第二十七話

 ◇◇◇養父 紀州藩家老 加納政直


「仕込みは済んだか」


 人払いを願い面談の時間を取ってもらうと、殿は待っていられないとばかりに問うてこられた。以前であれば、周りの状況を確認し、相手の表情を見て察してくださる程、英邁なお方で会ったのだが。時が過ぎるというのは、なんと無常な事か。

 いや、今、我らの行っている事を考えれば、無事に歳を重ねられた事は、ありがたき日々であるのか。


「はい、既に少量ずつ毒を飯に混ぜ込んでいるとの報告がありました」

「ずいぶん早いではないか」

「藩の設立して、すぐ伏せさせた草(現地に土着した忍び)を使用しました。もう二度と他の用途に用いる事は出来ませぬ」


 さすがに殿でも今の話のおかしさに気が付かれたようだ。


「向こうの方が九年は先に設立されたであろう。なぜ紀州藩もないうちにそのような事が……もしやお爺様(光貞は家康の孫)か?」

「左様にございまする。尾張公の義直様は尊皇思想が強いお方であったそうな。せっかく京と離れた江戸に幕府を開いたとて、将軍が京の言いなりでは、まずかろうと。まさに神君家康公の深慮遠謀」

「自分の子にすら……そこまでするのか。我らなぞ、お爺様の掌の上か」

「日ノ本を統べられ神に祀られるお方ですぞ。それも致し方ない事かと」


 殿は晩年になり、自分の能力が下がるだけである事を実感しておられる。若ければ至らなくとも、歳を経て到達できるかもしれないという希望を持てる。晩年ではもう希望を持てない。そんな自分を慰める方法は、今までの人生の功績を他者と比べる事くらいだ。しかしその比較は自分が勝っていても満足できない。結局は自分の敵わない人物を見つけ人生を後悔するのだ。


「ここまでは早く出来ましたが、結果は来年以降になるでしょう。毒味役の確認をすり抜けるには、ごく少量の毒しか紛れ込ませられませぬ」

「それで良い。既に尾張藩藩主 徳川 綱誠つななりは我が掌の上。奴の命運が尽きるのを、我が余生の楽しみとしようぞ」


「--っ! 殿、余生とは一体」

「儂は隠居する。家督は綱教に譲ろうぞ。もう何年も政務に気が乗らん。心が萎えてならんのじゃ。どうにかこうにか体に鞭を打って藩内の体制を整えた。検地もしたし、名寄帳も整理した。赤字の紀州藩とはいえど、いくらか綱教もやりやすくなったであろう」

「……」


 儂は思わず否定の言葉を口にするのを躊躇われた。この場でそれを言うと殿を傷付けてしまうと思ったからだ。


「あやつを道連れに出来れば、頼方も安全になるだろう。あやつは母に似て優しすぎる。藩主のような業の深いお役目には向かぬのじゃ」

「確かにお優しい方ですな。しかし殿に似て英邁であらせられる。藩主としても優秀でしょう。頼方様に他意がなくとも、近いうちに尾張を刺激するはずです。何とかして殿の子息方をお守りせねば」


「尾張藩主の綱誠がいつくたばるかわからぬからの。それまでの間に尾張の間の手が伸びるとも限らん。それにしても忍びを入れてくるとはな」

「それはお互い様でしょう。こちらも忍びを送っていますので。まあ江戸の宗家も水戸も同じ事をしているでしょう。水戸は家格が一段下ですから、将軍位争いのためではないかと思いますが」


「そうじゃの。身内で疑心暗鬼で骨肉の争い。本当に大名とは業の深い生き物じゃ」



 ◇◇◇松平頼方(徳川吉宗)


 あの事件から一月ほど経った。俺の日々は大きく変わりない。現地に出向している藩士から葛野藩の状況を知らせる報告書に目を通し、署名をする。空いている時間は、武芸の鍛錬、そして山波屋敷で政策論争。自分でいうのもあれだが、本当に変わりないな。


 政策について以前から三つの課題を挙げていた。藩運営、人事評価、情報収集であるが、このうち人事評価は一定の水準まで煮詰まったのは以前話した通り。今は情報収集に力を入れていて実験をしているところだ。


 情報収集というのは、できるにはできる。しかし正確さを求めると、とたんに難しくなる。なぜなら、同じものを見ても、人それぞれ感じ方が違うからだ。そのため、主観を排除し、客観的に報告するのを最上とする。これにより思い込みや偏向などから逃れることができるのだ。

 かといって、主観を排除し客観性のある事実だけを集めたところで問題がある。客観性というのにも多面性があると考えている。俺からすると客観的な報告だからといって、すべて正しいと言えないのだ。


 ある人物を前と後ろで二人が見たとしよう。その人物が急に立ち止まる。後ろから見れば、そのまま見た通り、急に立ち止まったと報告するだろう。一方前から見ていれば、顔に羽虫がぶつかったので立ち止まったという情報を得た。

 この場合、立ち止まったのは事実といえ、見る面によって情報処理に問題が出る。後ろから見ていた情報では、情報を受け取った者がその立ち止まった場所で目的地を確認したのか、目印を確認したのか選択肢を狭めることはできない。

 客観的事実という言葉に拘らず、多角的に情報を集め、判断を下す必要がある。


 前から見た情報もあれば、この動きに意味の無いと判断できよう。こういうのを情報の深さというべきなのだろうか。

 結局のところ情報収集とは、正確な情報を集める事、そしてその情報を適正に処理する事が大切になる。


 誰が情報を集約するのか、そして誰が情報を基に判断するのか。その辺りの役割分担も考えねばなるまい。



 話を戻そう。

 情報収集の実験だ。実は先ほど話した内容は、この実験で発生した事である。今回、この実験に参加してもらったのは、山波まさのぶや宮地殿の同輩、庭番の者たちだ。非番の者に二、三人に声をかけ、少ないが報酬を渡して協力してもらった。

 最初はひまり殿も花を摘みに行っている山へ行ってもらい、印のつけた木の情報を持ち帰ってもらうといった内容だ。

 こうして解ったのだが、どれだけ客観的事実を報告して欲しいといっても、人によって報告の内容が違うのだ。全く同じ者を見たにも関わらず。

 目的の木を遠目で見て姿形を報告する者もいれば、ある者は西側、ある者は東側から見た様子を報告してきた。グルっと回って全体を見る者もいた。地面の様子、落ち葉が茂っているとか斜面になっている等々の報告をする者もいた。


 何かを確認してくるという行動を一つ取っても、人により集める情報の深さが違うことがよく解った。そして指示を出す側も何を求めているのか、しっかり伝える必要があり、認識を統一しなければ人海戦術で多角的な情報を集めざるを得ず、非効率であるという事も理解できた。


 この実験をする前は、色々考えて主観と客観を排除するにはどうするかなど考えていたのだが、やってみれば、そこはさしたる問題ではなかった。

 むしろ問題はその先にある。そして情報を集める側の整備も必要だが、統率者の育成も必要なのだという現実に気がつき、打ちのめされた気分になった。問題はさらに大きくなったように感じたのだ。

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