第29話 ウォルフォード家のリビングにて

「ただいまー」


 スイーツとレティの元同級生に足止めされ、いつもの時間よりも遅くに家に帰ってきた私は、すぐに家の中の雰囲気がおかしいことに気付いた。


「ん? なに?」


 なんというか、緊張感が漂っているというか、ピリピリしている。


「お、おかえり、お姉ちゃん」


 そんな中、私に声をかけてきたのは、三歳年下で今年からアールスハイド中等学院一年生になった弟のショーンだ。


 ショーンは、ママ譲りの青い髪と優しい顔立ちをしており、性格もおっとりしている。


 そのショーンが、緊張した面持ちで私に話しかけてきたのだ。


「あ、うん、ただいまショーン。えっと、どうしたの?」

「どうしたもこうしたも……」


 ショーンはそう言うと、リビングの方をチラッと見た。


 そこには、ママが優雅に紅茶を飲みながらソファーに座っていた。


 ソファーに座っているママは、顔は笑っているが、思わず背筋がゾクっとするような雰囲気を醸し出している。


 え、やば。


 あれ、メッチャ怒ってんじゃん………


「シャル」

「ひゃ、ひゃい!!」


 ママが怒っているのを認識してしまったので、ママから呼び掛けられた時、変な声が出てしまった。


「お帰りなさい」

「あ、た、ただいま……」

「ちょっと、こっちにいらっしゃい」

「はい!」


 ママに、こっち来いと言われれば、一も二もなく向かわなければならない。


 たとえ、今日初めて家にきたラティナさんを放置してもだ。


「お座りなさい」

「はい」


 私はママに返事をすると、ママが座っているソファーの前の床に膝を揃えて座った。


「今日、学院から連絡がきました」

「……」


 げ、ヤバイ、もう学院から家に連絡が入ってた!


「魔法練習場を壊しかけたそうですね?」

「あ、いや、パパの魔法防御がかかってるって聞いてたから、大丈夫かなって……」

「ん?」

「はい! すみません!」


 いけない!


 怒ってるママに口答えしてはいけなかった!


「しかも、それだけでなく、皆を危険に晒したとか」

「……はい。すみません」


 あれは本当に申し訳ないことをしたと本気で反省している。


 まさか、障壁に阻まれた魔法があんな反応をするとは思いもよらなかった。


 ママの言葉で、自分のやらかしたことを再認識した私は、思わず俯いてしまった。


 そんな私を見て、ママは深い深いため息を吐いた。


「あなたは本当に……思いつきで行動するところはパパそっくりです」

「え!?」

「嬉しそうな顔をしない」

「はい」


 パパに似てると言われて思わず嬉しくなってしまった私は、ママが褒めているわけではないことに気づき、また顔を下げた。


「確かに、パパも思いつきで行動することは多かった……今もそうですけど、パパにはそれをリカバリーできる力があります。でも、シャルにそんなことができますか?」

「……できません」


 くぅっ……パパと比べるのはズルい。


「そんなパパでも、本当に危ないと思ったこと……皆を危険に晒すようなことはしませんでした。ましてや、パパに比べてまだまだ未熟なシャルは、もっと考えて魔法を使わなくてはならないのですよ?」

「……おっしゃる通りです」

「本当に反省していますか?」

「はい」

「本当かしら……まあいいでしょう。ヴィアちゃんたちを巻き込みかけたことは本当に反省しているようですし、今は信じます」

「……」


 お、これは、いつもより早くお説教から解放されるか?


「ただし」


 そう思ったのに、どうやら甘かったようだ。


「今後、無闇矢鱈に魔法を使ったり、暴走させたら、その都度罰を与えますからね」


 まあ、魔法の暴走とは言っても、パパが作って広めた、学生から魔法士団員まで全員がつけている腕輪のおかげで魔力暴走はしないんだけどね。


 ママが言っている暴走とは、今回のように不適切な魔法を使うということだろう。


「えっと、罰って……」


 私がそう言うと、ママはニッコリ笑って言った。


「治療院で無償奉仕」

「うぇ……」


 学院でも言ったけど、私はグロいのが苦手なのだ。


 それなのに、その治療院で無償奉仕。


 嫌すぎる。


「はい! もうしません!」


 私が背筋を伸ばして真剣な顔でそう言うと、ママはまた溜め息を吐いた。


「まったく。治療院での治療は治癒魔法が使える人なら率先してやるべきことですよ? それをあなたは……」

「だって、グロいの本当に苦手なんだもん。吐いちゃう」

「……動物の解体はできるようになったのに、なんでまだ苦手なんですか」

「だって、人と動物は違うよ。人が怪我してるの見たら気分が悪くなるんだもん」

「まあ、治癒魔法士を目指しているわけではないですから深刻な問題ではないでしょうけど……今度やったら、本当にその苦手な治療院に行かせますからね」

「はーい」

「まったく……ごめんなさいねみんな。お待たせしちゃったわ」


 私へのお説教が終わったママは、ヴィアちゃんたちに向かって本物の笑顔を向けた。


 私に向けたのは威圧の笑顔だ。


「い、いえ。大丈夫ですわおばさま」

「う、うん。シャルには必要なことだから」

「教育、大事」


 ヴィアちゃんたち幼なじみズは、怒ったママが超怖いことを知っているので反論するなんてことはしない。


 ヴィアちゃんたちの素直な反応に満足そうに頷いたママは、そこでラティナさんがいることに気が付いた。


「あら? 初めましての子がいますね」

「は、はい! ヨ、ヨーデンから留学してきました、ラティナ=カサールと申します!」

「まあ、初めまして。シャルロットの母、シシリーです。よろしくね」

「は、はい! よろしくお願いします!」


 ママに声をかけられたラティナさんは、自己紹介をして深々と頭を下げた。


 ここに来る前より大文緊張している気がする。


 話で聞くより、本物のママを前にして緊張感が増してしまったのかな?


 あまりに緊張しているので、アリーシャちゃんがラティナさんのそばに言ってなにやら小声で話している。


(どうしましたの? 緊張しすぎですわ)

(え、いや、その……聖女様って怖い方なんですね……)

(あー……)


 こちらには聞こえない声でボソボソ話していると思ったら、なぜか私を残念な子を見る目で見てくるアリーシャちゃん。


 なに?


(あれはシャルロットさんにだけですわ。私たちには本当にお優しい方ですので、安心してくださいな)

(そ、そうなんですね)


 ようやくホッとした顔をしてラティナさんが顔をあげた。


 なにを言ったんだろう?


 ちょっと疑問に思ったけど、ラティナさんの緊張も解れたみたいだし別に聞かなくてもいいかな。それより、今日の本題に入ろう。


「あのねママ。彼女、アールスハイドで治癒魔法を習いたいんだって」

「治癒魔法を?」

「うん。ヨーデンでは治癒魔法は失伝してしまった技術なんだって」

「まぁ……」


 ヨーデンには治癒魔法がないという話を聞いて、ママは気遣わしげな表情でラティナさんを見た。


「でね。治癒魔法といえばやっぱりママじゃん。だから、ママに治癒魔法を教えてもらおうと思って連れてきたの」

「そうだったの」


 ママはそう言うと、頬に手を当てて困った顔をしてしまった。


「どうしたのママ?」

「うーん。治癒魔法を教えるのはもちろん構わないんだけど……」


 ママは困った顔をしたままラティナさんを見た。


「彼女、ヨーデンからの留学生でしょう? 勝手に魔法を教えてもいいものかどうか、パパに聞いてみないと分からなわねえ」

「あ……」


 その言葉を聞いて、ラティナさんがハッとした顔をした。


「え、ダメなの?」

「そうねえ、誰になんの魔法を教えるのか、すでに決まっている可能性があるから、一度聞いてみないとダメね」

「そっかー」


 なら仕方ないね。


「ラティナさん」

「はい?」

「パパが帰ってくるまで待ってようよ」

「え?」

「ちょっとシャル。わざわざ待たなくても……」

「あ、ヨーデンの留学生宿舎に連絡しておいた方がいいね」

「え?」

「あ、シャル! 待ちなさい!」


 善は急げだ!


 ラティナさん「え?」しか言ってないけど、治癒魔法を覚えたいならこれは必要事項だ。


 固定通信機が置いてある場所までラティナさんの手を引いて連れて行く。


「え? え?」

「ラティナさん、宿舎の通信機番号って持ってる?」

「え? あ、はい。緊急連絡用に持たされていますけど……」

「じゃあ、架けて」

「あ、はい」


 ラティナさんは鞄から宿舎の番号を取り出した。


「えっと……どうやって使うのでしょうか?」

「あ、通信機使ったことない?」

「はい……」

「じゃあ、私が架けてあげる」


 私はラティナさんから番号を預かると、ヨーデンの宿舎へ通信を架けた。


「ほら、相手が出たら話してね」

「は、はい!」


 番号を入力して宿舎に繋がったことを確認すると、受話器をラティナさんに手渡した。


 初めての通信だからか、ラティナさんがめっちゃ緊張してる。


「!! あ! あにょ! キャ、カサールですが!」


 わあ、噛みまくりだ。


 大人な雰囲気のラティナさんがアタフタしている姿は、見ていてちょっと萌えるわあ。


「えっと、えっと、あれ? なんでしたっけ……ああ! すみません! あのですね!」


 緊張しすぎて、なにを話せばいいのか分からなくなってるなあ。


 しょうがない、ここは私が……。


「申し訳ありません。代らせていただきました。シン=ウォルフォードの妻、シシリーと申します。いつも主人がお世話になっております」


 と思っていたら、ママが先にラティナさんから受話器を受け取っていた。


「いえ、こちらこそ。実は、うちの娘とラティナさんが同級生になりまして。ええ。それで娘が家に連れてきたのですけど、主人と話をしないといけないことがありまして、主人の帰宅までラティナさんを家に居させてもよろしいかどうか連絡を差し上げたのです」


 わあ、さすが大人。


 通信が堂々としてる。私じゃ、あんな話し方できないよ。


「よろしいですか? ありがとうございます。はい。お話が終わりましたらラティナさんは責任を持ってお送りいたします。はい。それでは、失礼致します」


 ママはそう言うと、受話器を置いて通信を終了させた。


 そして、クルリと私の方を見ると、そのまま私の頰を抓った。


「いひゃっ! みゃみゃいふぁい!!」

「この子はもう! 通信をしたことのないラティナさんにいきなり喋らすなんて! ごめんなさいねラティナさん。驚いたでしょう?」


 ママは、私を頰を抓ったままラティナさんに謝罪した。


「い、いえ! き、緊張しましたけど、面白かったです」

「そう? それならいいけど……こういうことも、色々経験していきましょうね。シャルを練習台に使うといいわ」

「は、はい!」

「みゃみゃいふぁい」

「我慢なさい!」

「みゅー……」


 ラティナさんに慈愛の笑みを浮かべるも、その指は私の頰を抓っている。


 ママに何度も痛いと懇願しても、中々指は話してくれなかった。


 そんな状態で笑みを向けられたもんだから、ラティナさんの顔が引きつってるよ。


「あ、あの、おばさま、ラティナさんも驚いていますのでそのくらいで……」

「あら、ごめんなさいねラティナさん。はしたないところを見せちゃったわ」

「い、いえ!」

「ふひゅー」


 ヴィアちゃんのナイスフォローでようやくママの手が離れた。


 むー、痛かった……。


「まったく。その思いつきで行動する癖をなんとかしなさいと言ったばかりでしょう?」

「だって……」

「ん?」

「はい! ごめんなさい!」

「もう」


 思わぬところでママのお仕置きをくらったけど、これでパパが帰ってくるまでラティナさんが家に居てもいいことになった。


 なので、パパが帰ってくるまでの間、お茶を飲んだりおやつを食べたりしながらお喋りに興じることになった。


 帰りにクレープを食べたのは、歩いて帰ってきたからカロリー相殺でノーカンです。


「はー、気兼ねなくお菓子が食べられるのは素晴らしいですね」

「ノヴァ、あなた家庭教師の授業はどうしたのですか?」

「今日はお休みですよ、姉様」


 私たちに混じって一緒にお茶をしているのはヴィアちゃんの弟であるノヴァク君。


 サラサラの金髪にお父さんであるオーグおじさん譲りの美しい顔をした、アールスハイド第一王子様だ。


 ショーンと同い年で、私とヴィアちゃんのような幼馴染みの関係性を築いている。


 なので、学院終わりにこうしてウチに寄って行く事もある。


 王子様なので、学院の勉強以外にお城で王子様としての勉強もあるそうなのだが、今日はたまたま休みだったそうだ。


 王城ではお茶を飲むにしてもお作法とか面倒臭いって言ってたから、そういうのを気にしなくていいウチのことを大層気に入っている。


 ……アールハイド王家、ウチのこと保養地かなんかと勘違いしてないかな?


 そんなショーンとノヴァ君の幼馴染み二人だが、さっきからチラチラとラティナさんを見ている。


 年上で、褐色肌のグラマラスなお姉さんに視線が吸い寄せられているのが手にとるように分かるよ。


 はぁ、中等学院一年生とはいえ男だったか。


「ラ、ラティナさんはヨーデンを代表して留学されてこられたのですよね? 優秀なんですね」

「あら、そんなことありませんよ。私は使節団に兄がいますから、その縁故もあったんだと思います」


 思い切って声をかけたショーンの問いににこやかに応えるラティナさん。


 そうなんだ、ラティナさん使節団にお兄さんいるんだ。


「へえ、初耳」

「あ、ごめんなさい。高等魔法学院は実力のみで選ばれる学院だと聞いたものですから、身内のコネで留学生に選ばれた私のことはよく思われないんじゃないかと思って……」

「それなら、なんで今教えてくれたの?」


 私がそう聞くと、ラティナさんはちょっとバツが悪そうな顔をして言った。


「えっと……その、今日一日皆さんと一緒にいて、こういう話をしても蔑んだりしない方たちだと思えたので……」


 ああ、私たちを最初から信用しなかったことにちょっと罪悪感を感じてるのか。


「そっか。でも、そりゃしょうがないよ。私たち初対面なんだし、性格なんて見ただけじゃ分かんないもんね」


 私がそう言うと、ラティナさんは目を見開いた。


「……気分を害されないのですか?」

「なんで? 最終的にラティナさんが選ばれたのはコネかもしれないけど、あの魔力制御を見てコネだけで選ばれたとは思わないよ」


 ラティナさんは、私の言葉を聞くと、フワッと微笑んだ。


「ありがとうございます。シャルさん」


 褐色美人のラティナさんの微笑みは強烈だね。


 マックスたちだけじゃなく、ショーンとノヴァ君まで真っ赤になってる。


 中等学院のお子様には刺激が強すぎるよ。


 そんな感じでラティナさんを含めて談笑していると、リビングにゲートが開いた。


 パパが帰ってきたのかな? と思ったが、ゲートから出てきたのは別の人物だった。


「ただいま……うわっ、今日は大盛況だね」

「あ、お帰りお兄ちゃん」

「おかえりー」

「ああ、ただいまシャル、ショーン」


 そう、ゲートから出てきたのは私の兄であるシルバーお兄ちゃんだった。


 お兄ちゃんは、アルティメット・マジシャンズに入団したことで、団の秘匿魔法であるゲートを教えてもらい、早々に習得したのだ。


 くぅ、うらやましい……!


 そんな突然現れたお兄ちゃんに、あの人が黙っているはずがない。


「おかえりなさいませ! シルバーお兄様!」


 ヴィアちゃんが、突然現れたお兄ちゃんに向かって突撃し、お兄ちゃんもいつものように受け止めた。


 もう、ヴィアちゃんがおっきなワンコにしか見えない………


「うわっと。ただいまヴィアちゃん。あれ? ノヴァ君も?」

「はい。お邪魔してます」

「どうしたの? もうずいぶん遅い時間だけど、皆帰らなくていいのかい?」


 お兄ちゃんが帰ってきたということは、もう時間は夕方を過ぎて夜になりかけているということ。


 いつもならとっくに帰宅している面々を見て、お兄ちゃんは首を傾げた後、その集団の中にいるママに目を向けた。


「あれ? 母さんが許可したの?」

「ええ。その子のことでパパに確認しないといけないことができたから、皆で待ってるのよ」

「その子?」


 ママが視線の先に、お兄ちゃんも視線を向けた。


 そこには、赤い顔をして、口をちょっと開けたラティナさんがいた。


 ……あれ? これ、もしかして、ヤバイ?


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