん。だから、少しでも身になる様に頑張ろうね」

「うん、そうだね」


 ラティナの言葉に、今度は素直に頷いたイリスだった。

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