第二十二話
「ああ、いいだろう。さくら殿が無事に戻る事は、よくわかった。それなら安心だ」
事ここに至っては仕方あるまい。どうせ武士に執着もないし、出家すること自体は良いのだが、こんな犯罪者集団の言いなりになるのは業腹だ。
考えてみれば、歩けない、話せないというのも困りものだが、さくら殿の安全を思えば安いものだ。それで彼女を助け出せるのであれば、悪い取引ではないだろう。
しかし……。出来る限り時間稼ぎをしてみたが、現状を打破することはできなかった。おそらく政信は、どちらかの敵を狙える狙撃地点に着いているだろうが、狙撃する事はできないだろう。俺と話している前の忍びを打ったところで、さくら殿の危険が増すだけ。さくら殿を拘束している男を撃てば弾がさくら殿を傷つける可能性がある。それは本末転倒だ。
どうにもならん。もう手はない。
ここまでか……
「今そっちに行く。くれぐれもさくら殿の身柄、頼んだぞ」
相手に聞かせるように話しながら、水野へ願いを託す。きっとあやつなら、あれで理解してくれるだろう。俺の思いを汲み取ってくれるのは幼き頃より寄り添ってくれた兄のようなあやつだからこそ。俺を守りたいだろうが、すまん。俺はさくら殿を助けたいのだ。
「やっとか。手間を掛けさせてくれ……」
「ぐぇっ」
「なんだ?!」
目の前の男は、不意に声のした後ろを振り返る。
思わず俺もそっちを見る。鉄砲を放った音はしなかった。政信ではない。いったい誰だ?
さくら殿を拘束していた男が白目をむいてさくら殿に覆いかぶさるように倒れこむところだった。さくら殿は汚らわしい物が降りかからないような仕草で素早く横に避ける。しかし、松に縋りつくように倒れこんだ。
怪我ではなさそうだ。腰が抜けたのやもしれぬ。
ドサ。後ろの男は受け身を取るような様子もなく顔から倒れこんだ。その様子から少なくとも意識を失っているようだ。しかし発した声は蛙を踏み潰したような声。無事とは言い難いだろう。
倒れこんだ男の後頭部に何か見える。あれは盆の窪辺りだろうか。何となく見覚えのある石が
そう考えていると俺の脇を風が通り抜ける。男の声がして倒れこむまでの数瞬だったはずだ。
ドボォ。
「ぉ……ぉっ……」
異常を感じた交渉役の男もこちらを振り返ったのだが、駆け抜けた風、水野の右拳が腹へと突き上げられた。余りのスピードと人を殴ったとは思えない音がした。
水野の拳が腹を突き破り、背から突き抜けた右腕が見えてしまうのではと思わずには入れない一撃だった。
交渉役の男は、声も出ない様子で悶絶するのかと思いきや……
ヒュッ。
水野が引き抜いた右腕を後ろへ引くと、勢いそのまま左足を振り上げた。
腹を抱えて何とか立っているといった男は、頭を差し出すかのような体勢になっている。
ガスッ。……ズシャ。
その首筋へ何のためらいもなく回し蹴りを叩きこんだ。
少々過剰な攻撃ではなかろうかと思わぬでもなかったが、死ぬことは無いだろう。
忍びゆえ、口を割るかわからぬが、生かして捕らえることができるな。ピクリとも動かないが。
ともかく、これで誘拐劇が無事に終わったと理解できた。さくら殿に駆け寄りたい気持ちもあるが、足が動かぬ。疲労と緊張で身体の力が抜けたようだ。座り込みたい気持ちを、ぐっと我慢する。
しかし後ろの男に石を投げつけた奴は誰なんだろうか。いや、敵に気が付かれず近寄れ、人間に
あ、見えた。やはりな……。なぜこの時分で来れたんだ。
「ふわははは! さくらちゃんを
と、よくわからない理屈を大声で叫びながら、満足げな印地打ちの名人が近寄ってきた。
「日葵殿、助勢感謝する。それにしても、よくここが分かったな。それになぜこんなに早くここへ来れたのだ?」
「さくらちゃんの様子が気になって山波屋敷に行ったら、
そう聞くと、土手から寅の姿が見える。俺らが降りた桟橋に舟をつけて、日葵殿を降ろした後、桟橋で様子を見ていたようだ。心配で堪らなかったのであろう。仕方なかったとはいえ、あんな話だけ聞かせて帰らせたのはひどかったな。
そして反対からは、鉄砲を担いだ政信が走ってくる。
本当はすぐにでもさくら殿に駆け寄りたいのだが、まだ身体がいう事を聞かない。もう少し時間を稼がねばならぬようだ。
お手柄の日葵殿を褒めておくとするか。彼女は有頂天になりすぎて、さくら殿を労う事もしないどころか目にも入っていない。さくら殿を助けるために駆け付けたのではなかったのだろうか。
「それにしてもあの書付に包まれた石を持ってくるとはな。しかも不埒な石を返すなんて洒落ているじゃないか」
「石は手に馴染むほど良い大きさなので、つい持ってきちゃいました!」
それって不埒な石とかお返しとか後付けなのではと思ってしまったが、言わぬが花だろう。間違いなく今回の誘拐劇の武功第一は彼女なのだから。
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