第二十五話

◇◇◇養父 紀州藩家老 加納政直


 襲撃があった日の深夜。藩主光貞の腹心で家老である加納政直の屋敷、加納屋敷で家主が水野知成と面談している。

 ここは幼き頃の松平頼方(後の徳川吉宗)が住んでいた屋敷。


「頼方様を狙った襲撃か……」

「はっ。殿の行動を把握して知人の女子を誘拐するなど、昨日今日の思い付きではないと思われます。主犯は忍びが二名。さらにもう一名いたようです」

「計画的な分、より厄介だな……下がって良いぞ」


「……」


 報告に来た水野知成が下がる前に、思考に沈む。

 下がる前に何か言ったのか、何も言わなかったのかよくわからん。


 そんな事よりも一大事が起きている。殿紀州藩主 光貞の次男 次郎吉が亡くなってから六年余り。あの事件がきっかけで、頼方様(養育していた時は源六)が紀州徳川家に復縁し城に登る事となった。うまく養育出来てはいなかったが、それは自分の子が己が手から離れていくのは悲しみをもたらした。

 その忌まわしい事件の原因、これはほぼ確実に断定できる。そして犯人も。

 加えて言うならば、まだ終わっていない事も。


「……早々に殿に報告に上がらねばならぬな」


 明日、殿にこんなことを報告せねばならぬとは、と嘆息しながら床の準備がされた寝室に向かう。今日も熟睡はできなそうな予感がする。予感ではないのう。確信だ。



「殿、急ぎご報告したき儀が」

「藪から棒になんじゃ。いつもの朝議の後ではいかんのか?」

「何よりの一大事にございます。お人払いを」


 殿は、嫌々な顔をしながらも人払いをしてくれた。

 

 殿はだいぶ御歳を召された。以前であれば、このように話かければ何をおいても話を聞いてくれた。今は何事にも億劫なようで、その気持ちを隠すこともない。そして変化を嫌う。

 仕方の無い事だと思う。殿は一六二六年のお生まれ。今で七十一歳になる。ご長寿であった神君家康公は享年七十五歳、父親にあたる頼宜公は享年七十歳。既に頼宜公よりお歳を一つ越してしまわれた。

 藩主として現役でおられるのは他のお方と比べても負担が大きいだろう。嫡子であらせられる綱紀様は三十一歳。分別も付き経験も積まれておられる。殿のお身体の事を考えれば、可能な限り早く家督を譲っても良いのだ。

 その家督を譲る事すら面倒に思われている節がある。臣下である儂が隠居を勧めれば、簒奪のようになってしまう。どうしたら良い物やら。


「人はいなくなったぞ。なに用じゃ?」


「殿、ご報告です。昨日、頼方様が忍びと思われる輩に襲撃されました。藩士の子女が誘拐され、呼び出されたところ不逞浪人を含め十人の敵に襲われた由。今回の事件によってお身内にお怪我をされた方はいらっしゃいません」


「なんじゃと!尾張か?!」


 億劫そうな態度と打って変わって、腰を浮かせる。お身体の事を考えればもう少し婉曲に報告すれば良かったか。しかし、内容が内容だけに端的に伝えねば齟齬があってもいけない。仕方ないと諦めて報告を続けるとしよう。


「殿、お声が大きゅうございます」

「そんな事どうでも良い。忍びを用いたのは確かなのじゃな」

「はい。それは間違いないようです。その者らの死体は処分され回収できなかったと報告がありました」


 殿に往年の眼力が戻る。英邁誉高い第二代紀州藩主の面影が色濃く表れる。これならば事態を正確に把握してくれる事であろう。


「では、確定じゃの。やはり頼方も敵として見做されてしもうたか。あの老中め。余計な事しかせんわ」

「殿のご深慮で将軍位争いが落ち着くまでは、頼方様をお匿いになるご予定でしたからな。綱吉様へのお目見えは想定の範囲外でした」


「徳川宗家は跡継ぎに苦労しているからの。老中 大久保様は候補が多ければよいと考えたのか、それとも尾張の可能性を薄めるためだったのか」

「案外、後者が狙いだったのかもしれませんな」


「じゃが、妖怪の事など考えてもわからんわ。とかく頼方まで狙われるとはな。さすがに綱紀長男頼元三男がいれば、頼方なんぞ将軍になれる訳があるまいに」

「おそらく対抗馬全てが対象となっているのでしょう。頼元様は城からお出になられません。綱紀様は次期藩主が決まっており、警護の隙はございません。頼方様は町方を好まれますから狙いやすかったのでしょう」


「せっかく和歌山城に引き留めているというに。頼方は籠の鳥にはなれぬ。むしろ、あやつにとっては足を引っ張られているとしか感じないのじゃろう」

「なかなか親心というものは伝わりませんな。某も気持ちを伝えることはできませなんだ」


「あやつは綱吉様にお会いできないようにされたのも、除け者にされたと思っていたようだしの。生まれてすぐ、このような汚い世界から遠ざけたのじゃが。何もかも上手くゆかぬ」

「捨て子として肉親の愛情を欲するようになりました。綱吉様のお目見えについても差を付けられたと不貞腐れていたようです」


「気持ちを伝えるというのは難しいものじゃな。これほどまでに目をかけておるのに」

「いかにも」


「かといって、このままではいかん。藩務を盾にされれば出歩くのは規制できぬのが歯がゆいが警護を密にするしかあるまい」

「頼方様は繊細な方ではありますが、籠に住む美しい鳥ではなく、雄大に空を飛ぶ鷹なのでございましょう。それが最上かと思われます」


「それは良いとしても、尾張の徳川綱誠はまだ四十七歳。綱紀には対処が難しかろう。みすみす我が子らが尾張の餌食になる事など許せるものか。綱誠を野放しにしておくことはできぬ。あやつも道連れにせよ。これは綱紀への餞別じゃ」


 確かに尾張藩主 綱誠様は殿の子くらいの歳の差。長寿の徳川家の血筋を見れば、まだまだこれからだ。老獪な敵を残せば、お若い綱紀様では太刀打ちできないであろう。ましてや暗殺など直接的な排除も厭わないような男だ。

 このままでは不味い事は百も承知。安全に次世代に継ぐには、尾張藩主にも退場していただかねばなるまい。


「尾張へ報復せい。それが済むまでは死んでも死に切れんわい」

 殿は改めて命を下された。儂はそれに従うのみ。

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