第二十四話

 あの誘拐劇が嘘のように穏やかな土手道を皆で歩く。とは言っても、寅は舟があるから一人で帰ってもらった。川舟に全員が乗り込めなかったから仕方なかった。

 朝から走ったり戦ったりと俺の体力は尽きていて舟で帰りたかったのだが、誰かを歩いて帰らせるのは違う気がして、みんなで歩くことにした。


 刀だけは鞘に戻せず抜き身のままだったので舟に乗せてもらった。明日にでも受け取りに行く予定だ。寅だけでなく徳利爺たちにも土産と謝礼を持って行かなきゃならんな。何の説明もなく寅を借り出してしまったし。


 水野が打ち倒した忍びの男は、死んでいた。決して打撃で死んだわけでない。さくら殿を無事解放できた喜びを皆で分かち合っていたのだが、まだ敵を縛り上げていないことを思い出した。水野がうつ伏せで倒れている男の手を襷代わりにしていた荒縄で縛ると表に返した。


 そうしてみて、やっとわかったのだが、忍びの男は毒を飲んだのか血を吐き事切れていたのだ。忍びであるから情報を取得できるとは思えなかったが、捕虜が死んでしまった事は残念だった。

 真っ先に縄で縛り猿ぐつわを嚙ませるべきだったかと後悔したが後の祭り。

 まずは皆が無事だったことを喜ぼうと気分を変え、帰る事にした。

 浪人どもも含め遺体は城の役人に始末を頼むことにする。



 帰りの隊列は俺を先頭に、すぐ右後ろにさくら殿。慣習的に男女が並んで歩くのは恥とされているので横にはいないが、結構近い。今までの距離感とは違い、すぐ触れられるような近さで付いてくる。さっきの抱き着きといい、悪い気はしないのだが。


 だが……そのさくら殿の後ろには般若が控えているのだ。だから今はもう少し離れて欲しい気がするのだが、そんな事言えない。

 仮にそんな事を言ったとしたら、さくら殿は悲しむだろう。そして妹を悲しませたとして、政信は同じような顔をするのだろう。どうしたら良いのだ。


 俺の左後ろには、水野。あんな大事があった後でも護衛の立ち位置を守っている。

 そして、日葵殿はキョロキョロしながら最後尾であっち行ったりこっち行ったり、気になる物を見つけては列から離れては戻り離れては戻りを繰り返す。

 石を人に減り込ませるような印地打ちの達人には見えない。行動だけ見ると猫か幼い子供のように思える。


 こんな感じで俺らは変則的な二列縦隊で歩いているんだ。なんで先頭に立ってるのにわかるかって?

 後ろの政信が怖くてチラチラ後ろを確認してしまうからさ。たまに距離が縮まっているとドキっとするのだ。



「ここでお別れだな」


 山波屋敷に戻ってくると、すぐ隣にいたさくら殿に声をかけた。


「本日は本当にありがとうございました。松平様のおかげで大過なく戻ってこれました。あんな事が有りましたが、いつもと変わらぬように我が屋敷へお越しいただければ嬉しゅうございます」


 顔を赤くしながら恥ずかしそうに話す仕草が可愛らしい。それでも言うべき事をはっきり言えるあたりが、さくら殿らしいと言える。


「ああ、また会いに来るよ」

「それは! 腹心の部下である私にという事ですよね?」


 般若は去ったが、妹を守る兄は健在だ。少しでも甘い雰囲気を出そうものなら、すぐに割って入ってくる。


「……勿論じゃないか。政信と政策論議をするために来ているのだから」

「であれば、結構。またいつでもお越しください」

「はは……、ではまたな」

「それでは、私もここで失礼します!」


 山波屋敷の門前で、山波兄妹と日葵殿と別れた。



「兄上、邪魔しないでください」

「身分差を考えろ。主筋のご子息というだけでなく藩主様だぞ。今のように口を利ける事すら夢のような事。叶わぬのなら傷つかぬようにするのが兄の役目だ」

「それでも……きっと……」

「夢を見るな。高貴な方は高貴な血筋の方を正室に迎えるのが世の習い。苦しむだけだぞ」

「……」



「殿、終わりましたな」

「水野、お前が居てくれて良かった。それをこんなに実感したことは無い」

「幼き頃より常にお側にいたのに今更ですか?」


 水野にしては、珍しくお道化どけたような口調で茶々を入れる。


「そう言うな。日常の幸せなど、日常では感じえないのだな。非常時になれば、いかに普段恵まれている生活をしていたか実感する。当たり前にいてくれるお前が、今回頼もしかった。きっと日頃より俺に危険が及ばないよう気配りしていてくれたのだな」


「それが某のお役目でございますれば。お気になされぬよう」

 水野、お前は、いつでも生真面目だ。だから好きだよ。血の繋がらない俺の兄上。



 ◇◇◇紀ノ川 二本松の少し上流で


 川縁の葦原から男が現れる。


「……失敗したか」


 あれだけ準備したというのにこのザマだ。言わんこっちゃない。こういう荒事は、捏ね繰り回さず単純な方が成功するのだ。

 だがしかし、面倒な不満分子はこれでいなくなった。紀州藩主の子息の命を狙う密命を受けた我らは、長が選抜した手練れが派遣されたのだ。


 忍びの手練れなど己の技量を頼む、自己中心的な人間ばかり。同じ目的を持っていても密に連携できるとは限らない。

 今回の計画は渡りに船だった。反抗的なあいつは策を弄する事を好む。回りくどすぎて俺の好みには合わなかったのだ。だから日頃より組頭の俺に従わぬ者をあいつに付けて計画を実行させた。


 失敗するだろうと思っていたが、全滅するとまでは思わなかった。

 まあ良い。次は俺の子飼いの部下を寄越すよう文を送ろう。


「……組頭たる我に従わぬものなど不要だ」


 呪いの言葉をつぶやくような話し方。そう吐き捨てながら遺体に近寄る。決して身内を手厚く埋葬するためではない。証拠になりそうなものを捨て去るためだ。忍びは普段より身元が割れるようなものを持ち歩かないようにしているが、武器などは手に馴染んだものを使うのでバレやすい。


 優れた忍びであれば、服の匂いなどを記憶され、潜入先から炙り出されることもある。髷も出身によって違う。だから髷を落とし衣服を全て引っぺがす。

 素っ裸にしたら、川へ投げ込む。


 全くといっても良いくらい感傷を感じさせぬ、その動きは、まるで決められた作業をこなすかのよう。

 集めた衣服は燃やし武具は一纏めにしてこもに包む。紀州とは別の藩でバレないし売れば酒代にはなるだろうという打算。


 その男は、やるべき事をやると、流された遺体を振り返るでもなく紀ノ川の上流の方へ向かって歩き出す。


 河原には、浪人の遺体だけが残されていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る