第十九話

 街中ではある噂が広がっているという。


 尾張公である徳川 継友を揶揄するものだ。噂によると彼は、吝嗇で蓄財に熱心。加えて短慮であるため、行き当たりばったりな政策を行っているというもの。


 よくよく調べてみると、吝嗇で蓄財に熱心というのは、幼き頃からの習性のようなものらしい。まあ、部屋住みというのは、健康に生きてさえいれば良いという扱いだから外にも出れず、嫁も取れず軟禁状態である。

だから小遣いである捨扶持はもらえないだろうし、少ない銭を貯める癖が付いてもおかしくはない。

 

 そのような幼少期の事の習性が広がってしまったのは、紀州藩と似たような経費削減策を実行した事が原因のようだ。

 言い出した人間からすれば悪口の一種で相手を貶めるつもりなのだろう。



 俺は藩主が率先して絹物を着ないよう経費削減を推進したのに対して、継友は、どうやら一族の俸給を抑える事にしたようだ。

 元々、嫡流ではないお控えが急に藩主の立場になり、一族の力関係が逆転した。普通であれば、親族に遠慮すべきところであるのだが、それに考慮することなく、無駄な金と称して削ってしまったのだろう。

 わからなくもないが、人間というのは生活水準を下げる事に抵抗を覚える。それを強いられて喜ぶ人間はいないだろう。俺が思うに紀州藩でも藩主がやっているから仕方なく納得したという感が強い。


 そういう周囲の反応や感情を読まず、やりたいことを押し通せば逆撫でするのは目に見えている。

 もしかすると今までの自分に対する処遇の仕返しのようにも思えた。


 とまれ、やはり改革は反対派が出やすい。しっかり押さえこんでから出ないと、足を引っ張られるのがよくわかる事例だ。身内の一族衆は力を持っていることが多い。

 それを敵に回せば、思うようには動けないであろう。


 その辺りを知るに周囲の状況を把握せず、自分のやりたいことを優先してしまう性格が表れているなと思う。

 しっかり引き留めるべき附家老は、就任直後の酒宴の件で愛想をつかされているようだし、お控えという部屋住みでは、腹心といえる配下を有する事もなかったであろう。


 そうなると、必然自分に心地の良い言葉を吐く配下だけを侍らせ、うるさ型は遠ざけられる事になる。


 今の悪癖が是正されることもなく、助長されていってしまうのだ。これは見過ごせない。



 同様の行動はいくつも散見される。酷いのだけでも二つ。


 一つは、将軍 家継様に伊勢神宮参拝を上奏した事。その行い自体は何の問題もないが、時期が問題であった。

 よりによって、その時期は朝廷の制中であったのだ。天皇から宣下を受ける将軍が割り込める道理はないのだ。

 思いついたまま調べもせず発言したのだろう。本人は良かれと思っても事態は朝廷と幕府の関係崩壊を引き起こしかねない状態になるやもしれなかった。


 立場のある人間が思いつきで話すのも問題だが、それを止める、もしくは相談を受け下準備を行う家臣がいない事も問題である。


 尾張藩ですらそれなのだから、将軍となったらどれだけの被害を生じさせるのであろうか。将軍となった継友を止められる人間がいるのであろうか。



 さらにもう一つ。


 先般の神君家康公の百周忌での事。

 法要であるから、参加する諸大名は、質素な服装で参列した。


 上様である家継様ですら、上等の絹物とはいえ、落ち着いた無地に葵の御紋のみ。

 だというのに、継友は煌びやかな籠で乗り付け、出てきた姿は自らを誇示するような獣の皮を継ぎ当て派手な色使いをした羽織を羽織っていた。

 その顔を喜色満面。皆の注目を浴びて顔を上気させていた。


 さすがに、法要の場では、その羽織を脱いできたのだが。


 一体何を考えているのだろうか。この度は家康様の御法要のために集まっているのであって、お前の注目を集める場ではないのだ。

 家臣どもも、どうして諫めなかったのだ。


 尾張藩主に就任して二年も経たずにこの惨事の数々。この先も不安でしかない。



 しかし、間部達は継友の後押しを止めない。昨年末に参議に叙されると、今年には権中納言に叙される予定だとか。

 そうなれば、俺の官位と同じになる。俺の優位の一つが潰された。


 だが、間部達の政権運営は、すでに崩壊しかけている。老中たち幕臣からの抵抗も激しくなり、彼らの思ったように政策を進める事が出来なくなってきている。


 元々彼は学者で優れていた。彼の思想も政策も目を見張るものがあった。が、現実の世界で人の集団にそれを落とし込める事と同義ではない。


 俺でも、幼き頃から考えては潰され、無視されてきたのをじっと待っていた。

 汚職役人の掃討という好機があったからこそ自分の考える改革を推進できたに過ぎない。


 であるのに、彼は従わない者を悪と決めつけ、論破し無理矢理従わせてきた。

 相手が正論を述べると、上様の上意であると伝家の宝刀を抜き、黙らせてきたという。


 それでは一時引き下がらせたとしても、心から従っているわけではない。

 今回のように、その力に陰りが見えれば、溜まっていた鬱憤が噴き出る。どの権力者の晩年も似たようになるのはそのためだ。


 政治とは全員の同意を得て行えるものではないのは承知している。

 しかし、納得させることを蔑ろにしても良いという意味ではない。喫緊の問題であれば、伝家の宝刀を抜くのも仕方のない事だろう。しかし間部詮房と新井白石は多用し過ぎた。


 彼らの思いとは別に幕府の運営は混迷を極めている。それは政治を主導する彼らの責任だ。その力を自らの権力維持に用いるのは許されるものではない。


 力に溺れる者は、力によって淘汰される。必ずや俺が引導を渡してやろう。


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