第二十一話
「それで人質まで取って俺になんの用だ?」
「なんの用だと言われてもな。わかるだろ?」
取り繕った薄ら笑いのような表情が抜け落ちたと思ったら、言葉遣いまで変わる。ますますこの男が忍びである確信を深める。奴らは面子より利益を優先する。何を求めてくるのやら。
「いたいけな女性を拉致し、人質にするような輩の考える事など解らぬな」
「このような仕儀となり、私も心を痛めております」
忍びは、敢えて言葉を改め、さも申し訳なさそうな顔をしている。
「では、解放してやってくれないか」
「それはできんな」
忍びの表情、口調が元に戻る。こいつは一体何を狙っている? なぜ意味のない世間話に付き合うのだ。俺らと同様、援軍を待っているのか。
「色々考えているようだな。安心しろ。お前たちのように援軍を待っている訳ではない。我らはここにいる者で全てだ。狙撃や小柄は勘弁だがな」
「ーーっ!」
「我らを甘く見過ぎだな。あのくらいの距離なら我が耳は声を拾える。口も丸見えだ」
なんて事だ。対峙する時の策がバレているばかりか、奪還作戦の要である政信の狙撃まで。迂闊だった。初めて人を斬って興奮していたのかもしれない。あの距離で会話が聞こえるなんて考えもしなかった。
「すぐ顔に出すな。お前は。それでは藩主としてやっていけんぞ。まあ、武士として生きるのは今日で最後になるからどうでも良いか。しかし惜しいな。剣の腕はそこそこだが、度胸もあって頭も回る。殿の敵にならねば良い為政者になれただろうに。生まれが悪かったと諦めるんだな」
「何を勝手なことを!」
「そんな態度でいいのか? 人質はこちらの手にある。おい、連れてこい」
忍びの男は背後の二本松の方に声をかける。
「さくら殿!」
別の男に羽交締めされ、連れ出されてきた。その男もやけに印象に残らなそうな顔をしている。
さくら殿は見た所、怪我もしていなければ衣服にも乱れがない。乱暴された形跡は無いようだ。良かった。
さくら殿を拘束している男は、松と松の間に立ち正面をさくら殿で隠している。これでは真後ろからしか狙撃はできない。あれだけ身体を密着されていると、真後ろから狙撃したところで、弾が貫通しようものなら、さくら殿まで傷つけかねない。
政信の腕がいかに良かろうとも、人体の硬いところ、つまり骨を狙って撃つなどできまい。それ以前に、真後ろから狙える狙撃ポイントまで移動するのにどれだけの時間がかかるかも解らぬ。やつらがその時間をくれるとも思えぬ。
「女子の首を折るのは簡単だ。言うことを聞け。お前ら二人とも後ろに刀を放り投げよ。この期に及んで武士の魂だとか面倒な事は言うなよ」
ガシャ、ガシャン。
忍びの男は、出来の良い生徒を見守るように満足げに頷く。
「では、松平頼方。お前だけこっちへ来い」
「さくら殿の開放が確約されねば行けぬな」
「ほう、まだそれくらいの頭は回るようだな」
「それに俺をどうするつもりだ。殺すならいつでも出来ただろう」
「あれこれ聞くな。面倒くさい。解放してやるさ。お前がこっちに来ればな」
「行けばさくら殿が解放される保証はあるのか?」
「そこは信じてもらうしかないな」
「ここまでの事を仕出かしておいて信じろと……」
「おい、調子に乗るな。無事に返すかどうかは俺の気持ち次第だぞ」
「だからと言って、お前など信用できるか」
「ならそれでもいいさ。仕切り直しだ。今日の所は、あの女には我らと一緒に行ってもらうとしよう。次にいつ連絡が行くかはわからんがな」
「それを許すとでも?」
「お前に主導権はないといったであろう。許すも許さぬもない。女の命は俺の手の中にある」
「卑怯だぞ!」
「こうでもしないと仕事ができないのでな。もういいだろう。言葉遊びは。来るのか、来ないのか決めろ」
まずいな。このまま行っても、現状より良い状況にはならぬだろう。何かこの膠着状態を打開する術はないものか。
「グズグズするな! 来るのか来ないのかどっちだ!」
忍びの男は苛立つ様子で結論を求める。
余裕ぶった話しぶりだったにもかかわらず。何か急ぐ理由でもあるのか。最終目的の俺を目の前にして焦っているのか。もしや……
「そう怒るなよ。さっきまでゆっくり話をしていたじゃないか。それとも城から藩士が駆け付けるかと気が気じゃないのか?」
「なんだと?」
最初の頃の愛想笑いの表情と打って変わって険しい顔になる。最初の顔からは想像できないほど荒々しい眼つきだ。
「行ってやるから、せめて俺に何をする気なのかぐらい教えてくれよ」
本当に城から藩士が駆け付ければ、俺にとっても良い結果になるとは思えない。
確かに俺の安全は確保されるだろうが、逃げも出来ない状況に追い込まれた敵が自棄になり、さくら殿と心中なんて事もあり得る。
奴らの逃げ道も用意しておく事は俺にとってもメリットのある事だ。
「……まあ、いいだろう。お前には、武士を辞めてもらう。脚の腱を切り、声を出せないよう喉を潰す。そうなれば、どこぞの寺へ出家だろう」
「殺さなくてよいのか? それにそんな痛そうな事をしなくても武士を辞めて欲しいなら辞めるぞ」
「殿!」
「誰が信じる? 我らはそんなお人好しではないぞ。それに自発的に出家したとて還俗すれば意味もない。不具者になれば、そんな心配は無要だ」
「それもそうだな。脚の腱は別にしても喉を潰されれば、命に係わる。すぐに医師に見せねばなるまい。その隙に逃げ去るという事か」
「ご名答。そこまでできれば、我らの目的は達成される。女は不要だ。逃げるのに邪魔にもなる。必ず解放しよう。さあ、もう質問は良いかな?」
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