第八話

 春先は俺の人生を大きく動かす。誘拐事件も然り、夕凪衆との出会いも然り。


 そして今、待ち望んだ報告が届く。薮田を経由して国家老と尾藤屋を見張っていた庭番忍びからの連絡だ。


「殿、獲物が動く模様。場所は白梅屋。刻は日暮れ。尾藤屋は金の用意をしているとの事」

「良し! 好機だ! この好機は一度きり。確実に仕留めるぞ。手配を致せ」

「かしこまりました」



 日が暮れかける。白梅屋のある料亭街。その一角に部屋を借り監視場所を兼ねた指令室とする。

 外が見える窓際に座った俺は、庭番忍びからの報告を今か今かと待っている。

 もう庭番忍びも出払った。側にいるのは水野のみ。


 庭番忍びの頭 薮田定八が音もなく部屋へと入り込んでくる。


「国家老の久野、尾藤屋 店主ともに出立した模様。まもなく白梅屋の座敷に入ります。予想通り、尾藤屋は重そうな風呂敷を小僧に持たせているようです」

「そうか。準備の状況はどうか」


「料亭の主人は了承済み。既に庭番忍びと夕凪衆が天井と床下に潜んでおります」

「すでに策は成った。後は魚が逃げぬよう網を閉じるのみ。座敷の情報は逐一知らせよ。金を受け渡した直後に踏み入る」



 日が暮れるにしたがってカラスがギャーギャーと鳴き叫ぶ。ジリジリと時を立つのを待つ身からすると不快な音でしかない。


 進展の報告はまだない。長い。口に運んだ茶が無くなっている事に気が付く。


 水野が茶を入れなおしてくれた。

 その茶の熱が冷めきる頃、待ち望んだ報告が入る。

 足音を出さない、その主が廊下より声をかける。


「歓談が終わり、そろそろ本題に入りそうです。酒も女も座敷から出されました」

 薮田はそう言うと、先導するつもりなのか襖を開けて廊下にて控える。


「良し! 水野行くぞ」


 俺らは、白梅屋の座敷を目指し駆け出す。



 白梅屋は大きくはないが造作は丁寧で掃除も行き届いている。城下でも指折りの店だろう。


 中は薮田の先導でひたすら進む。座敷は離れとして独立しているようで母家を中心に三つほど廊下で結ばれている。

 そのうちの一つ、母家と廊下の付け根。そこで薮田は立ち止まると何かを確認しているようだ。


 数瞬の間。薮田は振り返り、こちらに向かって頷く。

 足音を立てないようゆっくりと廊下を進む。


 段々と前に聞いた国家老 久野と尾藤屋の声がしてきた。

 もう離れも目前。


「……いつも……いな」

「いえいえ。……こそ……世話……」


 まだ家督を継いでからさほど時は経っていないというのに随分仲が良さそうだな。

 そう思うと頭に血が上り思わず駆け出す。

 襖に手をかけると両手で力一杯こじ開ける。


 ピッシャーン!

 自分でも驚くほど大きな音になった。


 突然の乱入者に久野も尾藤屋も目が点になっている。

 ほんの一瞬の間で、久野は風呂敷包みを背後へ隠そうとした。


 その横を薮田が走り抜け、風呂敷包みごと蹴り倒し、中身を散乱させる。


 ジャリン。鈍い黄金色の小判が畳に散らばる。

 目もくらむような大金。いつもならありがたいものであるが、今日ばかりは憎々しくてたまらない。汚らわしい物を見てしまった気分だ。


「久野! これは何だ!」

「とっ、殿。こ、これは代金です。そう! 代金を支払おうと。茶器を購入したものですから」


「最近は、茶器を売った店が代金を持ってくるのか? 既に店の主人から尾藤屋が風呂敷を抱えてきたと証言を得ているぞ!」


「それは……その………」

「見苦しいぞ! 内偵は済んでおる。現場も抑えた。貴様は隠居し切腹せよ。家督は子に継がせてやる」


「そのような事、承服できかねます!」

「貴様の許可などいらぬ! 俺が藩主だ」


「これが父ともども藩を支えてきた家臣にする仕打ちですか?!」

「盗人猛々しい! 父親の宗俊も同罪じゃ! 引っ捕らえい」


 薮田が久野の後ろに回り、襷で後ろ手に縛る。水野は俺の側にいて尾藤屋の動向に目を光らせる。


 尾藤屋は、顔を青ざめさせ震えている。手を出してくることはあるまい。



 尾藤屋も他の庭番忍びに連れられ、番所へと連れられていく。久野は侍のため、屋敷へと護送し、父親である宗俊とともに、改めて沙汰を伝える。


 沙汰は、だいぶ前から決まっている。切腹だ。家禄や家財を没収することは無い。家老をそのような風に扱えば、幕府や他藩へ説明がつかない。

 横領、着服の罪でと説明しようものなら、監督責任として俺の首すら危うい。もしかしたら藩の石高を削減されるかもしれない。


 この財政が苦しい中、収入を減らされるわけにはいかない。家中でケリをつけるためには、この辺りが落としどころだ。


 だから今は、穏便に済ます。今後、どれだけ時間がかかっても久野家に損害を補填させるがな。これを以て悪質な家臣どもの放逐に役立ってもらおう。


 派閥の首魁がこれほどの証拠を基に横領で更迭されれば、皆、口をつぐむだろう。自分の命で家を保てるのであれば、安いものだ。だれもが同じ穴の狢なのだから。


 これで藩内の掃除の邪魔者はいなくなった。俺の思うとおりに藩政の舵取りができる。財政再建、家中の引き締め、治水、租税法の改め。やらなければならない事は盛りだくさん。

 身内に足を引っ張られている場合ではないのだ。



 翌日、尾藤屋に赴いた役人から報告があった。闕所(財産の没収)となった尾藤屋に赴いたが、もぬけの殻。金目のものと帳簿類がごっそりなくなり、小僧の数人しか残されていなかったとの事。

 尾藤屋の主人は尾張忍びの走狗であったが、横領に加担していた事は事実なので、死罪となった。


 俺は、白梅屋の騒動の後、すぐに庭番忍びから報告を受けていた。

 風呂敷を持ってきた小僧が白梅屋から消えていたという事、慌ただしく使用人たちが店を経った事。庭番忍びは荒事には向かず、尾張忍びとの技能差があった事から、監視だけに留めさせた。

 使用人どもは皆、忍びだったようで、恐ろしい速度で国境を超えていったという。


 尾張のやり方は汚すぎる。今回の騒動は、大金が動いていた。我が藩の農民が丹精込めて育てた米が金に変わり、家臣の懐を暖め、尾張の陰謀の活動資金となった。


 誰もが皆、農民の治める税を何と心得ているのだろうか。受け取るのが当然と思っているのではないか。侍の存在意義は何なのだ。これでは農民の寄生虫ではないか。

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