第十三話

 改革の最後は俺の幼き頃より温めていた改革案である年貢の徴収方法、つまり現行の検見法に手を入れる事だ。


 郡代見習として働いていた時に知ったのだが、この検見法というのは、正確に丁寧に祖税額を算出する手法だと思う。


 その反面、手間もかかるし、農民の作業を阻害してしまう。

 紀州藩に蔓延っていた不正の温床にもなりやすいという悪循環の流れも持ち合わせている。


 検見法の流れとはこうだ。


 村役人と農民が区切れらた水田の出来具合を見分して帳簿に付ける。

 それを地図に書き込み村の収穫予測をする。


 その後、代官の配下である手代が作成した帳簿を見ながら坪刈というものを行う。


【坪刈というのは、現代のサンプリング。実際に一坪だけ刈り取って、どの程度の出来になるか調べることです】


 その坪刈をもって村全体の生産量を推量するのだ。

 この手代による事前の検分の事を小検見こけみという。


 小検見の後、代官が同じように農村の巡回と坪刈を行い、小検見の報告と自分の視察結果を勘案してその年の年貢高を決める。


 このように検見法は毎年の視察、検分が必要となるため、多くの役人を用意しておかなければならない。


 そして収穫量の多寡は手代と郡代の胸三寸という面も否定しきれず、不正が起きやすいのも問題だ。


 役人によって治める年貢の額が上下してしまうのだから、役人が増長するのも時間の問題だった。


 人間は常に誘惑に勝ち続けられるほど、強くはない。最初は小さな不正でも慣れれば少しずつ大胆になり、大きな不正へとつながる。


 高潔な役人もいたが、その何倍も不正に手を染めた役人が多かった。


 結果、紀州藩においては農民を下に見る役人が多くなり、接待を強要する、権力を嵩に無理難題を通そうとするといった悪習慣が生まれる事となった。



 翻って俺の考える租税法では、今までの収穫量から統計を取り、平均的な年貢率を定めるといった方法である。


 この方法であれば、毎年の収穫量を記録していくことで、毎年現地に役人が赴かなくとも祖税額が決められる事ができる。


 つまり、今までのような役人の恣意性を排除できるうえ、視察の回数を減らせるので人員削減と経費の削減に役立つ。

 坪刈の結果を待つまで農作業の手を止めさせる必要もない。


 我が藩は、人員が削減された状態であるので、仕事量も減るこの租税法は、役人の反対もなく、すんなり導入された。


 色々と考えてみてこの方法が良いと思いついたのだか、よくよく調べてみると、同じような制度は過去の日ノ本にもあった。

 本格的に導入されている場所は少なく、広く知られていない租税法であったようだ。


 これは定免法と呼ばれている。


 定免法では、過去五年間とか十年間のように期間を定めて、その期間中の収穫高平均を算出する。

 その平均値から年貢率を決めるもので、実際の収穫量に関わらず数年間は一定の年貢を納めることになる。

 つまり工夫を凝らして収穫高を増やせば増やすほど、農民の収入が増えることになるのだ。


 紀州藩によっても都合の良いことが多い。藩の収入について長期的に予測できるようになるのだ。これにより計画的な運営が可能となった。


 しかし、余りにも凶作の時にも決められた年貢を取り立ててしまっては、農民が生きていけない。

 それを避けるためにも破免(年貢の大幅減)という制度も用意している。

 定められた減収率になってしまった場合には、年貢の免除もしくは、年貢を大幅に減らす事を認めるのだ。


 例え、破免があったとしても、最初のうちに減耗率を計画に組み込んでおけば、問題ない。

 そもそも米作の収穫量の不安定さを租税に直結させない制度でもあるのだから、収穫量の増減は想定済みだ。米の出来、不出来は、制度の如何を問わず、今も昔も変わらないのだから。



 これで紀州藩の改革は、全て走り出した。

 俺は、一年もここにいられない。参勤交代で江戸に戻らねばならぬからだ。

 後は、残していく国元の家臣たちの働きに期待して成果を待つばかり。正直歯痒い。

 俺が直接陣頭指揮を取ればスッキリする。が、それが出来ないことは重々承知。


 江戸にて報告を待ち、結果に一喜一憂するしかない。

 もちろん監査の手は緩めない。以前のように不正が横行する前に、不正の芽を摘む事が健全な運営を成立させてくれるだろう。


 庭番忍びも数も増えてきた。

 和歌山城内はもちろん、城下の町にも配置している。


 悪さを見逃さない事は当然として、良い働きも報告させる事にしている。

 街の雰囲気も報告対象だ。


 藩が栄えても、領民の犠牲の上に成り立っていては元も子もない。

 つまり釣り合いというものだな。

 藩も領民もお互い様で支え合うのが理想だな。



 おそらく改革を進めていけば、予想と違ったり、望まぬ結果になる事もあるだろう。

 しかし紀州藩は昔ながらのやり方を続けていれば、遅くないうちに立ち枯れてしまう。


 変えていかざるを得ないのだ。立ち止まる事は衰退と同じ。

 今の紀州藩には立ち止まる事はさえ許されない。


 ある程度、指示を出し終えると俺の仕事は少なくなる。

 当初はお忍びで街歩きをしているが、最近は減ってきた。



 それは、いい加減さくら殿に会わねばならぬという事実。街歩きをすれば、行かない理由を探しながら歩いてしまうからだ。


 紀州藩主となってから一度も会っていない。それ以降、結婚もしたし側室も持つ事になった。


 その話自体は政信がいるから話は伝わっているだろう。

 今までは、政策論争をするために政信の自宅である山波屋敷に行っていたのでよく顔を合わせていた。


 しかし紀州藩主になってからは、腹心として政信が城に詰めるようになり山波屋敷に行かなくなった。

 なんとなく後ろめたく感じてそのままだ。


 さくら殿とは何か約束をした訳ではないが気持ちは通じ合っていたように思う。

 一度は向かい合わねばなるまい。


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