第十七話
「策とな。教えてくれぬか」
「はい。策は三つ。上策、中策、下策」
「当然、上が良くて下が悪いという訳ではなかろう?」
「さようにございます。上策は危険は大きいが得るものも大きい策。下策は安全ですが得るものは小さく、中策はその間の策です」
上策は危険を孕むが得るものが大きい。政信の様子からするに、おそらく成功すれば確定するほどの妙手。いや危険度も高いから鬼手か。
下策は安全策。将軍位争いに負けても俺に危害が及ぶことは無いだろう。直接的な者でない不利益も被らないような策を考えているに違いない。
中策は考慮に値せんな。どっちつかずというのは、どちらも得られるように見えて、どちらも得られない事の方が多い。
「やるなら上策だな。俺は既に出遅れている。安全策を取るほど余裕はあるまい」
「私もそう思います」
「ちなみに下策の内容も聞いても良いか?」
「下策は単純なものです。間部、新井両者に賄賂を贈り、遜るのです。今の役職を安堵してやることも必要でしょう」
「それは……効果は無くはないだろう。しかし尾張が同じ事をすれば効果が薄まるな」
「はい。しかし将軍位争いに負けても傷になりにくいでしょう。お互い様ですし、間部、新井も悪い気はしていないでしょうから」
「そうだな。それで取るべき上策というのは?」
「……本当に覚悟はおありですか? 手を付ければ後には引けませんよ」
「正直踏み込みたくはない。しかし尾張が将軍になるのは認める訳にはいかぬ。認めてしまえば自藩だけでなく、日ノ本の全ての民が苦しむだろう。あいつには他人の痛みより自分の喜びを選ぶ」
「そのためにご自分が犠牲になりますか?」
「…………」
「誰もが皆、何かの犠牲になるのですかね。立場が上になればなるほど逃げ出せなくなってしまいますしね」
「そうだな……」
「……それでは上策について説明いたします。幕府における権力者は一人ではありません。まずは将軍家継様及びその側近」
「間部や新井だな。そしてそいつらは尾張派と言える」
「ええ。残るは二つ」
「そんなにあるのか? ああ、ひとつは老中達か」
「残るはお分かりですか?」
「……わからんな。幕府の舵取りは将軍と老中くらいしかできなかろう」
「表向きはそうですな。しかし、どれだけ権力を持とうと男には勝てない相手がおります」
「それはっ!? 女が政治に口を挟めるのか?」
「挟ませれば良いのです。彼女らの権力は時間制限があります。それに今回頼っても後々も口を挟んでくることはありますまい。後腐れのない協力者です」
「そうなのか……」
「そうです。今の大奥の勢力は、天英院様と月光院様の二頭体制。天英院様は、前の将軍 家宣公の御正室。家継様が幼いおかげで大奥に残っておれますが、もう力に陰りが見えます。そして月光院様は家宣公の側室で家継様の御生母様。家継様が亡くなられれば、彼女の権力も失われるでしょう。どちらもあの優雅な生活から放り出される運命です」
「大奥から放り出されれば、どうなると思う?」
「慣例に従い放り出されれば、寺で故人の冥福を祈るのみです。散々贅沢になれた彼女達がそのような生活を甘受できるはずもありません」
「それを救うと。金はかかりそうだが、間違いなく終わりを出し抜けような」
「おっしゃる通りかと。男というのは、自分たちが世界を回していると思うもの。女の存在は意識の外にありましょう。しかし使えるのは一度きり。しかも不発に終われば幕閣や間部達からは嫌われるでしょうな」
「嫌われる事には慣れておるわ。どこから取り掛かる?」
「まずは、味方に引き入れる事。周囲に疑われぬように連絡を取らねばなりません。むしろやるべき事はそれのみ。口を挟ませる理由付けは簡単ですので」
「口説き落とす文句を考えねばな。しかしどうやって口を挟ませる?」
「それは向こうの対応を見てから考えましょう。彼女らは聡明ですから私の予想した通りに反応するはずです。それと理由ですか? どちらかに閨で家宣公の遺言を聞いたと言わせれば良いのです。誰も否定できませぬ」
「それは……」
「さあ、まずは文を出しましょう。もう後には引けませぬよ」
「まさに鬼手よな」
ニヤリと満足そうに笑う政信。ここまでの者とは思わなかった。
知り合った時には離れと称した物置小屋に引きこもり、書を読み更けていた青年だった。さくらの事であたふたしていた兄の顔は今でも覚えている。
変わってしまったのは、深く政治の世界に引き込んでしまったからか。それともこれが覚悟という者なのだろうか。
俺はいつまで経っても甘いのかな。
「手段はわかったが、後は皆が納得するか?」
「残る部分はそこですな。どう認めさせるか」
「それも考えがあるのだろ?」
「もちろんです。今の状態はわかりやすいものです。傍から見れば尾張公と紀州公の一騎打ち。どちらが勝つか。つまりどちらが将軍にふさわしいのかという点に集約されます」
「それで?」
「この話の肝は、絶対値ではなく相対値であるという事。つまり仮に殿が将軍の資質が無かったとしても、尾張公がさらに劣っていれば殿が将軍となります」
「相手を貶める事は許さんぞ」
「かしこまりました。では優れている事を喧伝しましょう」
「尾張公より優れている点か」
「ええ、できれば感覚的な事ではなく数値的なものが良いでしょう。紀州藩の改革による収益向上額及び蓄財の額あたりでしょうかな」
「結局は金か」
「ええ。幕府も財政は火の車。新井が年貢を三割に下げ、米に頼らない政策を展開しましたが、机上の空論。金を稼ぐ手法を見いだせてはおりません。誰かが立て直さなければならぬのは自明の理。むしろここしかありませぬ」
「その噂を広めるか」
「はい。殿がいかに将軍に向いているか、庭番忍びを用いて広めます」
「そのくらいはせねばなるまいな。任せる」
「はっ。ではこの場をお借りして薮田と打ち合わせをしてから戻ります」
承諾の意を伝えると俺は部屋を出る。このような話の後では気が高ぶって仕方ない。
弓場に行って体を動かすとするか。
◇◇◇山波 政信 視点
「薮田よ。聞いてましたね」
「はっ」
「大奥への繋ぎと噂の流布、頼めますか?」
「かしこまりました。大奥には人も入れておりますし、私も忍べ込めます。噂の内容はどうされますか?」
「忍び込むのは最後の手段で。今は時間をかけてもしっかりとやり取りができるようにしておいてください。噂は当然、殿の善政と改革の成功。そして尾張公の悪評です」
「宜しいのですか?」
「良いのです。殿は陽のお方です。万民を明るく照らし導いて下さる。汚い部分は知らなくて良いのです。それに殿は素直すぎますからね。知っておれば顔に出てバレてしまいますよ」
「ふふ。左様ですな。それと……」
「なんです?」
「差し出がましいようですが、二年前の尾張の事件はお師匠様が?」
「あれについては私と風羽の三左の独断です。知らない方が良いでしょう。庭番忍びはこれからも殿を支えていかねばなりませんからね。将軍となった殿の汚点となるような事は存在させません」
「それは……」
「殿が将軍になったらという仮定の話です。では頼みますね」
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