第二十九話
自分で考えることに行き詰まりを感じた俺は、通い慣れた山波屋敷に向かった。
「政信、情報収集の方法はある程度、わかってきた気がする。しかし組織として立ち上げるには、忍びの技術を伝承できる人物が必要ではないかと考えたのだが……」
「そのような都合の良い人物に心当たりがないと」
「そうだ。そもそも忍びに知り合いなんていないしな。前に襲撃してきた奴でも雇えないか」
「冗談はおやめください。そもそもで言えば、連絡も取れませんよ」
さすがに皆に迷惑をかけたあの事件の首謀者を雇うだなんて悪い冗談だったか。しかし忍びは失敗を許されないと聞いた事がある。失敗した忍びは放逐されるか処分されるか。浮いた手札なら欲しいと思っても仕方ない気がするのだ。なんせ知っている忍びは、生き残った監視者の忍びだけなのだから。
「すまん。手詰まりすぎて馬鹿な考えを言ってしまった」
「忍びなど、大っぴらに知られているような者は大したことありませんからね。風魔のように仕事をやりやすくするために名を売るならまだしも、有名な忍びなど目立ってなりません」
「そうだな。見つからぬようにするのが仕事の人間を探そうなど無理であるか」
「……伊賀や甲賀ではいけませんか?」
少し考える仕草をしていた政信は話の方向を変え、現実的な案を出してきた。
先ほどの悪い冗談はあまり重く受け止めなかったようだ。
質問の伊賀や甲賀は最初に考えはした。しかし、いくつか理由があってやめたのだ。
一番大きな理由は、江戸で見た忍びの姿。江戸城では、甲賀衆は門番を、伊賀衆は城内の警備を主に担当している。忍びとして修練を積んでいるので、そこらの武士とは違うが纏っている気配はこの前の襲撃者達とは違う。大いに劣っていたのだ。
明確な敵もおらず、特殊任務が無くとも決まった俸給を得て日々を暮らしている。武士や町民がひしめき合って暮らす江戸では修業もままならない。
牙を抜かれた忍びは脅威と感じなかった。これは神君家康公の狙いだったと言われている。平和な世には、卓越した忍びは害こそあれど、益はないと判断されたのだ。
それはそうだろう。どれだけ武士が守りを固めたところで、忍びは寝所に潜り込める。統治者からすれば危なくて放置などできない。討伐するには天正伊賀の乱のように被害を覚悟せねばなるまい。家康公は、そうするよりも懐柔し時間をかけてでも牙を抜くことを選ばれたのだ。
「それでも良いのだが。江戸で見た伊賀者や甲賀者たちは既に忍びとしての心を失っていたよ。太平な世は武士も忍びも堕落させてしまった」
「敵もおらず、日々の糧も安定して得られる。それで戦国の飢餓感を持ち続けるなど不可能でしょう」
「そうだな。だから江戸の伊賀者や甲賀者は、定期的に里へ若手を送り出し修業を積ませるそうだ。かといって修業が明けて江戸に帰れば、訓練する場所もなく娯楽、食い物に溢れている。能力を維持するだけでも厳しかろう。そんな状態では彼らの里も技術を維持できるのか怪しいところだ。指導できるほど熟練の者など多くはおるまい。指導者を余所に出せるほど人手が余っておらぬだろう」
そう。これがもう一つの理由。昔は里に暮らし、子を育て、忍びとして育成していた。今は、里に住む者は少数で江戸に住む者たちの方が多い。忍びの里に依頼をする者など、この平和の時代にはいない。主な仕事は、里の維持と江戸から送り込まれた若者に修行を施すこと。そういう状況では里で生まれ育った忍びが増えることは少なくなったのだ。
「ふむ、それに葛野藩主である殿が伊賀や甲賀のような有名どころに忍びの伝手を作りに行けば、周辺大名や幕府に要らぬ警戒を持たれましょう」
思いもよらない意見が出た。さすが政信。俺は自分のやりたいことだけ考えていたが、周辺大名や幕府がどう見るかは盲点だった。別に将軍になりたいわけでもないし、紀州藩主になりたいわけでもない。どちらかと言えば、葛野藩主の身分すら捨てたいほどだ。大望など欠片も持っていないのに警戒されるのは性に合わない。
「それは本意ではないな。俺は自分の藩や藩士が適正に職務が遂行されるようにしたいだけなのだ」
「そうなると、有名どころではない、むしろ廃れた流派の方が良いのでは。うまくいけば一族ごと抱え込めるかもしれません」
俺のお抱えの忍びの一族か! 夢が広がるじゃないか。
「その話は魅力的だな。しかし予算がないぞ。俺には藩務に口出しできん。ましてや予算に手を付ける事なんて無理だ。私費で賄えるのは一人か二人だな」
自分で言っていてアレだが、悲しいな。これで藩主か。実情は紀州藩からの雇われ藩主みたいなもんさ。
「であれば、当初のお話の通り、指導者を探しますか」
「……ああ、どうやったら見つかるものかな」
避けな思考に陥るところだった。そうそう。本題はどうやって探すかなんだよな。
「紀州藩には、根来衆がおりますが、あれは忍びとは少々毛色が違います。伊賀から流れてきた者が高野山にいるかもしれません」
「それは俺も考えたのだ。しかし流れ者は技術が高い者ではあるのだろうが指導者足りえんと考えているのだ」
そう。流れ者の忍びは、一癖も二癖もあるだろう。元々、癖の強いのが忍びというものだ。その忍びの集団から、はみ出てしまった者など相当に癖が強いに違いない。いきなり、そのような人物を御せるとは思えない。
「だいぶ話が行き詰ってしまいましたね」
どうにもこうにも結論が出なかった。一人ではだめだったから政信を頼ったのだが、やはり難しいのだろうか。
いや、三人寄れば文殊の知恵という。もう一人の知恵者に参加してもらうのはどうだろうか。
「二人では埒が明かなそうだ。さくら殿の意見を聞いてみよう」
「さくらですか? じゃあ私が聞いてきま……」
「頼方様、お茶のお代わりをお持ちしました」
計ったような良いタイミングだな。ちょうど良い。このまま議論に加わってもらうとするか。
政信、そんな嫌そうな顔をするなよ。おおかた、俺と接触させないために自分が母屋に行こうと考えていたのだろう。しかし先手を取られてしまった。おそらく茶の準備をして声をかけるタイミングを待っていたのだろう。
準備の段階で勝負は決していたのだ。さくら殿の方が上手であったな。
思わず孫子が頭に浮かぶ。勝兵は先ず勝ちて而る後に戦いを求め、敗兵は先ず戦いて而る後に勝ちを求む。 勝つ者は戦う前に準備を終え勝てる戦に挑むものさ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます