第31話 ラティナ、兄からのお願い

「ふぅ……」


 ウォルフォード家から車で宿舎に送ってもらったラティナは、自分の部屋に入るとベッドに座って一つ息を吐いた。


 今日は、待ちに待った留学の初日。


 留学した学院は、アールスハイドでもトップの魔法学院で、身分に一切忖度せず実力のみを見るというアールスハイド高等魔法学院。


 皆実力のみで学院に受かった実力者ばかりで、一応自分も国内では成績優秀だとは自負しているが最終的に留学生に選ばれたのはコネによるものだと自覚しているラティナは、ひょっとしたら受け入れてもらえないかもしれないと危惧していた。


 実際に会った彼ら彼女らに実力者特有の傲慢さは見られず、実にフレンドリーに接してくれた。


 事前にヨーデン独自と魔法だと聞かされていた変成魔法を披露した時は、皆が手放しで称賛してくれたほどだ。


 これなら自分がコネで留学生に選ばれたと知られても蔑まれたりはしないだろうから、そのうち話してもいいかな?


 と、そう思っていたからだろう、シャルロットの弟であるショーンからの質問に答えた際にうっかり自分がコネで選ばれたと言ってしまった。


 しかし、事前に自分の魔法を見せていたことが幸いしたのか、やはり皆から蔑まれるような目は向けられなかった。


 それどころか、聞けばこの国はもとよりこの大陸でも随一の治癒魔法の使い手であるシャルロットの母から治癒魔法を教えてもらえるようにもなった。


 たった一日なのに激動の一日だったと、ラティナは思い返す。


 それに、何より一番衝撃的だったのがシャルロットの兄シルベスタを見たときだった。


 高い身長、整った顔立ち、輝くようなサラサラの銀髪、引き締まった体躯。


 その場には本物の王子様であるノヴァクもいたが、まだ中等学院一年生と幼く、シルベスタの方がよっぽど王子様っぽいとも思ってしまった。


 シルベスタは、ラティナが今まで目にしてきた男性の中でも最上級に格好良く、ラティナの目は一瞬にして奪われた。


 ラティナは、自分がシルベスタに一目惚れをしたと自覚した。


 そして、それと同時に失恋したとも感じた。


 この国、アールスハイドの王女であり、容姿も体型もこれまた今まで見たことがないレベルで美しいオクタヴィアが、まさに恋する少女の顔でシルベスタに抱きついたからだ。


 オクタヴィアは王女。


 王子様っぽいシルベスタと王女様のオクタヴィア。


 お互い滅多に見ないほどの美形で、お互いを愛おしく思い合っているように見える。


 こんなにお似合いなカップルはそうそういないと、知らず知らずのうちに自ら敗北を悟ってしまった。


 身分的には王族と平民だが、今まで貴族階級のない世界で生きてきたラティナにそのあたりの考えはない。


 まあ、ウォルフォード家の人間というだけで、誰も王族との婚姻を反対するものはいない。


 反対に、ウォルフォード家以外の平民だったら大問題になる。


 オクタヴィアとシャルロットは、生まれた時からの幼馴染みだと聞いている。


 であるならば、シャルロットの兄であるシルベスタとも幼い頃からの付き合いなのだろう。


 今まで関わった時間が違いすぎる。


 そんなオクタヴィアとシルベスタに自分が割って入ることなど、無謀以外の何ものでもない。


 確かにシルベスタは素敵な男性だけれども、これは諦めざるを得ないなと、思った。


 まあ、想いが募る前で良かったのかも……。


 良いこともあったが、ちょっと凹むこともあった。


 そういった色んな感情が入り混じった溜め息だった。


 明日からはそういうことを忘れて、学院での勉強と、アールスハイドの文化を学ぶこと、それと治癒魔法の習得に全力を尽くそう。


 そう決意したときだった。


 ラティナの部屋の扉がノックされた。


「はい?」

「ラティナ、俺だ。入ってもいいか?」

「お兄ちゃん? 良いよ、大丈夫」


 部屋を訪れたのは、ヨーデンからの使節団の一員で、今回ラティナが留学生に選ばれるきっかけを作った彼女の兄だった。


「初日から遅かったな。ウォルフォード家でなんの話をしてたのか聞いても良いか?」


 その兄の言葉で、シシリーが通信機で話していた内容を思い出す。


 そういえば、あのとき具体的な理由を話してなかったことに思い至り、さっきまでウォルフォード家で話していた内容を兄に話した。


「えっと、学院で同級生になったウォルフォード家のシャルロットさんのお母さんが、聖女って呼ばれるほど治癒魔法が上手らしくて、私にも治癒魔法を教えてもらえないかって頼みに行ったの」

「治癒魔法!? そ、それで、どうなった!? 教えてもらえることになったのか!?」

「ちょっと落ち着いてよ。それで、私が留学生で勝手に教えて良いものかどうか分からないから、シン様から話を聞くためにウォルフォード家に滞在させてもらったの」

「ああ、そういう理由だったのか。何をシン様に確認するのか分からなかったから気が気じゃなかったぞ」

「内容が内容だったから、シシリー様も迂闊にいえなかったみたい。それで、シン様が帰ってきて、治癒魔法を教えることに問題はないって言ってもらえたわ」

「そうか! そうか!! よくやったラティナ!!」


 ラティナの兄は、心底嬉しそうな顔をしてラティナに抱きついた。


「わっ! ちょっと! 放してよ!」

「っと、悪い。あまりにも嬉しくてはしゃいでしまった」

「そういうわけで、これから毎日じゃないけどシシリー様に治癒魔法を教えてもらえることになったから、帰りが遅くなる日が増えると思う」

「それは全然構わない。むしろ帰国したら皆にも教えられるようにしっかり教えてもらってきて欲しい」

「うん。分かった」


 ラティナが頷いたことで、兄は安堵の息を吐いた。


「はぁ、まさかシン様の奥様から治癒魔法を習えるようになるとはな。奥様の治癒魔法については、アールスハイドで知らない者はいないくらい凄いらしいから、できれば教えてもらいたいと思っていたんだ」

「そんなに凄いの? 具体的な話は聞いてないから、私はよく分からないんだけど……」

「相当らしいぞ。千切れた腕や足を魔法で繋いだとか、内臓が損傷するほどの致命傷を負った患者を傷跡も残さないで治したとか、ちょっと眉唾な話もあるけどその実力は間違いないらしい」


 兄の言葉を聞いて、ラティナは絶句した。


「そ、それは流石に盛り過ぎじゃ……」

「俺もそう思う。けど、皆口々に言うんだ、腕が切られたぐらいじゃシシリー様かシン様に頼めば繋げてもらえるってな」

「す、凄いんだね……っていうか、そんな噂どこから聞いてくるの?」

「今、俺たちは王城で交易について色々と話し合ってるからな。王城には色んな事情が集まってくるから、色んな話が聞けるんだよ」

「へえ」


 王城、ヨーデンで言えば色んな大臣たちが集まる議事堂みたいなところだろうか。


 そんなところに毎日足を運んでいれば、色んな情報を仕入れられることだろう。


 とラティナが納得していると、兄が「そういえば」と何かを思い出したように話し出した。


「今日、ちょっと不思議な話を聞いたんだけど」

「不思議な話?」

「ああ。この国の歴史については、簡単に教えてもらっただろ?」

「うん。本当に簡単にね」

「その中で、教えてもらってない近年の大きな混乱があったんだ」

「大きな混乱?」

「ああ、今から……十八年前か。シン様や陛下がまだ学生の頃の話だそうだが……一時この大陸の人類は滅亡の危機に瀕したことがあるらしい」

「め、滅亡の危機!? え? それを教えてくれてないの!?」


 人類滅亡の危機なんて、歴史を語る上で絶対に省いちゃいけない出来事な気がするけど、実際そんな出来事があったなんて聞いていない。


「そ、それって、どんなことがあったの? まさか、御伽噺みたいに各国全面戦争とか……」

「いや、それが違うんだよ」


 そう言った兄の顔が、急に真剣な顔になった。


「違うの? なら、何が原因だったの?」


 それに引っ張られるようにラティナも真剣な顔で聞いた。


「それがな、魔人と呼ばれる一段が各国に向けて人類を滅亡させると宣戦布告をしたんだそうだ」

「ま、魔人?」


 聞いたことがない言葉に、ラティナは首を傾げた。


「ああ、俺も初めて聞いたんだけどな。なんでも、魔物化してしまった人間のことを魔人と呼ぶそうだ」

「ま、魔物化!? 人間って魔物化しないんじゃなかったの!?」

「俺もそう思ってたんだけどな……実際魔人は大勢いたらしい」

「そ、そんな……」

「で、その魔人なんだけどな、どんなものなのか聞いてみたんだ」

「うん」


 ラティナが相槌を打つが兄は中々話し出さない。


「お兄ちゃん?」

「ん? ああ、その魔人の特徴ってのがな……」

「うん」

「目が赤くなった人間っていうんだ……」

「!! お、お兄ちゃん、それって……」

「ああ、ヨーデンの『救世主伝説』に出てくる救世主様にそっくりだろ?」


 ヨーデンに伝わる『救世主伝説」とは、昔、人間と同じく魔物化はしないと思われていた竜が魔物化したことがあった。


 魔物化した竜はヨーデン中を荒らし回り、一度ヨーデンも滅亡の危機を迎えたことがあった。


 そんな中、目を赤く光らせた人物が竜の魔物に挑み、自らの命を捧げるような戦いを挑んだ末、竜の魔物を相討ちで倒した、というものだった。


 目が赤く光る人間などというものはその後もヨーデンでは確認されておらず、滅亡の危機に瀕したヨーデンに神が送り込んだ使者なのだろうと噂された。


 それ以降、目が赤い人間は神から遣わされた使者という認識がヨーデンで広まったのだ。


「え、じゃあ、使者様も魔人……」

「それは分からないけど、特徴は似ている。これは検証すべき問題だとは思わないか?」

「それは、確かにそう思うけど……私に言われても何にもできないよ?」


 ヨーデンで広まっている救世主と魔人は同一のものなのか?


 確かに興味はあるけれど、それを検証しようと言われても一女子校等学院生であるラティナに言われても、そもそも何をどう検証していいかも分からない。


 なぜそんな話を自分にするのだろう? とラティナは首を傾げた。


 すると、兄から予想外なことを言われた。


「実はな、その魔人による騒動……こっちでは魔人王戦役って言うらしんだけど、その中で気になる話があるんだ」

「気になる話?」

「ああ。魔人王戦役後、シン様たちは一人の赤ん坊を養子に迎えている」

「養子?」

「ああ。なんでも、魔人に殺されずに生き延びた女性が産んだ子供がいて、母親は最終的に魔人に見つかって殺されて孤児になった子供らしいんだが……ちょっと不自然じゃないか?」

「え?」

「だって、相手は世界を滅ぼすとまで言ったそうなんだ。実際、大きな国の人間を一人残らず虐殺したらしい」

「ひ、一人残さず……」


 国の人間を一人残さず虐殺するという残虐な行為に、ラティナの顔が真っ青になる。


「ね、ねえ、それ、本当に救世主様と同じなの? そんな恐ろしいことをする人たちが救世主様と同じ種族だなんて思えないんだけど……」

「それはそうなんだが……もしかしたら魔人はこの大陸では迫害されているのかもしれない。俺たちだって、酷く虐げられたら復讐してやりたいって思うだろ? そういうことなんじゃないか?」

「まあ、分からなくもないけど……」


 人間だって復讐心で行動する者がいる。


 魔人という種族が差別・迫害されていればそういう可能性もあるのかも、とラティナは無理矢理納得した。


「それよりもだ。シン様たちがその孤児を養子に迎えたのは、魔人たちがその国を滅ぼしてから約一年後。それまでその母親……いや、一人では子供は作れないから夫婦だな。それが生き残っていた。どうやって?」

「どうって? 魔人たちから逃げ回っていたんじゃないの?」

「食料は? 隠れるところは? 話によると、その亡国内は、巨大な魔物が闊歩する魔境になっていたらしい」

「きょ、巨獣が!?」


 この巨獣というのは、この大陸でいう災害級の魔物のヨーデンでの呼び方である。


 そんな滅多に遭遇しない魔物が闊歩する地なんて、魔境以外に例える言葉が思いつかない。


「そんな巨獣が闊歩する国内を逃げ回り、食料も手に入れ、さらに子供を産む……本当にそんなことが可能なのか?」

「そんなこと言われても……それで、結局何が言いたいの?」


 ラティナは、兄が何を言いたいのかサッパリ分からず、答えを言うように促した。


 すると、兄から帰ってきたのは、ラティナにとってあまりにも突飛な答えだった。


「……もしかしたら、その孤児というのは魔人同士の夫婦から生まれた子供なんじゃないか? 最終的にはシン様たちが魔人を全滅させたそうだが、赤ん坊

までは手にかけられず、見逃していたとしたら……もし魔人が救世主様と同じ種族なら、その子供は救世主になれる可能性があるんじゃないか?」


 ラティナは、兄の予想に衝撃を受けた。


 救世主伝説は、攻撃魔法が忌避され廃れてしまったヨーデンにおいて、唯一攻撃魔法を使っても忌避されていない存在だ。


 なにせ世界の(当時は別大陸に別の文明が存在しているなど知らなかった)危機を救った人物。


 相討ちになってすでに存命でないのも、忌避感を持たれなかった理由だ。


 そんな救世主と同じ種族を親に持つ子供がいるかもしれない。


「もし、その子供をヨーデンに迎え入れることができれば……攻撃魔法に対する忌避感も無くなる……とまではいかなくても、薄まる可能性があるかもしれない」

「た、確かに……」


 攻撃魔法については、今日嫌というほど見せつけられた。


 高等魔法学院の一年生だという皆の魔法でもラティナは圧倒された。


 これが上級生、さらにその上位である魔法師団ともなればどれほど強力な魔法が放てるのか?


 確かに、悪用されてまた世界に危機が起こる可能性がないとは言えない。


 しかし、現状魔物に対する攻撃手段が十分でないことも事実。


 できれば攻撃魔法をヨーデンで復活させたい。


 そのためにはヨーデンに広く深く根付いている攻撃魔法に対する忌避感を薄める必要がある。


 もしかしたら、救世主と同じ種の子供がその忌避感を和らげてくれるかもしれない。


 そんな未来を想像したところで、ラティナはハッと気が付いた。


 その子供というのは、もしかして……。


「ねえお兄ちゃん、その子供ってシン様が養子にされたのよね?」

「ああ、シン様が引き取られ、長男として育てられたそうだ。さすがはシン様というところだろうが、子育てにも成功し、お前が今通っている高等魔法学院を首席で卒業し、大陸一の魔法士集団に就職したらしい」


 ラティナは、シンとシシリーの子供たちを思い浮かべた。


 シンにそっくりな黒髪のシャルロット、シシリーにそっくりな青髪の弟のショーン、そして、どちらにも似ていない銀髪の……。


「……シルバーさん……」

「ん? なんだ、ラティナも知っていたのか? あ、もしかして会ったのか?」

「え、ええ」

「そうか、それなら丁度いい」


 兄はラティナの答えに笑みを浮かべた。


 そして、丁度いいという言葉。


 ラティナは嫌な予感がした。


「シルバー様をヨーデンに呼ぶにしても、この地で生まれ育っているから簡単には来てくれないかもしれない。そこでラティナ。お前、シルバー様と恋人になってヨーデンに来てもらえるように説得してくれないか?」


 嫌な予感が的中した。


「む、無理だよ! 今日会ったばかりなんだよ!? それに……」


 王女であるオクタヴィアと恋仲であるとラティナは思っている。


 そんな恋人を略奪するような真似、ラティナはしたくない。


「大丈夫だって! ラティナは、兄の贔屓目かもしれんけど女の魅力に溢れてる。お前が誘惑して靡かない男なんていないって!」

「そういう問題じゃなくて!」

「なあ、頼むよ! ヨーデンの未来が懸ってるんだよ!!」


 兄はそう言うと、両手を合わせたまま深々と頭を下げた。


 正直、妹にハニートラップを仕掛けてこいと言うなんて、兄としても男としても最低だ。


 だけど、さっきラティナもヨーデンで攻撃魔法が広まるかもしれないと言う可能性を夢見た。


 見てしまった。


 だから、ラティナには、兄の願いを無碍に断ることなどできなかった。


 それに、ラティナは一度シルベスタに心を奪われた。


 オクタヴィアとの関係を見てすぐに諦めてしまったけれど……。


「……うまくいくかなんて約束できないわよ?」


 もしかしたら、という願望から、つい兄の提案を了承してしまった。


「本当か!? ありがとう! 俺にできることならなんでもするぞ!」

「と、とりあえずお兄ちゃんは何もしないで! 私が自分でなんとかするから!」

「そ、そうか? まあ、何かあったらなんでも相談しろよ?」

「分かってるわよ。それより、もういい? 着替えたいんだけど」

「ああ、悪い。じゃあ、頼んだぞ」


 兄はそう言うと、部屋から出て行った。


 扉が閉まるのを見届けたラティナは、途端にベッドに倒れ込み、両手で顔を覆った。


「……どうしよう」


 オクタヴィアからシルベスタを奪う口実ができた。


 けど、そのためには今日一日あんなに親切にしてくれた王女様を裏切らないといけなくなる……。


 本当にどうしようと、ベッドに寝転んだラティナは、強い罪悪感と淡い期待がごちゃ混ぜになり、深い深い溜め息を吐いた。


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