第12話 朝から姦しい

 結局あのあと、ヴィアちゃんのお兄様呼びは修正できなかった。


 ヴィアちゃんが日和ったからだ。


 ともかく、ヴィアちゃんのお兄様呼びが妹扱いの原因だと結論付けたものの、本人に聞いたわけじゃないから確証がない。


 もし急にお兄様呼びをやめたら、レティの指摘通りにヴィアちゃんが余所余所しくなったと思われて、お兄ちゃんが距離を取るかもしれない。


 それは最悪の事態だ。


 結局、その最悪の事態を避けるために、現状維持を選んだのだった。


「おはようヴィアちゃん」

「おはようございますシャル」

「昨日は大変だったねえ」

「……意気地のない女と笑ってくださいまし」

「……笑えないよ……笑えるわけないよ」


 朝から教室でどんよりした空気を醸し出すヴィアちゃん。


 そんな彼女を笑えるはずがないよね……。


「おはようございます、シャルロットさん」

「おはよ、シャル」

「おはようございます、シャル」

「あ、アリーシャちゃん、デビー、レティ、おはよー」


 どんよりと落ち込むヴィアちゃんの相手をしていると、残りの女子三人が集まってきた。


「殿下、まだ落ち込んでるんですか?」

「……いけませんか?」


 呆れながらそう言うデビーの顔は呆れていて、ヴィアちゃんはちょっと不貞腐れてる。


 昨日の女子会で随分距離が縮まったなあ。


 最初は王族になんて近寄りたくないって感じだったのに。


「まだ一回失敗しただけじゃないですか。まだまだこれからですよ」

「そう、かしら?」

「もちろんですわ! そんな簡単に諦めてどうするのですか!」


 デビーに励まされてちょっと気持ちが浮上してきたヴィアちゃんを、アリーシャちゃんが叱咤する。


 アリーシャちゃんって、他の貴族令嬢たちと違って、こうやってヴィアちゃんを叱咤することもあるんだよ。


 ……お兄ちゃん関連のことだけ。


 でも、そうだよね。


 別に、落ち込む必要なんてないよ。


「そうそう、まだ直接振られたわけじゃないんだし、諦める必要なんてないよ」


 お兄様呼びが出来なかっただけで、こんなに落ち込む必要なんかないと励ましたら、ちょっとヴィアちゃんの目にも力が入りだした。


「そうですわね。まだ勝負すらしておりませんもの。落ち込んでいる暇などありませんわね」

「そうだよ!」

「そうですよ!」

「そうですわ!」


 私、デビー、アリーシャちゃんの三人で励ましていると、一人レティだけがその輪の中に入ってこなかった。


「なによレティ。アンタは殿下を励ましてあげないの?」


 それを見咎めたデビーがそう言うと、レティは慌てたように首を振った。


「え、あ、そうじゃないの。ただ、まさか殿下が振られることがあるかもしれないなんて本当に信じられなくて」


 なるほど。レティの言う通りだよね。


 アールスハイド王国一と言われる美少女。


 本当の性格はちょっとS寄りだけど、表向きは優しい王女様。


 ヴィアちゃんが想いを寄せれば、応えない男なんていないだろう。


「確かに。あんなに殿下が引っ付いていたのに、シルバーさん顔色一つ変えなかったもんね」

「殿下に優しい顔を向けられていたので、脈がないわけではないと思うのですが……」

「如何せん、私への対応とあんまり変わらない気もするんだよねえ」


 お兄ちゃんが昨日私の部屋に来たときのことを想いだしていると、レティがちょっと首を傾げた。


「それが不思議なんですよね。幼いころから面倒を見ていたとはいえ、今の殿下は幼い女の子ではなく、大人の女性と遜色ない体形をしていらっしゃいますよね……羨ましいです」

「それはいいとして、それでなにが不思議なの?」


 十五歳にしては発育のいいヴィアちゃんの身体を羨ましがるレティをデビーがバッサリ切り落とした。


 ひど……。


「あ、ええと。私、実は一つ年下の弟がいるんですけど、弟の腕を取ったり身体が触れたりすると赤くなったり照れたりするんですよね」

「え? なに? 禁断の愛の話?」

「気持ち悪いこと言わないでください。じゃなくてですね、血の繋がった姉弟でもそうなのに、全く血の繋がりがない殿下にそこまで無反応なのってありえるのかなって……」


 レティの言葉に、私はハッとした。


「た、確かに! お兄ちゃん、高等魔法学院に受かったときもアルティメット・マジシャンズに合格したときも、ママに抱きしめられていたけど、ちょっと照れてた!」


 私がそう言うと、ヴィアちゃんは顔面蒼白になり、デビーたちはちょっと引いていた。


 え? なんで?


「ま、まさか……シルバーさん、マザコンなの?」

「そんな……おばさまが一番のライバルだなんて……」

「そんなわけあるか」


 デビーが慄きながらそう言うと、後ろから声が聞こえてきた。


「あ、マックス、レイン、おはよー」

「おう、おはよ」

「おは……」

「ああもう、レインまた寝ぐせ付いてますわ」

「んむ? どこ?」

「ここですわ。もう、ちょっとジッとしていらして」


 流れるようにレインとアリーシャちゃんのいつものやり取りが始まり、デビーがそっちに意識を持っていかれていたけど、ハッと気づいてマックスに向き直った。


「えっと、ビーン君、おはよう。それで? なんでそんなわけないの?」


 ビーン君ってなんか新鮮な呼び方だ。まあ、デビーはまだマックスとそんなに仲良くなってる訳じゃないからしょうがないのか。


「マックスでいいよ。俺もデボラさんでいい?」

「ええ、いいわよ。それで?」

「ああ。だって、高等魔法学院入学時と卒業時ってことは十五歳と十八歳だろ? その歳で母親に抱きしめられるとか、男からしたら恥ずかしい意外のなにものでもないよ」

「俺なら全力で拒否する」


 アリーシャちゃんに髪の毛を梳かされながら、レインも答える。


「あ、あれ、照れてたんじゃなくて恥ずかしがってたのか!」

「っていうか、なんでシャルは気付かないんだよ」

「だって、私はママに抱きしめられるの好きだもん。フワフワしてるしいい匂いするし、大好き」


 ママは確かに怒ると怖いけど、普段は綺麗だし優しいし治癒魔法は上手だし大好きなのだ。

 

「あー、私はちょっと恥ずかしいかな」

「そうですか? 私は結構嬉しいですよ」


 デビーとレティでも意見が割れた。


「へー、女子でも意見が分かれるんだな。まあ、男なら羞恥一択だな。で? それがどうしたんだ?」

「あ、そうだ! お兄ちゃん、ママにもそんな反応するのに、ヴィアちゃんにはそういう反応を一切しないってことは……」

「……本当になんとも思われていないということですわね」


 あああ、ヴィアちゃんがまた落ち込んじゃったよ。


「そ、そうじゃなくて! ずっと妹みたいに思ってた子にそういう反応しないように、無理矢理抑え込んでるんじゃないかってこと!」

「え」


 私の言葉に、ヴィアちゃんはポカンとした顔をした。


「昔ならともかく、今のヴィアちゃんに抱き着かれて無反応なんて、なんとも思ってなくてもありえないよ!」

「そう言われてみればそうね。私だって殿下に抱き着かれたら真っ赤になる自信があるわ」

「私もですわ」

「私もです」


 デビーの言葉に、アリーシャちゃんとレティが同意する。


 ってか、アリーシャちゃんもかよ。


 っと、そんなことより。


「女の子でもそうなのに、お兄ちゃんは無反応……これは、お兄ちゃんは意識的に意識しないようにしている?」


 私がそう言うと、ヴィアちゃんは見る見るうちに目に力を取り戻した。


「ということは……もっと身体的接触を図っていけば、シルバーお兄様は落ちる!?」


 ヴィアちゃんは立ち上がり、力強くそう発言した。


 けど……。


「そう思うけど、あんまり大声でそんな宣言しない方がいいんじゃない?」

「はっ!?」


 今更気付いたのか、ヴィアちゃんは慌てて周りを見渡した。


 ここにいない人物で言うと、ハリー君とデビット君が、赤い顔をしながら視線を逸らせていた。


「い、今のは忘れてください!」

「「は、はい!!」」


 真っ赤な顔で恥ずかしそうにそう叫ぶヴィアちゃんに、ハリー君とデビット君は赤かった顔を青くしながら返事した。


 まあ、王女様のこんな話、他でするわけにもいかないしね。


 もし漏らしてしまったらどんなことになるのか、それを想像して青くなったんだろうな。


 二人が返事をしたところでチャイムが鳴った。


 はぁ、朝から大騒ぎだな。


 ……ん?


 あれ、なんか違和感があるぞ。


 なんだろう? と首を傾げていると、先生が教室に入ってきた。


 先生は教壇に立つなり驚くことを口にした。


「皆おはよう。早速だがお知らせがある。ミゲーレが、高等魔法学院を退学して王立高等学院に転校することになった」

『え!?』


 あ! そうか! 違和感の正体はこれだ!


 さっきのやり取りに、一切セルジュ君が絡んでなかったんだ!


 一人足りないから違和感があったのか。


 はー、スッキリした。


「あ、あの、どうしてでしょうか?」


 スッキリした私と違って、アリーシャちゃんはその理由が気になるようで先生に質問した。


「ああ、なんでも高等魔法学院でやっていく自信がなくなったんだそうだ。やれやれ、勿体ないことだ」

「そ、それって……私のせいですか?」


 そういえば、昨日アリーシャちゃんの魔法を受けて気絶しちゃったんだよね。


 それが転校の動機になったのかも。


 アリーシャちゃんからしたら、自分のせいで転校する羽目になったとしたら、いたたまれない気持ちだろうな……。


「そうかもしれんが、ワイマールが気にする必要はない。現にウィルキンスを見ろ」

「え? 私?」

「昨日、ウォルフォードの非道い魔法を受けても、心折れずに学院に通っている。ミゲーレが転校したのはミゲーレの心が弱かっただけだ。ウィルキンスはそれを克服した。よく頑張ったなウィルキンス」

「せんせぇ……」


 ちょ、私の魔法が非道いとかどういうこと?


 それより、デビーの様子がおかしい。


 先生に褒められたデビーは、真っ赤な顔で目を潤ませ、先生を呼ぶ声もどこか艶っぽい。


 これ、完全に惚れてんじゃん。


 ガチ恋じゃん。


 生徒と教師って、ヴィアちゃんとお兄ちゃんよりハードル高くない?


 私は、将来デビーから先生との仲をどうしたらいいのか相談される未来が幻視できて、私への扱いも含めて深い溜め息を吐いた。


 すっかり、セルジュ君のことは忘れていた。


 こうしてSクラスは、入学から一週間と経たずに欠員一名となってしまったのだった。


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