第二十話

「そろそろ、休憩は足りましたかな。二本松にいる敵さんもお待ちかねの様子。そろそろ向かいましょう」

「そうだな。てっきり駆けつけてくると思ったが」

「さくら殿が側にいるのでしょう。これ以上、本陣を手薄にして人質を奪還されては元の木阿弥。雇われの浪人どもは見捨てて仕切り直すつもりではないでしょうか」


 当初は力任せに押し包んで、水野と俺をまとめて葬り去る予定だったのであろう。浪人たちの驚いた様を見る限り、外れていないと思う。

 初手で相手の裏をかき、こちらの目論み通り、被害無く人数差を解消できた。

 しかしこれで戦局が変わる。良い意味でも悪い意味でも。


 相手は強引な手法を取れなくなった。となると手札の人質を最大限利用してくるだろう。さくら殿の身柄が危険に晒されるという事だ。

 良い面では、俺が死ぬ可能性が極端に低くなった事だろうか。


 この後の想定されるパターンは多くない。

 ひとつは当初の目的の通り、何が何でも俺を殺す事。これは可能性が低いと思う。俺を殺した途端、水野が暴れ出すからだ。主君の仇討ちのために死に物狂いで暴れる事だろう。あの腕前を見れば、誘拐犯どもの命はない事は明白だ。ここまでの用意周到な性格からするにそのような危険を犯すとは考えにくい。


 二つ目に人質を見せしめに殺す事。これも先ほど同様、自らの安全の担保を失うような事はせぬであろう。


 三つ、水野と同等の腕前を持つ用心棒がいる場合。この場合は、俺が誘拐犯と対峙する事になる。こうなると結果は読めない。乱戦になればさくら殿に危害が及ぶかもしれないし、俺もどうなるか分からない。そうなると山波が間に合っても狙撃は難しいだろう。

 しかし、腕の立つ用心棒を本陣に残しておく理由がない。本来は、多数で押し包む計画だったのだから。そっちに組み込んだ方が成功率が高まる。


 最後に失敗を悟り、さくら殿を残して逃げ去る。これが一番助かるのだけれど、そんな事を考えるのは平和ボケしすぎだろうか。


 初手は相手の意表をつけたが、次も出来るとは限らない。むしろこちらが裏をかかれる事もあるのだ。どういう状況になっても対応できるようにせねば。失敗の代償は誰かの命だ。


 あれこれ考えてみたものの、俺の命の安全性が高まったところで大して良い面ではないな。自分で言うのもなんだが。結局は、さくら殿を怪我なく奪い返せねば意味がない。


「まともにぶつかってはこぬよな」

「あと何人いるかによると思います。多くはないでしょうが」

「人質を盾に取られたらどうすべきだ?」


 ここぞというところで頼りになる水野に確認する。


「その状態ではできることは多くないでしょう。身柄を抑えている者に小柄を投げて、その隙に奪うくらいしか。武器を捨てるよう指示される事も考えられます」

「そのまま行っては飛んで火にいる夏の虫だな」

「ですな。山波殿が追い付くまで時間稼ぎをするしかありますまい」

「あいつは頭が切れる。いきなり飛び込んでこず、狙撃に適した場所に伏すだろう。その辺りも考慮に入れて俺らの位置取りもせねばな」

「そうですな。時間稼ぎもせねばなりませんから、さくら殿には申し訳ないのですが、充分に休息をとって向かいましょう」


 一つ山場を越えたことで、最初の頃より落ち着いていた。まだ最後の山場を残しているのに。単なる浪人相手の剣戟とは違い、次はさくら殿を無事に救出するという困難が待ち受けている。

 彼女が無事に助けられるのであれば、俺は命を絶たれても構わない。元々捨て子みたいなものだったし、望外の出世もした。そこまで生に執着するほどの人生ではない。


 さくら殿はこれからだ。幼き頃から学び、次の世代を育て知識を継承する。とても大事な仕事を担っている。家族にも深く愛されている。度合いは家族内でもまちまちだが。

 水野は、俺とさくら殿の命が天秤にかかったら俺を選ぶ。最後まで、さくら殿を命がけで守れるのは俺だけだ。



 水野と俺は連れ立って川渕から土手上の二本松へ向かって歩く。

 川渕の砂利場には、八人の骸が横たわっている。相手への興味はないが、さっと視線を巡らせた時に見えた水野の切り口には驚いた。皆が皆、血の海に沈んでいる。傷口は首の横、太い血の管のある所をスッパリ切られているのだ。確かにあれであれば、無理な力が刀に加わることもないから、曲がることもなければ刃こぼれもないだろう。それに刀身に巻き込む血脂もほとんどないはず。鞘に納刀できるわけだ。これが切っ先三寸というものだろうか。


 首の太い血の管を斬ると血が噴き出すそうだ。実際、浪人の死体の周りには、血が撒き散らされていて血の海という状況はこのことを言うのではないかと思うほど。だというのに、水野の様子を見ると山波屋敷に訪れた時と変わりない。斬った相手から血が噴き出ているのに、本人は返り血を浴びてないのだ。改めて腕の差を実感する。


 俺の刀は懐紙で拭ったものの血脂がべっとりだし、骨を叩いたせいで曲がってしまった。鞘に納められないので抜き身を下げながら歩いている。もう離せないほど手が強張るようなこともなく、抜き身の刀を持っていても心が動くことは無い。


「そろそろ土手に上がりきるな。時間稼ぎをしながら隙を探ろう。仕掛けは任せる」

「お任せを」



 土手に上がると、松の周りに複数の人間がいた。さくら殿は松の裏手にいるようだ。木に縛られているようには見えないから、誰かに拘束されているのだろう。敵はニ人。

 間を遮るように遠目で見た商人とも侍とも見えぬ格好の男がいる。


 そいつは計画が破綻したにも関わらず、表情は至って普通。たまたま通りかかった無関係の人間だと言われれば、そうなんだろうと思ってしまうくらい感情の揺らぎを感じない表情をしていた。


「約束の時間には、少し遅れたしまったかな。さきほど柄の悪い浪人に絡まれてしまってな」

「そうでしたか。それは災難でしたな」


 揺さぶりをかけてみたが、この程度では揺るがないようだ。

 薄気味悪い愛想笑いを浮かべて。その顔も仮面を貼り付けたようなもので、あまりにもこの場にそぐわない。


 一瞬、本当に通りがかりの人間ではなかろうかと思ってしまったが、スッと表情が抜け落ちるように変わると明確な敵だと認識できた。一般人がここまで感情を押し殺した表情ができるわけがないのだから、

 もしや、こいつ忍びか。全くもって侍らしくない。これは一筋縄ではいかないな。何を仕出かすか分からん。敵が忍びと分かって奴らの狙いが読めなくなった。

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