第65話 ママの治癒魔法と病院的修羅場
訓練場をあとにした私たちは、複数台の馬車に分かれて病院を巡ることになっている。
訪れる病院は、すでに政府の方で決められており、勝手にあちこちの病院に行くことはできない。
事前の通知とか準備とかあるからって、ラティナさんのお兄さんは言っていた。
そうして馬車に乗っているのだけど……。
「イリスさん? どうして貴女まで乗っているの?」
そう、パパとママ、ラティナさんと私が乗っている馬車に、なぜかイリスさんも乗って来たのだ。
「べ、別に……シャルさんとは、学校とか訓練場とかの練習でパートナーを組んでいるから、ご両親に挨拶するのは当然でしょ?」
うん。
メッチャ言い訳くさい。
多分、今日の会話の内容から、パパとママに興味を持ったんだろうな。
そして、都合がいいことに実習のパートナーは私。
これ幸いと接触してきたのだろう。
「そ、それに! ラティナはシシリー様に治癒魔法を教えてもらってるんでしょ!? ズルイじゃない!」
あ、そっちか。
ラティナさんが幻の魔法と言われた治癒魔法を習っていると知って、悔しくなったんだねえ。
「あら、貴女、治癒魔法に興味があるの?」
ラティナさんとイリスさんの会話から、イリスさんも治癒魔法に興味があると認識したのか、ママがイリスさんに話しかけた。
「あ、は、はい! えっと、私、イリス=ワヒナです! シャルさんとは実習でパートナーを組んでます! 私も、治癒魔法に興味があります!」
イリスさんは、ママの前で緊張しながらもハッキリとそう言った。
「まあ、シャルのパートナー……ねえイリスさん、シャルが迷惑をかけていませんか?」
「い、いえ! 全然そんなことはありません! むしろ、的確にアドバイスをしてくれて凄く助かってます!」
「そう……」
ママはそう言うと、私の方をジッとみて、フッと微笑んだ。
「シャルも成長しているのね」
「うん。へへ」
「ついこの間まで、どれだけトラブルを起こすのかっていうくらいトラブルを起こしまくっていたのに……」
「……」
否定できない!
散々なママからの評価を聞いて落ち込んでいるうちに、いつの間にか馬車が病院に到着した。
病院の前では、なんか偉い感じの人が出迎えてくれた。
院長さんだったそうで、挨拶もそこそこに患者のいる病室へと案内された。
まず通されたのは、この病院で一番重症な患者の部屋。
「この病室の患者は、長年肺を患っておりまして……昨日から意識混濁に陥り、意識が無くなりました。もう余命いくばくもありません……」
院長さんの台詞のあと、ママはベッドの側に行き患者さんを見た。
その患者さんは……短く浅い呼吸を繰り返し、今にもその命の火が消えそうに見えた。
死ぬ寸前の病人を初めて見た私は、そのあまりの容貌に思わず恐怖心を抱いてしまった。
しかし、ママの表情には全く変化はない。
穏やかな、慈愛に満ちた微笑を浮かべながら患者さんの家族に声をかける。
「私は、この大陸の遥か北にある大陸から来た治癒魔法師です。今からこの患者さんに治癒魔法をかけたいと思うのですが、よろしいですか?」
微笑みながらそう言うママに、患者さんの家族は懐疑的な表情を浮かべたままだった。
「昨日、院長先生からそういう人が来るっていうのは聞いてましたけど……本当なんですか? 治癒魔法なんて、お伽噺の魔法でしょう?」
今まで見たこともない、伝説やお伽噺としてしか聞いたことがない治癒魔法だ。
患者さんの家族がそう思うのも無理はない。
ママは、その疑念も織り込み済みなのか、全く動揺しなかった。
「初めて見るのであれば不安も大きいことでしょう。しかし、このままではこの方の命は幾ばくも無い。私も、必ず治せるとは断言できませんが、一縷の望みをかけてみてもいいのではないでしょうか?」
ママがそう言うと、患者さんの家族は顔を見合わせたあと、ママに向かって頭を下げた。
「よろしくお願いします」
「はい」
家族からの要望を受けたママは、微笑みから一転、真剣な表情で患者さんに魔法をかけた。
あれは、スキャンの魔法だ。
治癒魔法は闇雲にかけるより、必要な場所に最適な魔法をかけることが重要。
今ママは、その患部の診断をしているのだ。
その診断が終わり、続けてママは患者さんに向けて治癒魔法をかけた。
魔法を行使し続け、ママの額に汗が滲んでくる。
しかし、そんなものには一切構わず、ママは魔法を行使し続ける。
……こんなに長く治癒魔法をかけてるの、初めて見た。
余命幾ばくも無いって言っていたし、相当重症なんだろう。
本当に治せるんだろうか?
もし失敗したら、ヨーデンに治癒魔法を広めるどころかインチキ呼ばわりされてしまうんじゃ……。
そんなよくない想像なかりが浮かんできたころ、ママが魔法の行使を止めた。
恐る恐るママの顔を見てみると、小さく息を吐き、真剣だった表情から元の微笑みを浮かべた表情になった。
「治療が終わりました。悪いところは全部治せたと思います。あとは、落ちた体力を戻すように、食事と運動をさせてあげてください」
ママがそう言うと、患者さんの家族は、一斉に患者さんを見た。
患者さんは、さっきまでの死にそうな状況から一転、穏やかな呼吸をし表情も安らかになった。
その様子に患者さんの家族が驚いていると、患者さんが目を覚ました。
「……あれ? 体が辛くない……そうか、俺、もう死んだのか……」
患者さんがそう言うと、患者さんの家族の目に涙が溢れた。
「死んでないよ! アンタはまだ死んでないよ!」
「治ったんだよ! 父ちゃんは治ったんだよ!!」
患者さんの家族……奥さんと息子さんが患者さんに縋りつき涙を流しながらそう叫んだ。
言われた方の患者さんは、状況を確認できず目をパチクリさせている。
「治ったってお前……昨日まで死にそうだったんだぞ? そんな都合のいい話があるわけないだろ」
「それがあるんだよ! こちらの治癒魔法師様が、アンタのことを治してくださったんだよ!」
「は? 治癒魔法?」
患者さんがそう言いながらママを見る。
すると、ママを見た患者さんが、顔を赤くして固まった。
見惚れたな。
「病巣は治癒しましたので、もう問題ないかと思います。しかし、随分と体力が落ちてしまっているようなので、これからは沢山食事を取り、適度な運動をして徐々に日常生活を送れるようにしてください」
「え、あ、あの、はい……いたっ! お前! なんで抓るんだ!!」
「ふん!!」
ママに見惚れていた患者さんの脇腹を、奥さんが思い切り抓った。
抓ったあとソッポを向いてしまった奥さんだけど、その目には光る物があった。
もしかしたら、こんなやり取りは永遠にできなくなってしまったかもしれなかった。
けど、その未来は覆された。
悪態を付きながらも、そうできることが嬉しくて仕方ないんだろう。
口元だって、笑わないようにヒクヒクしている。
それは、さっきまでの暗く沈んだ雰囲気からは想像もできないくらい温かなやり取りだった。
「それでは、私はこれで失礼します。あとは病院の方の指示に従ってくださいね」
そう言ってママが部屋を出ようとすると、息子さんが「あ、あの!!」と大きな声でママを呼び止めた。
「父を……父を助けてくださって、有難うございました!!」
息子さんはそう言ったあと、深々と頭を下げた。
奥さんも患者さんも、息子さんと同じように深々と頭を下げている。
それに対してママは。
「いえ、これが私の仕事ですので。どうかお気になさらず。お大事になさってくださいませ」
そう微笑みながら会釈をすると、そのまま部屋を出て行ってしまった。
部屋の中では、いつまでも患者さんとその家族が頭を下げているのが見えた。
はぁ……。
凄いのは知っていたけど、あんな死にかけの患者さんまで治せるのか。
そりゃ、アールスハイドで敬愛されるはずだよ。
で、結局、ママがなにをしたのか分からなかったので、治癒魔法師見習いの二人にさっきの魔法について聞いてみることにした。
「ねえ、さっきのママの魔法、なにしたの?」
私の質問に対し、レティとラティナさんは、揃って首を傾げた。
「さっきの患者さん、肺の病気だって言ってたでしょ? だからシシリー様は肺に対して治癒魔法をかけた」
「うん。それは分かってるよ。具体的に、なにをどうしたの?」
「「……」」
どうやら、二人もママがなにをしたのか分からなかったらしい。
ある程度治癒魔法を知っている私たちでも分からなかったそれは、治癒魔法を一切知らないヨーデンの医師にとっては、まさに衝撃的な光景に見えたようだった。
「……奇跡だ。私は今、奇跡を目の当たりにした……」
病院の院長さんという、医療のスペシャリストが、ママの治癒魔法のことを「奇跡」と言い表した。
そしてそれは、他の医師にも伝播し、ママの行った治癒魔法による治療を奇跡と称賛した。
凄い、ママの治癒魔法、効果は抜群だ。
この病院に来たとき、医師たちからは胡乱気な眼差しで見られていたし、なんなら他国のお偉いさんが戯れに来たと敵意を見せる医師もいた。
けど、たった一度の治癒魔法の行使で、ママはそういった否定派の医師たちを自分の味方に引き込んだ。
これで、この病院では治癒魔法を覚えたいという医師が増えることだろう。
治癒魔法の宣伝という意味では、最上の滑り出しを見せた。
そして、感動に打ち震える院長さんに次の患者さんのところへと案内してもらおうとしたとき、看護師のお姉さんが息を切らせて走ってきた。
「院長! 大変です!!」
「なんだ、騒々しい! 今、大事なお客様の案内をしているところなのだぞ!!」
「そ、それは重々承知ですが! それより今連絡があって! 馬車同士の大規模な事故が発生したそうで、周りの歩行者も巻き込み、大量の怪我人が運び込まれているんです!!」
「な、なんだと!?」
ええ!? 馬車の大規模事故!?
しかも歩行者が巻き込まれているって……それって、一刻の猶予もないやつじゃん!!
「シシリー!」
「はい! 院長! 私たちも治療に向かいます! 案内してください!!」
ママの護衛のためについてきているパパがママの名前を呼ぶと、ママは全部分かっているかのように返事し、自分も治療に参加すると申し出た。
「は、はい! こちらです!!」
ママが起こした奇跡を目の当たりにした院長は、ママの提案に一もにも無く飛び付いて、ママたちを治療室まで案内していく。
私も、簡単な治癒魔法しか使えないけど、それでも少しでも力になれることはないかと思い、レティとラティナさんと共にママたちのあとを追いかけた。
そして辿り着いた治療室は……さながら地獄絵図だった。
部屋に入った途端、あまりにも濃い血の匂いに吐き気がした。
私だけでなく、治癒魔法を習っているレティもラティナも手を口に当てている。
それほど酷い状況だった。
多少治癒魔法の心得があるレティたちでもそうなったんだ、全くそんな経験がない人たち、特にヨーデンの生徒たちは、実際にその場で吐いてしまっている人もいた。
「重傷者をこちらへ!! 最優先でお願いします!!」
「俺のところでも構わない! マーガレットさん! ラティナさん!」
「「は、はい!!」」
「悪いけど、二人は軽傷者の治療を頼む! 難しかったら血止めだけでもいいから!」
「「分かりました!!」」
パパの指示を受けて、レティとラティナさんの二人は、看護師さんのところに向かった。
私は……私は、どうしたら……?
こんな経験が初めてな私は、どうしていいのか分からず、オロオロしてしまった。
「シャル! こっちに来て手伝ってくれ!!」
「わ、分かった!」
良かった、とりあえずパパの指示に従っていれば間違いない。
そう思ってパパの側に近寄っていったんだけど……。
「うっ!」
「すまないけど、この人の飛び出した内臓を、腹腔内に押し込んでくれ!」
「う……おぇ……」
「吐きそうになるのは分かるけど、今は緊急事態だ! 我慢してくれ!」
「わ、わかった……」
思わず目を背けたくなる状況だったが、これは緊急事態。
パパが治癒魔法をかけるにしても、内臓が出てしまっていては流石のパパでもどうしようもない。
なので、吐きそうになるのを必死に堪えながら、私は生温かく柔らかい内臓を必死にお腹の中に押し戻した。
「……よし。シャル、手を離せ」
「はい」
パパの指示に従ってお腹に押し込んでいた内臓から手を離すと、パパはすぐに治癒魔法を行使した。
ママは当然凄いとして、パパの治癒魔法は今まで見たことがなかった。
今回初めて見たけど……。
ハッキリ言って、凄すぎる。
魔法を行使して、お腹の中を魔法でグニグニして、しばらくすると内臓が飛び出るほどの傷が塞がり、跡形もなくなってしまった。
すご……はや……。
パパの治癒魔法の凄いところは、なにより早いところ。
今のも、素人が見たらすぐに諦めてしまうような傷だったのに、あっという間に治してしまった。
その様子に医師たちは騒然となった。
「うおっ! シシリー様だけでなく、シン様も凄いのか!」
「まさか……あんな致命傷まで治せるとは……」
ママが特別だと思っていた医師たちが口々にそんなことを言っているのが聞こえたのだろう、治癒魔法を使いながらもママが医師たちに話しかけた。
「主人が凄いのは当然です。なにしろ、主人は私の治癒魔法の師匠ですから」
『え?』
ママの言葉に、医師たちは固まった。
さっきまで称賛していた人の師匠がすぐ近くにいたなんて気付かなかったんだろう。
その人を差し置いてママを称賛し続けたことに、今更気付いたんだな。
『シシリー様、結婚していたのですか!?』
こいつ等もそっちか!!
「え、っていうか、ママはいい歳なんだから、結婚しててもおかしくないでしょ?」
私が近くにいた医師にそう言うと、医師は戸惑いながらも返事をしてくれた。
「い、いや、ほら、小説とかだと聖女様って清い身体でないといけないって言うだろ? だからまさか結婚しているなんて思わなかったんだ」
「いや、聖女って。そんなこと一言も言ってないでしょ」
「シシリー様を聖女様と呼ばずして他に誰をそう呼ぶと言うのだね!? シシリー様が聖女様であることは、世界の道理であるのだよ! 君、分かって……いる……?」
はあ、ヨーデンの人から見ても、ママは聖女様に見えるのか。
まあ、他称だし、別にいいのかな?
話を聞きながらそう思っていたのだが、なぜか台詞の最後が段々小さくなっていった。
そして、私の顔をジッとみた。
「えっと、君、今、ママって言った?」
「うん」
「ママって誰?」
医師がそう聞いてきたので、今も治療を続けているママを指差した。
「ママ、と、パパ」
ママを指差したあと、新たに運ばれてきた患者さんの千切れた腕を繋げているパパを指差した。
うげ……またスプラッタな場面見ちゃった……。
「……娘さん?」
「うっ……うん? うん、そうだよ」
「……養子、とか?」
「実の娘です」
「!!」
その医師……いや、周りの医師もか、全員が愕然とした顔をして私を見ている。
なんだこのやろう。
私がママに似てないってか? なんだ? 戦争か? やってやんよ、お?
そう思っていると……。
『こんな大きな娘がいるのおっ!?』
「? お兄ちゃんもいるよ?」
『さらに上までいたあっ!!』
医師たちはそう言って、その場に
ああ、ママの子供が思いの外大きくて驚いていたのか。
どうやら戦争は回避されたようだ。
いやあ、良かった良かった。
……いや、全然良くねえわ。
医師たち、皆そろって何遊んでんだ?
「……皆さん、こんなところで私の相手をしてていいんです?」
私がそう訊ねると、医師たちは苦笑を浮かべた。
「あれではね。私たちの出る幕はないよ」
医師がそう言って指し示したのは、軽傷の患者を治して回っているレティとラティナさんの姿があった。
「重傷者はシシリー様とシン様があっという間に治療してしまうから軽傷者の治療をしようと思っていたのだが……それも必要なさそうでな」
ああ、だからこんな余裕があったのか。
「それよりも、アールスハイドの方々が凄いのは分かったけど……あそこで治療をしているのはこの国の子だろう? 彼女はなぜ治癒魔法が使えるんだ?」
「ああ、あの子は今アールスハイドに留学してきている子です。それで、治癒魔法を覚えてヨーデンに帰りたいと言うので、ママに治癒魔法を教えてもらっているんです」
私がラティナさんのことを説明すると、医師は眩しそうな顔でラティナさんを見た。
「そうか……アールスハイドの人間でなくとも、治癒魔法は覚えられるのか……」
「覚えられますよ。だって、魔法だもの」
「……特別な資格とか、資質とかいらないのか?」
「んー、特にないかな?」
「……そうか」
そう言った医師の目は、なにかを決心した目だった。
そして、医師たちとこんな話をしている私も、実は暇になっていたりしたのだった。
だって、ママたちが凄すぎるんだもの。
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