第十二話
国元である紀州藩の人員整理は済んだ。
通常の藩務を行う分には問題ない。むしろスッキリして業務が捗るし、指揮系統も明確になったし良い事ばかりだ。
しかし、今、紀州藩は突発的に起きた問題を抱えている。一七〇七年に起きた宝永地震の復旧・復興作業だ。
今までの紀州藩では、手がつけられず、復興が進んでいるとは言い難い。
しかし、藩士は数が絞られた上に経験不足のため、業務を兼業する余裕はない。
そこで江戸藩邸の人員を使う事にする。
江戸藩邸に詰める藩士は既に江戸生まれが大半であり、紀州への転属はあまり喜ばれないのを知っている。
今回は、地震復興のための有限的な転属である事を告げ人員を回してもらった。
江戸藩邸と言うのは各藩の出先機関であり、情報収集や幕府との連絡のやり取り、各藩との交渉など、仕事は無くはないが喫緊の仕事は上層部だけだ。
少し人数が少なくなろうと、国元の復興と比べれば大した事はない。
これで徐々にではあるが復興は進んでいくだろう。
緊縮財政を敷いた紀州藩で仕事が減ったとしても、公共工事として領民に仕事を提供できる。年数単位での計画となろう。それまでに紀州藩を立て直せれば経済も回り始めるだろう。
この土木工事関連でも計画を策定するのは、治水工事に並々ならぬ意欲を見せる井澤殿。
彼は有言実行といえる。
父上が藩主の頃に河川の治水工事をすでに実施していた。大畑才蔵という者と組んで藤崎井用水路を開削したのだ。
結果、農業用水の枯渇しやすい紀ノ川右岸流域は、大規模な水田地帯へと変貌し、そろそろ収穫を見込める状態まで来ている。
これにより大きく収穫高が上がる予想である。
それを知っていた俺は藩主となりすぐに伊澤殿へ連絡し、小田井用水路の開削を依頼していた。伊澤殿を通じ、依頼を受けた大畑は、この困難な計画を進めている。
この小田井用水路の通る地域は藤崎用水路よりも土地の高い地域であった。つまり川岸より土地の方が高いので普通に掘るだけでは水が流れない。高さの取れる、かなり上流から水を引っ張ってくるしかなかった。
そうはいっても、計画地には小川もあるし谷もある。
そこで大畑才蔵は、普通では思いもつかない手法を導入する。
当時説明を受けた俺は全く理解できなかった。用水路が小川を横断しなければならない時、水を交わらせないようにするには、どうすれば良いだろうか。
彼は小川の下を掘削して下を通した。
こう書くと簡単聞こえるが現実はそう簡単な話ではない。
単に穴を掘るだけでは、今の計画だと用水路の方へ水が流れないと説明を受けた。
どうも、交差させると一番低い水路に水が流れ込んでしまうかららしい。
今回で言うと小川の方へ流れてしまうようだ。
そのため、この課題には伏越という技術が使われているらしい。
これはわかりやすく物に例える。小川の両側に大きな升を埋めるとする。この升の下部に穴を開け、小川の下を通した管(樋
こうすると小川を挟んで埋められた升同士が、小川の下を通った管で連結された状態となる。
この管と升を水で満たしておくと、下流の方が低いので下流側の水が流れ出る。そうすると何故か上流側の水が引っ張られるように下流へと流れるようになる。という事らしい。(注:逆サイフォン構造というものだそうです)
何故このようになるのかよくわからないが、この方法だとスムーズに水が流れるとの事。不思議だ。
逆に谷がある場合はわかりやすい。掛樋という水を通す路のための橋をかけるだけだ。
こうしてはるか上流から紀ノ川右岸流域に用水を届ける(取水口である上流から用水の末端まで27キロメートル)ため、小田井用水路の計画を進めているのだ。現状では半分くらい計画は進んでいる。
そう遅くないうちに完了するだろう。
話は伊澤殿に変わるが彼の提唱する治水(河川の氾濫を抑える)とは、川の決壊箇所が川の流れが曲がる場所である事から、曲がりくねる流れが問題だと考えた事に端を発する。
曲がったところが決壊しやすいなら流れを真っ直ぐにしてやれという彼の工法は、初めて聞いた当時も、今も開いた口が塞がらない。
そこらの上水樋を真っ直ぐにするなんて規模ではなくて、莫大な水量と長大な流域を持つ川の流れを全部変えろという。
水が溢れて決壊してしまう前にさっさと水を流してしまえという事だ。
理屈は良くわかる。しかし、それを思いつく彼の思考の柔軟さ。壮大さ。俺のような凡人には出ない発想だった。
既にそれについても着手している。
今までの川の治水対策は、ある程度溢れる事を受容しその水を受け入れるための遊水地という場所を取っていた。
それは、川幅以上に土地を大きく確保する事になる。一番水に近い水田に向いた場所を遊ばせておくしかなかったのだ。
どのみち、この方法では川沿いに水田を作ったところで、水没してしまう可能性が高かった。
しかし、伊澤殿が作り上げた方法は、水が溢れる事を許容せず、河口まで川の流れを直線にした。そのため、堤防は二段式の強固なものとして、旧来の遊水地のような場所が不要となった。
川筋に水田を作っても、川は決壊しないので問題ないという想定だ。
これにより、川のすぐ側でも水田を作れるようになり、優良な新田を多く生み出す事になった。彼はこの工法を紀州流と名付けた。
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