第二十三話

 タタタッ。

 駆け寄る音がする。

 その勢いのまま、俺へ抱きつく。俺は倒れないようにするのに必死だ。

 いつもの、さくら殿の匂いがする。香を焚きしめたわけでもないのに良い香りがするのだ。


 さくら殿の下へ一番に駆け付けようとした政信は信じられないものを見るような顔で立ち尽くしている。


「お助けいただきありがとうございます!」

「早く助けに行けず、すまなかった。それに俺の問題に巻き込んでしまい申し訳ない」


 本来ならこんな怖い思いをする必要はなかったのだ。俺と知り合ったせいで誘拐劇に巻き込んでしまった。申し訳なさで胸が一杯になる。


「良いのです! そんな事はどうでも良いのです。危険を顧みず、ここへ来てくれたことが嬉しいのです」

「当り前じゃないか。来るに決まっているだろう」

「当り前ではありませぬ。私のような身分の低い女のために、藩主様ともあろう松平様が危険を冒すなど」


 身分など考えもしなかった。人の付き合いは身分なんていらないだろう。助けたいから助ける。仲間を助け合うのに身分を確認する事なんて必要ないのだから。


「良いではないか。こうやって無事に助け出せたのだから。みんなのお蔭でもあるのだがな」

「はい。皆様ご迷惑をおかけしました」


「大丈夫よ~。悪者なんか私が倒してやるんだから」


 一番最後に来たのに全員の意見を代表するように話す彼女には苦笑いをするしかない。嫌な気分にならないのは彼女の明るさか人柄のおかげなのか。


 と考えていると苦笑いでは済まない事象が起きていた。

 先ほどの忍びの形相が可愛く思えるくらいの顔をした兄君。いつ般若の仮面をかぶったのだと問い質したくなるようなお顔をされていらっしゃる。


 確かに他の男に抱きしめられている妹を見て良い気分がするわけはない。ましてや妹を溺愛する政信であれば尚更だ。


 それでも分け入って辞めさせないところを見るに、致し方ないとは理解できるようだ。理性がギリギリ体を押しとどめているに過ぎない事はわかるが、もう少し表情も押しとどめる努力をしてほしいものだ。俺から抱き着いたのではないのだし。


 だから呪い殺しそうな顔を辞めてくれ。

 あの顔を見てしまった以上、どうにも耐えられなくなったので、さくら殿と離れる事にする。


「さくら殿、そろそろ落ち着いたかな?」

「すみません、私ったら、はしたない」


 皆へ挨拶をした時以外、俺に抱きついてジッと上目遣いで見つめていたのだが、はたと気がつき俺から離れる。少し惜しい気がしたがやむをおえん。せっかく助かった命だ。

 あの般若は今でこそ耐えているが、明日も耐えているかわからん。その先も溜まったマグマがいつ噴き出るか。今後、後ろから狙撃される可能性がゼロではない。というか、むしろ高めな気がする。

 そんな危険の原因を放置するわけにはいかないだろう。

 それに他の者も労わねばならぬしな。


 さすがにこの流れで、真っ先に政信に声は掛けられん。落ち着かせるためにも最後に回して、ここは、巻き込まれた部外者とも言える寅に声をかけるのが吉だろう。


「寅、すまなかったな。二度も往復してもらって。おかげで助かったよ」

「いいって事よ。無事に助けられて良かったな。さすがにあの小娘が舟を出せって来た時は、一日に二度もこんな事あるのかって思ったけどな」


 寅の言葉にビクッとする。寅の口の悪さには慣れたものだが、彼女の悪口とも取れる小娘呼ばわりとは……恐る恐る彼女を見るが、さくら殿が捕らわれていた事を思い出したかのようにさくら殿を労っていた。お陰で、ひまり殿には聴こえなかったようだ。あっちと絡むと必然さくら殿とも話す事になる。政信の怒りの熱を上げないためにも、今はさくら殿と距離を取るべきだろう。


「俺も、まさか日葵殿が来るとは思ってなかったよ。でも彼女のお陰で助けられた。もちろん寅が頼みを聞いてくれたから良い展開に持ち込めたのだ」


「お前には巳之助の借りもあるしな。それにお前らのことが気になってた。あの小娘のお願いは渡りに船ってやつだったんだよ」

「それでも助かったよ。ありがとう」


「いいって事よ。俺なんかより部下を労ってやれってんだ」

 

 照れ隠しなのか言ってる内容と言葉遣いがそぐわないが、寅だけとも話していられないのも確かで、水野に声をかける。

 敢えて政信との話を避けたわけではない。決して。今回の一番の功労者であるからだ。むしろ彼がいなければ浪人どもに斬り殺されていただろう。こうして、ふざけたり笑ったりしている状況は訪れなかったのは間違いないのだ。


「水野、剣の腕前と体術ともに見事であった。達人とはここまでの者かと驚いたよ。葛野藩を認められた時、水野を剣術師範にしようと考えていたが、間違いではなかった」

「某などまだまだ。上には上がおりますれば」


 あれでまだまだなんて、その上にいる達人はどんな化け物なのか。実際、水野の前にして忍びは何もできなかった。仮に俺と同じ腕前であれば、忍びどもは、二対二であっても勝負を仕掛けてきたであろう。本領を発揮できるのは奇襲など搦手とはいえ、正攻法の武術の腕が悪いわけではないのだ。


 さあ、最後は政信か。どう切り出したものか。冗談は抜きにして謝らねばならぬだろう。


「政信。まずさくら殿を巻き込んでしまって、すまなかった。それと狙撃についても俺の不注意で敵にバレてしまった」

「いえ、あれだけ用意周到な忍びです。我が家の特技が砲術なのは知られていたでしょう。元々対策も兼ねてのこの場所のはず。おそらくバレたバレないの話は揺さぶりに使われたのではないかと」


 おお、政信が冷静に戻っている。表情も嘘のように、いつもの澄まし顔だ。良かった。なんてふざけたことを考えていると政信が驚きの内容を告げる


「しかしこれで終わりではないやもしれませぬ。もう一人潜んでいるようでありました」

「そこまで分かったのか。庭番の気配察知というのは凄いな」

「いえ、日葵殿の印地打ちが思いの外だったようで一瞬気配が漏れました」


「なんですか〜? もしかして私のお手柄話ですか?!」

「まあ、そうだな。印地打ちで敵を倒した事で潜んでいた敵も炙り出したらしい」


「ほぇー。そんな事にも役立ってたんですね。って事は〜……私の印地打ちは一撃必中だけでなく、一投二役。ここまで凄ければ、いっその事、ひまり流印地術なんて命名しちゃったり……」


 段々と、とんでもない方向に進んでいく思考について行けなくなる。このままでは話が終わらなそうだ。


「一投二役って一台二役みたいだな」

「ひまり流印地術の開祖になんたる暴言。一台って私は便利道具じゃありませんからね!!」


彼女は流派を立ててしまわれた。

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