第十一話

 紀州藩はある理由から、隠居の嵐が吹き荒れたため、若い家臣も多い。家格があろうとも能力に難のある者が大半だ。

 そして、それは今までの藩務を簡素化する一助にもなった。アレコレ作業を増やして権限者おいても、もう着服できないから旨味はない。そして経験の少なさが出来る事を狭めており、必然、藩務は簡素化されるに至った。


 そうすると、各個人の能力が大切になる。それを昔のように家柄だけで決めていくと碌な事にならない。


 そこで家柄、出自に関係なく能力のある者を抜擢することにした。

 腹心とは言わなくとも、上層部に期待されて仕事を任された藩士達だ。


 こうなってくると、担う職責と俸給が釣り合わなくなる。かといって、俸給を増やしてしまうと未来永劫その額を支払わねばならぬし、抜擢された藩士の子孫が優秀とは限らない。


 江戸の町役人なんかは一代限りのお抱えで、そうすれば良いように思うが紀州藩士は定額の俸給を貰う身。不安定な一代限りのお抱えにされるのは納得できまい。


 この問題は腹心の部下にも当てはまる。立場を大きく引き上げたが、同じように職制と家禄と見合っていない。相も変わらず軽い身分の者には従う者は少ない。これは心情の問題なので、すぐにどうこうする事はできない。


 そこで職制と家格を見比べて、俸給が足らぬ状態、つまり足が出てしまう者には、その分を補填する足高制を導入する事とした。


 この制度は、職制の俸給を一定にする者である。例えば、五百石の職制であれば、だれがそのお役目に就いても、五百石支給する。不足しない者には支給しない。


 家禄が百石の者であれば、四百石。仮にこの者が、さらに出世して千石のお役目に就けば九百石を支給する。

 つまるところ、期待する職務に対して俸給を支払う。その期待値を満たしてくれるのであれば、誰がその座についても良いのだ。商人の子でも農民の子でも。


 この制度の良いところは、その時、その時に優秀な者をその座に就けられる事。身分や家柄ではなく、本人の能力によって出世する事も大いにある。今までは出来にくかった収入を増やすことも可能となるのだ。

 不正など働かずとも一所懸命に働けば、加増も夢ではない。


 これによって、腹心の者達も、抜擢された藩士も責任だけ重く、俸給が見合わないなんて事もなく、彼らの能力に報いた俸給支払制度となるだろう。


 ちなみに、この制度の発案は政信。俺は当初さくら殿から聞いたが、ネタ元がいた。

 そして、この制度自体は珍しいものではないようで、知っている人は知っているという感じらしい。

 しかし、どこも取り入れている所はない。


 なぜか。権力を持つ重臣に不利になるからだ。江戸幕府は雁字搦めの身分制度で前例主義を貫く。幕府も諸藩も組織としては超保守。根本的に制度を変えるのは難しい。

 その上で、そういう権力者である者達の安定を覆すような制度を導入しようなどと考える訳もない。

 そんな話でもしようものなら一笑に付されるだけだろう。


 紀州藩は、重臣どもを一掃し、若い家臣たちは負い目を持っている。

 何より財政赤字は現状維持すら許されない状況だ。この悪い状況を逆手に取り、足高制を導入したに過ぎない。


 おそらく、順当な家督継承であれば、俺も口にしたところで実現まではこじつけられなかっただろう。



 幸いにして導入で来た足高制を実施してみて思う事は、新しい風が吹き込み組織が柔軟になったように感じた。


 今までは家柄で職制が決まっていたので、親のやり方を子が行い、それを次の世代が真似をするといった柔軟性の無いものだった。前例に則れば失敗はないし、不測の事態が起きても言い訳が効く。しかしこれでは、新しい発想は生まれないし、状況が悪くなっても打開できない。悪くなるのを承知で昔ながらのやり方を続けるだけだ。


 しかし、身分に拘らず登用すると、色々な価値観や前身の経験から多様な発想が生まれ、その結果、効率的な藩の運営ができるようになり良い循環になっているように思う。



 そこでもう少し間口を広げで、多くの者から意見を聞くようにした。

 といっても、俺がいる場で話させた所で、本音が聞きだせるわけもないので、町中に箱を設置する。

 藩にああして欲しい、こうして欲しいという訴えを広く集める。


 町中に置いた事からわかる通り、訴える人間の身分は問わない。名も記す必要はない。もちろん、自分の名を書いて訴えても良い。字が書けなければ、寺で代筆を頼むのも結構だ。


 誰でも良いから、藩を良くしたいという意見を求めた。

 武士の視点では気が付かない事。役人の目では届かない事。

 意外と多いものだ。


 俺らは、色々と考えて方針を立てているが、どうしても長期的で大まかにならざるを得ない。

 しかし庶民は、今の生活で困っていることを重要視する。その中には、自助努力で何とかすべき事も多かったが、藩政の構造上の問題で、庶民に負担をかけている事が分かった事例もあった。


 そういう不満や不安を直に感じ取る事が出来たので、町中には高札を立て、説明をしていった。

 庶民はみな、武士が町民の言う事を聞いてくれるのかと半信半疑であったが、しっかりと回答と展望を聞くことができ安心したようだ。


 それ以降、箱には多くの訴状が入る事となった。

 この箱は目安箱(目安=訴えを箇条書きにしたもの)と名付けた。

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