第七話

 一七一〇年四月 紀州藩 和歌山城


 澄み渡る春の空模様。温暖な紀州では桜は既に散ってしまった。今は青々とした葉が生い茂る。

 この腐りきった紀州藩でも綺麗な花が咲いたようだ。


 随分と待った。奴らは俺がいないのを良い事に紀州藩を食い物にし享楽に耽った。


 もっと早く帰りたかった。しかし、綱吉様が側に置きたがったため紀州に帰れなかった。もしかすると紀州と尾張の確執をご存じなのかもしれない。紀州徳川家最後の直系である俺を守るため、手元に置こうとしていた節がある。


 その綱吉様はもういない。昨年お亡くなりになられてしまった。そのおかげなのか帰国の許可が下りた。良かったのか悪かったのかわからない。


 そのせいで元凶である国家老 久野 宗俊が隠居してしまった。返す返すも残念だ。あやつには俺が直接引導を渡したかった。

 しかし、望みは繋がっている。宗俊の息子 俊正が引き継いでいる。権勢も不正の仕組みも。新任だろうが断罪するのに躊躇う必要は無くなった。



 城の評定の間にて家臣一同の挨拶を受ける。早く政信達と家中掃討作戦について打ち合わせをしたかったが、避けて通れぬ道だ。この後の現状報告まで座を立てない。


 どうせ、ここにいる大半はもう顔を合わすことが無くなるのだから会うだけ無駄だとしか思えないんだがな。誰もが皆、明日を知れぬ身だとは思っていないだろう。


 まともにこんなやつらの口上を聞くのがバカらしく思っていたら思いついた事があったので口にしてみる。


「ここにいる皆は我が藩を代表する文官ばかりだな?」


 急な問いかけに座に集う家臣のうち、歳の若い男が答える。国家老 久野 俊正だろう。お前が久野か。


「はっ。左様にございます。我ら紀州藩五十五万五千石の政務を担う者達。どこに出しても我ら以上の者はおりますまい」

「そうか。であれば、我が藩が傾いて放逐されても食い扶持に困ることは無いな。我が藩の家臣が有能で助かった」


 誰もが皆、笑顔が張り付いたまま身動きすらしない。情報を処理しきれないのかもしれない。有能なはずなのにな。


 有能なのは人の財をちょろまかすくらいなんじゃないか? 馬鹿にしたくてたまらなかったが、警戒させるわけにもいかん。


「冗談だ。俺がこの藩を立て直して見せる。絶対にな。だから安心しろ。紀州藩は再び栄華を極める」


 ほっとしたような空気が広がる。

 ただし、俺が保証したのは藩の事だ。お前らの事など守る気もない。安心して沙汰を待て。



 評定の間から私室へと戻る。既に腹心の薬込役 筆頭 山波政信、薬込役で庭番忍びの頭 薮田 定八、熟練の忍びで夕凪衆の棟梁 風羽の三左が待っていた。


 これが俺の近臣だ。部屋の守りは夕凪衆が固める。暗殺どころか盗聴も許さない。表の入り口は水野が固めている。これ以上ない守りだ。


「さて、ついに帰ってこれたな。江戸での打ち合わせの通り、藩に救う害虫を駆除する。藩政の改革はそれからだ。政信、続きを頼む」


「はい。庭番忍びの内定調査はあらかた終わっております。国家老の代替わりは想定外でしたが、地盤をそのまま引き継いでくれたおかげで大きな計画変更は必要ありません。薮田、殿に報告を」


「はっ。国家老以下、不正の証拠はふんだんに揃っておりまする。問題は国家老の牧野。息子に変わって多少はやりやすくなりましたが、唸るほどの金で身を固めておりまする」


「その金は我が藩の物だがな。悪い。続けよ」


「はっ。一番の懸念は、言い逃れのできぬ状況を抑える事。その為にも商人から金を受け取るところを抑えるべきことが肝要かと。主な取引相手は尾藤屋」


「尾藤屋……確か昔、草鞋の購入担当として動いたときに会ったな。いくら中抜きするかという事しか頭にない強欲な商人としか印象が無い」


「尾藤屋は長年、国家老と組んで紀州藩の公共事業を一手に引き受けてまいりました。後ろ暗い事も多いはずなのですが、私ども庭番忍びには探り出せませんでした。申し訳ございませぬ」


 庭番忍びが発足して七年ほど。忍びとしての能力は申し分ない水準に達しているという認識だったが、それは思い上がりだったのだろうか。

 俺の不審を見かねた夕凪衆棟梁の三左が口を挟んだ。


「一応言っておくが、我ら夕凪衆でも無理だった。薮田の力不足ではない」


「それほどか。大店とはいえ商人だぞ?」

「実はそれも怪しいのだ。おそらくあの店の番頭は忍びだ。それも尾張の息のかかった」


 忍びを飼っているのか。商人が? それも番頭にする理由はどこにある? 単なる情報収集のためであれば、表に出す必要はない。


「なんだと! それは真か?!」

「おそらくは。夕凪衆でもそれくらいしか掴めなかった。それは相手に忍びがいる証拠でもある」


「それでは、紀州藩の公費で敵の忍びを養ってやっていたという事ではないか!」


 思いもよらぬ情報に狼狽える俺。政信は落ち着かせるように、いつもより冷静な声で発言する。


「殿、それだけではありませぬ。藩内部の情報も漏れていたかと」

「情報だと?」


「はい。藩主の行動や予定が筒抜けであったかと。でなければ歴代藩主があれほど忍びの手にかかるなどあり得ません」

「綱教兄上も頼職兄上もタイミングが良すぎた。尾藤屋が噛んでいたのか」


「私見を申さば、噛んでいたというより首魁でしょう。忍びを裏に潜ませるでもなく番頭に据えている事から推測するに、尾藤屋自体が尾張藩の出店。運営は尾張忍び。店主は隠れ蓑でしょう」


「なんともはや……我が藩の混乱は尾張の手引きか」

「左様かと。我が藩の足を引っ張るために国家老を抱き込み、不正の道へ引き込んだのかと思われます」


「当然、尾藤屋の儲けた金は尾張に流れておるよな。皮肉なものよ。借財に喘ぐ紀州藩の金を尾張藩が使っているとは。まるで尾張の借金を肩代わりしているのと変わりないではないか」

「確かに。その流れは断ち切らねばなりません」


「尾張には、いつかこのツケを払ってもらう。さてどうするか。今の戦力では忍びの拠点を攻めるのは難しかろう。となると、尾藤屋内での面会では踏み込めぬな」

「最近は専ら高級料亭をハシゴしています。国家老の贅沢癖のようです。都合の良い事に番頭はおらず、店主と国家老のみです」


「良し。そこへ踏み込む。予定を掴んだら知らせよ。俺が近くで陣頭指揮を執る!」

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