第三十話
さくら殿は時間に余裕があるとの事で、先ほどの忍びの指導者探しの議論に参加してくれることになった。
政信は家事が忙しかろうだとか色々理由を探して、下がらせようとしたが、さくら殿は、「時間に余裕がありますから」とぴしゃりと断り、帰る素振りを全く見せなかった。
仕方なさそうに諦め顔の政信は、対面で向かい合わせに座っていたのに、徐に立ち上がると、なぜか俺の真横に座り直した。さくら殿には、自分の座っていた俺の対面に座らせる考えのようだ。
そんなに俺の横に座らせたくなかったのかと思わぬでもなかったが、さくら殿も同じように思っていたようで顔に出ていた。
その表情を見たら、顔を見ながら話ができるのも悪くないかと思い直し、そのまま進めることにする。
「……という訳で忍びの技術を伝承できる人物を探しているのだが、伊賀や甲賀といった有名どころには手を付けられんのだ」
「そういう事情でしたら確かに難しいですね。……そういえば……雲をつかむような話なのですが……」
「何でも良いぞ。 俺らではお手上げだったのだ」
俺ら二人でどれだけ考えても答えが見出せなかったのだ。気分転換にさくら殿を誘おうと言ってみたが、本当に案があるとは思わなかった。棚からぼた餅とはこの事だろうか。
「……では、この紀州の地は、南北朝時代の功臣 楠木正成様が活躍された河内国に近うございます。元弘の変に応じて河内赤坂にて挙兵されました。その後、この紀州にも縁のある湯浅氏とともに、河内・和泉を席巻したのです。千早城でも戦い、その後、建武の新政の功労者に。しかし、栄華は長く続きませんでした。その楠木正成様は無念にも湊川の戦いで負けを悟り、ご自害なされました。それ以降、南朝側は徐々に押し込められ、最終的には北朝の勝利となりました。南朝方の武士たちは朝敵とされ、隠れ住むような生活を余儀なくされました」
いきなり昔話の講談のような切り出しだな。さくら殿は手習の師匠の時はこんな感じで話すのだろうか、と場違いな考えをしてしまった。さくら殿が手習の師匠なら、俺もしっかり通った事だろう。わざわざサボる意味が見出せん。たまにサボって怒られるのも悪くないか。
それにしても戦国時代ではなく、南北朝時代まで遡るとは。もう三百年も昔の話だ。
一族として生きのびてこれただけでも大名なら名家といわれるだろう。現に、その頃の足利幕府将軍 足利氏の連枝 吉良家は徳川幕府でも高家として特別待遇を受けている。
「さくら、それがどうしたのだ? 今更、歴史講釈は不要だぞ。殿に知識をひけらしたいという気持ちは、わからなくもないが……」
「兄上! そんな気持ちはありません! 頼方様! ありませんからね!」
さくら殿が丁寧に話をするのは、政信に似ているのだがな。それは幼き頃より政信に面倒を見てもらっていて、勉強も教わっていたからだ。話し方が移っても仕方ないと言える。
それにしても、政信は几帳面だから、些事にも細かく話すのかと思っていた。まさか知識をひけらかしていたとは思わなかったよ。
「そういうのは政信だけだと理解しているから大丈夫だよ」
「全く! 兄上は話を混ぜっ返さないでください。ええと、私が言いたかったのはですね、楠木正成様の戦い方は、遊撃戦や情報戦を多用されておりました。楠木流軍学と名付けられ太平記では軍略家のように持て囃されていますが、それを支えていたのは高い情報収集力。楠木正成様は忍びのような者を重用していたのではないかと」
条件は……合っているか。俺の考える忍び働きは、暗殺などの荒事ではない。情報収集や不正の証拠集めなど、隠密働きを期待している。
何より忍びとして発展してきた場所は紀州の山と似通っている。きっと庭番の者たちと親和性が高いはずだ。
「なるほどな。確かに山野で遊撃を仕掛け、情報操作も行い優位な戦いを仕掛けていた。技術が発展した地理的にも、庭番の技術と共通している」
乗り気になった俺とは違い、政信は考え込んでいる様子。頭の中で知識を拾い上げているように少し遠い目をしていた。
思い描いた知識が拾えたのか、それとも考えがまとまったのか、少し顎を上げ目を開く。
「記憶が確かならば楠木家は逆賊扱いをされておりました。室町将軍 足利義輝様の時代に赦免され名誉を回復していたはずです。もう隠れ住む必要もありません。この紀州に楠木に所縁のある者など、いないのではないか?」
と発案者のさくら殿に問いかける。
「その可能性はありますが、皆が皆、世に出ることを望むとは思えません。武士として返り咲きたい者もいれば、武士という生活と無縁に暮らしたい者もいたはずです」
「その仮定でいくと、楠木正成様を支えた忍びの末裔が、野に下っているかもしれないと」
「はい。河内から人里離れて逃げるならば、紀州の山々になるでしょう。こちらには高野山もありますし。可能性は高いかと」
さくら殿の推測は面白い。地理的要因を軸にして面白い仮説を立てたものだ。
確かに逃げるなら人の少ない山奥かつ敵の前線基地でもある京から離れるとなると紀州の可能性はかなり高い。
ただ、この仮定は大きな問題を含んでいる。おそらく言った本人も理解しているだろう。
この仮定が成立するには幾つもの前提が揃わねばならない。まず、楠木正成が忍びを用いていた事、次に紀州へ逃げた事、さらに逃げた者が三百年過ぎた今でも生き残っている事、最後に忍びの技術が継承されている事。
これらの全ての要件が成立すれば、今回の探索は成功するだろう。
かなり難しい問題だが雲を掴むような話から、どこで、どんな人物を探せば良いか輪郭が見えた。
俺は空振りでも仕方ないと思っていたから、手がかりとも呼べない仮説でも確認しに行く価値はあると考えている。
対して政信は同意しきれない様子だ。妹の突拍子も無い仮説に主君を巻き込んでしまって良いものかと気にしているのだろう。
上司と部下という立場の違いがこういう反応を呼んでいる気がする。部下からすれば、やってみたけどダメでした。とは報告しにくいだろう。確率が低ければ尚更だ。
ここは俺が押してやるしかない。
「政信、考えすぎるな」
「しかし……」
「今は当てがないのだ。行ってみよう」
「わかりました。しかし殿は留守番です。山奥で襲撃されれば、お守りすることはできません」
思いもよらなぬ反撃が。忍び探しの旅など面白いに決まってあるではないか。それを留守番とは。いつも政信の正論には反論できない。
「ぐっ……そうだな。だが、政信だけでも行かせられぬぞ。一人では、何かあっても連絡を取る事すらできん」
「仕方ありませんよ。山歩きができて、時間が自由にできる者など、そうそうおりませんから」
このままでは終わらせんぞ。俺も行きたかったのだ。政信だけで、面白そうな忍者探しの旅に行かせてなるものか。
それに、ある意味浮世離ている政信だけで行かせるのは不安だ。
そうだ。彼女ならこんな面白そうな話飛びつくに決まっている。自由な彼女と一緒ならまさのぶが気を配らずにはおれまい。案外、いい組み合わせかもしれん。
「……いや、一人いるぞ。彼女なら、この話に乗ってくるだろう」
「彼女ですか……確かに忍者探しなどといえば目をキラキラさせて付いてくるでしょうね」
「俺から声をかけておこう」
「しかし殿。私と彼女の相性も考えて頂けると……」
「案外悪くないのではないか?」
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