第十八話

 大奥へ届ける文面を考える。

 渡し方が秘密裏なものになるため、最初の文は本題に触れず、当たり障りない内容にして縁を結びたいという程度にとどめておく。


 誰に渡すかも重要だ。今回、家継様に不幸があった場合についての話なので、御生母様であらせられる月光院様ではなく、天英院様に送ることにした。


 渡し方は、庭番忍びが紛れ込ませた女衆から目的の人物の手に渡るようにするという。さすがに直接、天英院様に渡すわけではないだろうが、それなりの地位のあるものに渡せるのだろうか。


 それにしても薮田は自分で届けるとも言っていたようだ。さすがにそれは政信が止めたようだが、とんでもないことを言っている。


 大奥とは上様以外の男が立ち入れないというのが前提。男が立ち入れれば跡継ぎとして生まれた子に疑義が生じる。それを防ぐために男は立ち入れないことになっている。

 そして大奥の女性も外に出れない。外で行為に及ばれては意味がないからだ。

 つまり隔絶された世界が大奥なのだ。


 その世界を守るため警護として御広敷番という侍も大勢いるし、御広敷伊賀者が影の警護をしているのは公然の事実。そこへ忍び込んで手紙を届けてくると平気で言ってくるとは。

 俺の思っていた以上に庭番忍びの技量が上がっているようだ。


 とりあえず、大奥はそういう状況であるから、話をしたくとも直接とはいかない。


 一応、現実的に男を全く介在させないのは男社会である幕府には不可能なので、取次の者がいたり、雑用を任されている男もいる。当然厳しい監視のもとで。

 面会もできなくはないが、御広敷番の者が同席するし、部屋の周囲には伊賀者が聞き耳を立てている。


 以前はお付きのものを外に出すことも目溢しされていたが、昨年のとある事件により外出にも厳しい監視がつくようになった。


 そのため、対面で密談をするようなことは不可能であった。


 それにより書状によるやりとりしか選択肢はないのだが、物証として残る危険性も孕む。

 こればかりはどうしようもなく、天英院様の聡明さに賭け、隠語でこちらの意思を伝えるしか無いという結論になった。



 最初の文の内容はこうだ。


『私はよく家宣公が政務を取り仕切っておられた様子を思い出します。私の改革は家宣公のお考えを参考にさせていただき成功する事が出来ました。これからの政務においても家宣公をお手本とし邁進してまいります。つきましては、生前お語りになっておられた構想など参考になるようなお話が聞けましたら幸甚です』


 要点として、家宣公の政治を尊重して受け継ぐ意思がある事、改革の実績があり、それは家宣公の御遺徳であるという事。


 天英院様は家宣公の御正室であり、権力基盤もそこにある。家継様が成人なされれば、その基盤は不安定になるのは明白。今は幼いため、父に当たる家宣公の正室、夫人の序列一位つまり母親としての立場が保たれているに過ぎない。


 しかし色合いで言えば天英院様は家宣公の妻。その点、月光院様は生みの母である。

 家継様が御正室を娶られれば、家継様の御正室と月光院様に権勢は移り、天英院様が口を出す謂れが無くなってしまう。


 そういう面でも、月光院様ほど余裕はないとみている。

 ただ、昨年に起きた事件、江島生島事件は月光院様の力を削ぐ形となってしまった。これが天英院様の御心にどう影響を与えたのかは計り知れない。


 俺の読みでは、大奥の権力争いに劣勢に立っていた天英院様が、この事件をきっかけに巻き返した。その立ち位置を確固たるものにするためにも話に乗ってくると読んでいる。


 どちらにせよ、手紙の返答を待ち、どういう反応をしてくるのか見定めねばなるまい。


 今回の文は家宣公を持ち上げる内容だったので、単に満足して終わらせるのか、裏を読み、こちらの意向を汲み取れるのか。その対応次第では組む相手として不足ないかわかるだろう。


 ダメなら仕方ない。切り口を変えて月光院様に繋ぎを取ればよいのだ。

 そうだな。やはり江島生島事件から陰りを意識して復権の協力をするという辺りが落し所であろうか。



 庭番忍びの頭領である薮田に手紙を託した翌日の昼、返書が届いたと件の薮田が報告をしてきた。

 想像以上にずっと早い対応だ。


 逸る気持ちを抑えて手紙を手に取る。薮田には政信を呼ぶよう伝え、先に内容を確認する。


『吉宗殿のご活躍、この閉鎖された大奥にも届いております。私の良人様を偲ぶお気持ち、嬉しゅうございました。今後も家宣様の御威光が天下を照らすことを願っております。思い出話に花を咲かせたいところではありますが、残りの紙面に書ききれるか不安に思う次第です。引き続きお手紙のやり取りをお許しいただけますれば、つらつら書き連ねる事も叶いましょう』


 という事だ。思う事はあるが、政信の意見を聞いてからにしよう。もう来るだろう。



「政信、早速返書が来たぞ。読んでみよ」

「早いですな。出したのは昨日の昼頃ですから、丸一日ですか。では失礼して」


 政信は手紙を読み進めるが表情に変化はない。そんなに長い文面でもないからすぐに読み終える。


「どう思う?」

「そうですね。手応えありという事でしょうか。期待通り聡明な方で安心しました。名君であった家宣様の御正室様ですから、そうであってほしいと期待はしていましたが」


「そうだな。そして返書の速さ。天英院様は焦っておるようだな。今の優勢なうちに足場を固めたいのであろう」

「ええ、渡りに船と思ったのでしょうが、主導権はこちらにあります。交渉も優位に進められましょう。こちらは月光院様という手も残っています。尾張に掻っ攫われないよう並行して誼を通じておくのも良いかもしれません。決裂するまで交渉相手は天英院様のみに絞りますが」


「ああ、そうしておこうか」

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