第41話 思いの決別と想定外の事態
魔法訓練場である荒野から自宅に戻ってきたシシリーは、落ち込んだ様子のラティナをリビングに誘導し、温かい紅茶を飲ませて落ち着かせた。
紅茶を飲んで身体が温まり、気分が落ち着いてきたと見たところで、ラティナに話しかけた。
「それで? どうしたのかしら? なにか心配事? それとも、悩み事かしら?」
シシリーはそう訊ねるが、ラティナは答えることができない。
なにせ、その悩みの原因はシシリーの身内なのだから。
言いたいけど言えず、ますます固くなるラティナを、シシリーは辛抱強く待った。
それでもなにも言えず俯いているラティナに、仕方なしに手を差し伸べることにした。
「話しにくい? それとも話したくない?」
「……話しにくいです」
「そう……じゃあ、シャルになら話せる?」
「……もっと話しにくいです」
「うーん……」
特別話せない内容ではないけど、話しにくい。
人を替えても駄目。
となると、詳細を聞くのは無理だなとシシリーは切り替えた。
「じゃあ、細かく話さなくていいから、それって学院での悩み? 勉強に行き詰っているとか」
「違います」
「そう。じゃあ、人間関係?」
「!?」
シシリーの問いにラティナが反応した。
人間関係の悩みで、シャルに話しにくい内容……。
「……もしかして、シャルと上手くいってない?」
「い、いえ! シャルさんは本当に良くしてくれています! シャルさんのお陰で、毎日楽しく過ごせています!」
「そう、それは良かった」
ラティナが必死に否定してくれたのでシシリーはホッとしたのと同時に嬉しくなった。
我が娘は、ちゃんとラティナのお世話ができていて、良好な関係も築けているようだ。
しかし、そうなると人間関係で悩むとなるとアレしか思い付かない。
「なら……恋愛関係かしら?」
「っ!!」
シシリーの言葉に、ラティナはバッと顔をあげた。
そして、ポロポロと涙を溢した。
「ちょ、ラティナさん、大丈夫!?」
急に涙を流し始めたラティナに、シシリーは驚き、対面に座っていたソファーから立ち上がってラティナの横に座り、背中を摩って慰めた。
「す、すみま、せ……」
「いいの。いいのよ。とりあえず、泣いて、吐き出してしまいなさい」
「う、ううぅ……」
背中を摩ってくれるシシリーの優しさに触れ、シシリーに縋りついて泣き始めてしまったラティナ。
そんなラティナを受け止めているシシリーは、ラティナが泣き止むまでずっと背中を摩り続けていた。
そうしてしばらく経過し、ようやくラティナが泣き止み顔をあげた。
そして、しゃくりあげながらシシリーに心情を吐露し始めた。
「……あのっ、私、他に好きな人がいる人を、す、好きに、なっちゃって」
「うん」
「それ、でっ、どう、見ても、お互い、好き、合ってて、わたしがっ、入る、隙間なんて、なくてぇ」
「うん」
「でも、それでも、好き、でぇ」
「うん」
「もう、どうしたらいいのか分からなくてぇ」
「そっか」
「うぇえええ」
ラティナはまたシシリーに縋りついて泣き出してしまった。
そして、シシリーはまたラティナの背中を優しく撫で続けた。
そうしてまたしばらく経ったころ、泣き止んだラティナがゆっくりと顔をあげた。
「……ズッ! あ、あの……すみません、みっともないところを見せてしまって」
「ふふ、いいのよ。それで、少しはスッキリしたかしら?」
「……はい。そうですね。元々叶う見込みはなかったんです。それなのに、諦めきれなかったので……でも、これでスッキリしました。もうこの思いは諦めます」
まだ泣いた余韻が残っているが、スッキリした表情のラティナを見てホッとした。
「そう……もう大丈夫?」
「はい!」
「じゃあ、皆のところに戻りましょうか。ちょっと待っていてね」
「え?」
シシリーはラティナの顔に手を翳すと、魔法を行使した。
シシリーの手から、温かく心地いい魔力が伝わってくる。
その心地よさに、ラティナは思わず目を閉じた。
「はい。もう大丈夫よ」
その言葉と共に、温かい魔力が途切れたので目を開けると、顔に違和感があった。
違和感というか、凄くスッキリしていた。
「ちょっと目元が腫れていたから、治癒魔法で治しておきました。これで、皆には泣いたことはバレませんよ」
シシリーはそう言うと、ラティナに向かってウィンクした。
ラティナは、初めて自分自身で経験した治癒魔法とシシリーに、心を撃ち抜かれてしまったのだった。
ウォルフォード家での治癒魔法訓練のあと、宿舎に戻ってきたラティナは、ベッドに倒れ込むと両手で顔を覆った。
「はぁ……シシリー様、素敵だった……」
ついさっきまでシルベスタへの思いを引き摺っていたのに、今ではその想いを諦め、その母であるシシリーにときめいてしまっていた。
シシリーは同性であるため、抱いているのは恋愛感情ではなく尊敬の念だが。
しかし、ラティナの心は確実に軽くなっていた。
あとは、兄にシルベスタとのことは駄目だったと報告すればいい。
兄も、駄目でもともと、成功したらラッキーだと言っていた。
これで、煩わしいことは全部終わると、そう思っていた。
面倒なことは早く終わらせてしまおうと、ラティナは兄の部屋を訪れ、扉をノックした。
『はい?』
「お兄ちゃん? 私」
『ああ。入ってくれ』
兄からの了解が出たので、ラティナは部屋に入る。
兄の部屋は、色んな書類が散乱していて、お世辞にも綺麗とは言えなかった。
「もう、もっとちゃんとしてよね」
「悪い悪い。それで? お前から訪ねてくるなんて珍しいな」
「ああ、うん。ちょっと報告があって」
「報告……例のアレか」
「うん」
ラティナは返事をしたあと、少し間を空けた。
諦めたとはいえ、それを言葉にして出すのを少しためらったから。
しかし、決心を固めると、ラティナは兄に告げた。
「シルバーさんは他の人と付き合うことになったわ。だから、私は諦めた」
「! そ、うか」
「ええ」
口に出してしまえば、これで本当に決着がついた気がして、ラティナの心は少し痛んだが、モヤモヤはなくなった。
そして兄は、ラティナからの報告を聞いたものの、まだ少し信じられない様子だった。
「まさか、お前が振られるなんてな……それで? シルバー様は誰とお付き合いをされることになったんだ?」
聞いても仕方がないことなのだが聞かずにはいられない。
それは、使節としての立場なのか兄としての立場なのか、そのどちらもなのか。
自分で自分の心情が分からないが、とにかく聞いておきたかった。
するとラティナは、周囲をキョロキョロと見回したあと、扉に鍵をかけた。
そして、兄に近付くと、口を耳に近付けてきた。
「……絶対、ぜーったい内緒だからね」
「お、おう」
ここまでして内緒にするとは、一体誰と付き合いだしたのか?
その気になる名前は、すぐに聞かされることになった。
「……オクタヴィア王女殿下よ」
「!!??」
ラティナの発言に反射的に叫ぼうとした兄の口を、予想していたように手で塞ぐラティナ。
しばらく手で口を塞いでいたのだが、兄が苦しそうにラティナの腕をパンパンと叩くので、ゆっくりと解放した。
「ぷはっ! お、お前、殺す気か?」
「だって、叫びそうだったじゃない」
「そうだけども!」
ひとしきりラティナと言い合った兄は、その後すぐに考え込んだ。
「言っとくけど、絶対殿下の名前を出さないで報告してよ?」
「あ、ああ。それにしても、本当なのか? その、王女様とお付き合いされているというのは?」
「うん。シャルさんがそう言ってたから間違いない」
本当は、まだシルベスタとオクタヴィアは付き合ってはいないのだが、シャルは時間の問題だと言っていた。
それなら、もう付き合っていることにしてしまっても問題ないだろう。
なにより、ラティナに魅力がなくて振られたというより、他に恋人がいるので駄目だったという方が、自分にもダメージが少ない。
そんな自己保身もあっての報告だった。
「そうか。分かった。なら、明日にでも作戦失敗を伝えておく。まあ、もともと上手くいけばラッキーっていうことだったからな。なにも言われないさ」
「っていうか、お兄ちゃんが余計なこと言うからこんなことになったんでしょ!」
「わ、悪かったって」
「もう。明日、ちゃんと報告してよ?」
「ああ。任せておけ」
こうして、ラティナはシルベスタに仄かに抱いた恋心を諦めることにした。
自分の胸に秘めていただけなので、特に周りを騒がすこともない。
そう思って、ラティナは普段通りに学園に通い、治癒魔法の訓練をし、時にシャルたちと王都で遊び、充実した日々を送っていた。
そんなある日のこと、宿舎のラティナの部屋に訪問者が訪れた。
「ちょっ! どうしたのお兄ちゃん!? 顔、真っ青なんだけど!?」
部屋を訪れたのは兄で、その顔は、今まで見たことがないくらい真っ青だった。
兄は、ラティナの部屋のベッドに座り込むと、額に手を当て髪をクシャッと握り、苦し気に言葉を吐き出した。
「マズイことになった……」
「え?」
ラティナがそう聞き返すが、兄は言葉の続きを喋らず、青い顔をして俯いたままだった。
「お兄ちゃん!!」
業を煮やしたラティナが強い口調で呼びかけると、兄はようやく重い口を開いた。
「この前、例の作戦の失敗を伝えた」
「うん」
「もちろん、王女殿下の名前は出していない」
「まあ、当然よね」
「で、な……」
「うん」
そこで少し間を空けた兄は、呟くように驚くべきことを告げた。
「そのことをヨーデンの過激派が聞きつけたらしい。それで、そんな生温いことをしていないでとっとと浚ってしまえばいいと強硬手段に出たらしい」
兄のその言葉を聞いて、ラティナは血の気が引いた。
「ゆ、誘拐するってこと!?」
「それだけじゃない」
「え?」
アールスハイドの英雄であるシンの息子シルベスタを誘拐しようと企むだけでも大きな国際問題になりそうなのに、それ以外にもまだなにかあるという。
一体なにが?
と思っていると、兄は、増々青い顔をして話し出した。
「シルバー様の恋人を害して、無理矢理浚おうとしているらしいんだ……」
「は?」
ラティナは一瞬、兄がなにを言っているのか理解できなかった。
その意味がようやく理解できたとき、ラティナは、思いきり叫んだ。
「はあああっ!!??」
シルベスタの恋人とは、つまりオクタヴィアのことだ。
ヨーデンの過激派は、オクタヴィア王女を害してシルベスタをヨーデンに浚おうと画策しているということになる。
「そ、そんなの! もし実行したら戦争になるに決まってるじゃない!!」
「分かってるよ!! でも、俺たちはシルバー様の恋人の名前を濁した! その結果、過激派はシルバー様の恋人が王女様だなんて知らないんだよ!!」
「そ、そんな!! どうするのよ!!」
ラティナは、兄と一緒に頭を抱えてしまった。
もし、アールスハイドと戦争になれば、ヨーデンに勝機は一切ない。
魔道具の技術力も、魔法の技術力も圧倒的にアールスハイドの方が上。
それに、ヨーデンとアールスハイドの間にある海を渡ることができるのはアールスハイドの船舶と飛行艇のみ。
ヨーデンからアールスハイドに攻め込むことすらできないのだ。
そこまで考えて、ラティナはふと思った。
「ああ、なら過激派を国内で押しとどめておけばいいじゃない。ヨーデンの船じゃアールスハイドには辿り着けないんだからさ」
そう、そうなのだ。
いくら過激派がオクタヴィアの暗殺とシルバーの誘拐を企んだとしても、そもそもアールスハイドに来ることすらできないではないか。
取り越し苦労だったかと額の汗をぬぐったラティナだったが、兄の顔色は依然優れない。
どうしたのか? と思ったが、すぐにラティナは思い至った。
「……お兄ちゃん。まだ話してないことがあるでしょう?」
「……」
「お兄ちゃん!」
「……この前、アールスハイドからの要望でカカオの大量購入があったのは知っているか?」
「え? ああ、うん。カカオのことを殿下に教えたのは私だから」
ラティナがそう言うと、兄はラティナを睨んだ。
「な、なによ?」
「……いや、アールスハイドの喜ぶ交易品を紹介してくれて感謝すべきところなのに、つい余計なことを思ってしまった。スマン、お前を恨むのは筋違いだ」
「だから、なんなのよ!」
「その、カカオを大量に詰んだアールスハイドの交易船がつい先日ヨーデンを出発した」
「それが……」
どうした? と言おうとして、ラティナも気付いた。
「ま、まさか……」
「そのカカオの交易船の中に、過激派の連中が紛れ込んでいるらしい」
兄のその言葉を聞いて、ラティナは倒れそうになった。
「それって……いつ頃到着するの?」
「担当者の話だと、来週には到着するらしい」
「来週……もうすぐじゃない」
「なんとか、水際で捕縛するつもりだが……万が一もある。ラティナも気を付けておいてくれ」
「気を付けろって……」
まさか、オクタヴィアにヨーデンから暗殺者がくるから気を付けろとも言えないし、シルベスタが狙われていることを告げれば、なぜなのかを説明しないといけない。
すべて、ラティナたち兄妹が勝手に動き回った結果、二人に多大な迷惑をかけようとしているのだ。
とてもではないが、二人に言うことなどできず、どうにか交易船が到着した時点で過激派が捕縛されることを祈るしかなかった。
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