第二十八話

 一六九八年、紀州藩の藩主が変わった。


 前藩主である父上 光貞は老齢を理由に隠居したのだ。引き継いだ新藩主は嫡男の綱教。順当な家督継承となった。


 しかし俺からすると驚いたというのが率直な感想だった。新藩主の兄上について驚いたのではない。隠居を決めた父上に対してだ。確かに高齢ではあったが、健康そのもの。徳川家は長寿の家系というのを体現しているくらい年齢を感じさせなかった。


 この間拝謁した時にも、そんな様子をおくびにも出さなかったからというのもある。


 兄上に不満はない。兄弟という感はないのだが、以前から藩主としては優秀であると評判だった。決してヨイショではないのは、理解している。何より、最近ゴタゴタしている徳川宗家の将軍位の候補者として名が上がるほど内外に優秀さが知れ渡っているくらいなのだから。


 今回の家督継承は、むしろ世間の目からすれば遅すぎたくらい。嫡男だった綱教兄上は、今年で三十三歳。自分の子が元服してもおかしくない年齢であるし、今の時代、寿命は六十七歳程度。前藩主の父上は、平均寿命を四年も過ぎても元気に藩務を行っていたのだ。


 綱教兄上の生まれが遅かったおかげで、まだ若いうちに藩主になれたが、一般的な親子の年齢差であれば五十歳を過ぎていてもおかしくない。そんな歳になれば、本来自分の子へ家督を譲る時期を考える頃であると言えば、どれほど遅かったか伝わるだろうか。


 将軍位候補の話になったが一番の候補者は尾張藩主 徳川綱誠とくがわつななり公である。歳は四十六歳。藩主としての経験を積み、今まさに脂の乗り切っているといえる。

 尾張公は食道楽で大食漢。側室十三名、子は四十名で性欲も旺盛。一昔前の戦国英雄のような人物。というと大柄で粗野な印象を持つが、意外にも文教に力を入れ、尾張の風土記を編纂させるほど。


 子供に関しては半数以上、夭折してしまっているので、跡継ぎは十男といった塩梅なのだが。それを聞いて、いくら幼児の生存率が低いとはいえ、ずいぶん不運が重なったのだなと思ったものだ。


 残りの御三家、水戸藩はどうかというと、こちらの将軍候補になりにくい。

 宗家、尾張藩、紀州に候補がいなければ、やっと検討される。そんな家柄だ。

 巷には、尾張、紀州、水戸で御三家と思われがちだが、幕府は宗家、尾張、紀州で三家と見ている節がある。本当の所は、家康公しかわからないがあながち間違っていないはず。


 なんでそういう風に考えているかというと、それは、水戸藩主の官位に問題がある。

 各藩の藩祖は、皆、晩年の家康公の子供。尾張藩が義直 九男、紀州藩が頼宣 十男、水戸藩は頼房 十一男。皆、歳の近い兄弟だ。この流れで何故か官位の極官は尾張、紀州の二家は従二位権大納言まで、水戸家は正三位権中納言までと差がつけられている。

 さらに相違点として水戸藩は定府が基本として参勤交代を行わない。常に将軍の側にいて万が一の際、として指揮をとる事になっている。ここでも将軍になる事を想定されていない。

 さらに言えば、家康公は「宗家が途絶えた場合には尾張と紀伊から養子を出す」という遺言まで残されている。


 こういう所を総合的に考えると水戸藩は将軍になれる家ではない事がよく分かる。


 今の徳川宗家 五代将軍の綱吉公には、子がいない。徳松という子がいたのだが早逝してしまった。つまり宗家の後継がいないのだ。ましてや一代前の四代将軍 家宣公は綱吉公の兄である。家宣公にも跡継ぎがおらず、兄弟の綱吉公が養子として後を継いだくらい。

 それほど、今の宗家は後継問題に悩まされている。

 宗家とは家康公、秀忠公、家光公と直系の血筋を指す。いまや風前の灯。直系で将軍になれそうなのは、家光公の三男の家系の綱豊様くらい。だから将軍位の候補は無条件に綱豊様になるはず。しかし将軍位の候補者が尾張や紀州の名前が上がる事から宗家の断絶の危機は、そう遠くないと思われているのだろう。



 だいぶ話が逸れてしまったが、紀州藩の世代交代は何の問題もなく、無事に進んでいる。

 数年前、綱教兄上の母堂、お萩の方には嫌がらせを受けていた。しかし自分の子が無事に家督を継ぐと分かってからは、態度が軟化して、今ではそう悪い関係ではない。まあ、眼中に無いとも言えるのだが。家督承継のおかげで平穏が訪れた事には素直に感謝している。


 こうなれば、葛野藩の改革について心置きなく取り掛かれるだろう。



 今、取り組んでいる情報収集だが、庭番の者たちに協力してもらっている。彼らはそこらの武士とは比べ物にならないほど、身体能力や特殊技能を有しているが、忍びとして教育を受けたわけではない。あくまで忍びとしての素養があるといった程度だ。


 彼らは、侍が文官重視の路線へ進む中、生活困窮に喘ぎ、致し方なく特殊な武技を習得している。さらに言えば、野山を駆け回り基礎体力も高い。日がな一日、机に向かって書類仕事をする城勤めの侍とは比べ物にならないのだ。


 そういう点も考慮し、仮に庭番の者たちをお抱えの忍び衆に出来たとしても、忍びとしての能力的に疑問符が付く。

 なんせ、候補者を用意したところで、忍びと呼べる程に技能を指導してくれる者がいないのだ。それでは、忍びの真似事にしかならないだろう。敵が本物の忍びであれば、返り討ちに合ってしまう。それでは手塩にかけて育てたところで意味がない。


 もし庭番の者たちをこちらの手元に置かなければ、一般の藩士を一から育てるか、流れ者の忍びを探し出して雇うしかない。

 一般の藩士が忍びとして武士身分を捨てるような(忍びは武士より下に見られている)人物はいるとは思えない。いても組織を組成できるほどの数は集まらないだろう。

 逆に流れ者の忍びなど何か問題を起こして里を追放になったか、雇われを嫌って一匹狼になったか。こちらが考えているような、まともな人物はいないだろう。


 どちらにしても現実的ではないな。すぐに行き詰まってしまうだろう。


 考えてみると候補者より、育成者の目途を立てることが先決のようだ。

 忍びの候補生は必ずしも武士でなくとも良いのだし。河原者の中でも身の軽い者もいるだろうし、食い詰めた子供を集めても良い。

 よし、指導できる者を探そう!


 とはいえ、忍者の心当たりなんていない。ましてや経験豊かで後進を育てられるほどの者など稀有であろう。


 何か良い案は、ないものか。政信に相談してみよう。

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