第四十五話
◇◇◇松平頼方
政信達が出立してから数日ほど経った頃、水野が執務室に顔を出した。
彼がここに顔を出すのは、何か緊急事態が起きた時。場所柄、中に入って待つ事はない。
なので、すぐに部屋を出て、水野を探す。
「どうした? 何か問題があったのか」
「いえ、屋敷に政信殿からの連絡がありました」
待ちに待った連絡だ。水野も俺が待ち望んでいた事は知っている。良い報告なのだから、そんな顔をする必要もないと思うのだが。
「おお! 来たか!……そのわりに顔色が晴れないな」
「連絡自体は喜ばしい事なのですが、連絡を持ち込んだ人物が気になりまして」
「どういう事だ?」
「屋敷の者が言うには、見ず知らずの男だったとの事。山波家の人間でもなく庭番の子弟でもないようです」
「では誰だ? 他にそのように動ける人間はおらぬだろう」
「はい。それで前のように敵対した忍びの謀ではないかと」
「確かにその可能性は捨てきれないな」
「はい」
「……かといって取れる手も限られている。外出する事は城に伝えて、人通りの多い明るいうちに、さっさと行ってしまおう」
「それしかありませんな」
山波政信と宮地日葵殿が戻ったと連絡があったようだが、来たのは見知らぬ男だと言う。いったい誰だったのだろうか。
もしや、政信たちが見つけてくれた忍者だったのではないかと期待してしまうのは仕方のない事だと自己弁護する。
予想していたよりも早く帰ってきてくれた事に驚きを感じつつ、これも良い結果が得られたからではという妄想が膨らむ。依頼した日から含めるとかれこれ七日間ほどであろうか。
「山波政信、宮地日葵 両名無事帰着しました」
さすがに政信の離れでは狭いので、母屋の一室にいる。
そこには腹心の政信、お手伝いをしてくれた日葵殿、そしてその後ろに控える大柄の男。
政信たちが連れてきてくれた念願の忍び。政信による事前の説明では、
「よく無事に帰ってくれた」
「これなる者が忍びの棟梁 風羽の三左と申す者にございます」
忍びと言えばふてぶてしい感じか、寡黙な感じかどちらかと思っていたのだがな。意外としっかり礼節を弁えている男のようだ。
「かしこまるな。三左。楽にして良い」
「はっ。ありがたきお言葉。忍びのような下賤な者に同じ座敷に同席させていただくばかりか座布団まで。しかし我ら忍びの者など庭先で充分にございます。ご尊顔を拝謁する事さえ恐れ多いのです。命じてさえ頂ければ、どのような任務も厭いませぬ」
見た目からは粗野な雰囲気がするのだがな。ちょっと意外だ。長い間、逼塞していたから主従関係に憧れがあるのかもしれない。
忍びとして主君に仕え重要な情報を持ち帰る。普通の武士にはできない。忍びだからこそできる困難な仕事。それを難なくこなす忍者。そんな忍びに憧れているのかもしれない。
「自分が求められる仕事を全うできるのは素晴らしい事だな。だがな、三左よ。生まれだけで決まる人の貴賤など如何程のものか。俺はお前の才に惚れてるよ。それ以外の事は気にするな」
「ありがたき幸せ。頼方様の器量の大きさに感服しております。しかし我らの技能をお見せした訳ではございません。少々過分なお言葉かと」
本当に己の技術に自信を持っていれば、謙遜など不要なんだ。自分への自信の無さと見えてしまう。やっと見つけた主君に嫌われぬようという気持ちもわからなくはないのだが、ちょっと物足らないぞ。
「そんな事はない。政信が優秀な忍びだと言っていた。それで充分だ」
「山波様へのご信頼羨ましゅうございます」
そんなこと言わず信頼を勝ち取ってくれ。お前は待ちに待った忍びなんだぞ。
「信頼は築くものだ。これから良い仕事をして築けば良い。それより聞いているぞ。普段はもっと人を食ったような話し方だそうだな。元に戻しても良いぞ」
「友や同僚ならいざしらず、御主君に対してそのような言葉遣いなど出来ませぬ」
「俺には友が少ないから、それでも嬉しいのだがな」
なんか変な雰囲気になってしまった。誰もが口を開かない。
政信のように心置きなく話せればというつもりでの発言だったのだが。
日葵殿、その生暖かい視線はやめてくれ。なんか傷つく。
「……流石にそれはご容赦を」
この気まずい間を打開するのは会話相手である自分しかないと覚悟を決めたような三左が断り文句を述べる。
そんなに重く受け止めないでくれよ。かるい冗談のつもりだったのに。大やけどだよ、まったく。
「まあいいさ。三左、お主に忍び衆の育成を命じる。庭番の部屋住みから見込みのある者を選び出し育てよ。やり方は任せる。金が必要なら政信に相談せよ」
「承知」
「政信、それで良いな」
「はい。よろしいかと」
「日葵殿、お待たせいたした。女子の身でありながら長旅ご苦労であったな。しかも中々の活躍だったようだしな。政信の手助けをしてくれて助かった」
「いえいえ。とても良い経験となりました。高野山もこの目で見る事ができ大変幸せでした」
こちらも随分と大人しいものだ。いつもはもっと天真爛漫な子なのに雰囲気に感化されて大人しくなってしまったかな。
元気を出してもらうにはどうしたもんかな。
「そうか。何か褒美でもと思ったが、どうかな。団子とかが良いかな?」
「それはとても心が惹かれるのですが……褒美を頂けるのであれば、私にも忍術修行を受けさせて貰えませんか?」
「もちろん良いぞ。なんせ、日葵殿が手柄筆頭だからな。せっかくだ。団子も付けてやろう」
そんな事だったらお安い御用だ。部屋住みとはいえ、支藩のお役目に就くというのは覚悟がいるし、普段の仕事とは違う忍術修行だ。
そうそう集まるとは思えない。そこに一人加わろうと労力の差は、そうないだろう。
「最高です! お団子は一年分ですか?!」
「流石にそれでは、政信の給金を超えてしまうよ。そうだな。旅の日数分でどうだ?」
「ありがとうございます! 冗談だったのですけど、頼方様のそういうお優しい所、好きです!」
「ははは!それは嬉しいな。そういえば麩饅頭は食えたのか?」
「あ〜!! 麩饅頭食べ損ねました!!!」
あれから一年ほど経った。大きなトラブルもなく、日常と化した報告書を閲覧する日々。
忍び衆の育成は順調との報告は入っている。一番の成長株は、なんとひまり殿。驚きとともに、さもありなんと納得してしまう部分もある。
そんな風に大きな出来事となく穏やかに過ごしたある日。驚きの報告が入ったのは、そんな時だった。
次代の将軍位候補筆頭の尾張藩主 徳川 綱誠公が亡くなったのだ。
まだ四十代も半ば。死因は食当たりだという。
子供でもあるまいし、なんでその歳で食当たりが死因になるのだと不思議に思わずにはいられない。
そもそもでいうと徳川家というのは不思議な血筋だ。
神君家康公に始まり、お祖父様の藩祖 頼宣公、お父上も含め、平均寿命を圧倒的に超えても元気に執務を行う人たちが多く、長命な血筋なのは間違いない。
それなのに、やけに幼子の夭折率が高かったり、若いうちに急死したりするのだ。
後で振り返れば、これも今の事態を巻き起こす原因だと推測できるのだが、今は思いもしない。その事件は平穏な日々に埋もれていくのだった。
青年藩主編 完
この後、一つサイドストーリーを挟んで次章 紀州藩主編に入ります。
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