第十一話
宮地六右衛門殿と出会い、蕎麦屋で蕎麦を食いながら酒を酌み交わしてから数日後、紹介してくれるという知り合いの都合がついたとの連絡を受け、藩務終わりに再び蕎麦屋の砂屋に向かっている。
砂屋の蕎麦は真に美味かった。蕎麦と熱燗たまらぬ。俺は団子より蕎麦だな。
心なしか軽い足取りになりながら城下町を進む。
前回問題となった連絡方法だが、これといった手段が思いつかず、水野に骨を折ってもらうことにした。宮地殿からは水野の実家へ文や伝言を残してもらい、水野が回収しにいくという流れだ。
城内で茶坊主に連絡を頼むよりは良いだろうと思い、この方法にしたのだが、宮地殿は水野が家老の家の出身とは思いもよらなかったようで、結局は驚かせてしまった。
彼ら庭番の者からすれば、どちらも雲の上の存在という事だろうか。こっちの認識では、我ら庶子や元捨て子の爪弾き者の主従なんだから、そんなに気にしなくてもと思うのだが、彼にとっては、そうもいかないようだ。
やはり俺の部下が水野だけという状態では、身分のバランスが悪い。それなりの身分で、もう少し身軽に動ける人間がいてくれれば助かるのだが。無いものねだりだろうか。
年季の入った蕎麦屋が見えてきた。宮地殿達はもう店に入っているだろうか。こじんまりとした店内を覗き小上りを確認する。やはり先に来ていたようだ。下座に座っているから入り口から背を向けているが間違いないだろう。
「待たせたな」
「いえ。我らも先ほど着いたばかりにて。これは友人の山波政信です」
「庭番 山波隆信が次子、山波政信と申します」
宮地殿は実直な人柄そのものといった印象で、あまり日葵殿には似ていない。日葵殿は猫といったイメージだが、六右衛門殿は犬だな。兄弟で結構違って面白い。
もう一人の山波殿は、庭番の家の人間にしては色が白いな。外で動き回る庭番の人間というより書生と紹介された方がしっくりくる。月代を剃らない総髪であるというのも影響しているのかもしれない。スラッとした男前だ。少し冷たい印象を受ける。
「松平頼方だ。こっちは水野知成。今日は時間を取ってもらってすまんな」
「私は次男坊の部屋住みの身。時間はいくらでも有り余っております」
部屋住みという割に恥じる様子はないな。むしろ達観しているように思える。
もう少し深く突っついてみるか。
「日ごろは何をしているのだ?」
「頼方様は庭番の家系が各々特殊な技術をお持ちであることをご存じだとか。我が家は鉄砲術に秀でております。しかし鉄砲は玉薬に金がかかるものでありますれば、訓練に時間を掛けられず、余った時間は本を読む日々にてございます」
玉薬に金がかかるのは仕方ない。鉄砲に使う火薬のうち、硝石はほとんど日本では取れないからな。だから輸入に頼るわけだが、そうなると価格が跳ね上がる。一家臣が自前の鉄砲の修練のため硝石や火薬を買い集めるのは、相当難しいだろう。
しかしお役目なら懐を痛めず訓練できるはず。確か紀州藩では薬込役という役職があり、鉄砲隊の役割を担っているはずだったが。
「鉄砲術か。紀州藩には薬込役があるがそちらには進まぬのか?」
「あちらは国家老の派閥に占められております。我らは山に入り、猟師の真似事のように鉄砲を放つくらいしかできません。城下や拝領屋敷では鉄砲の音をさせれば、すわ謀反かと大騒ぎになるでしょう」
そうなると薬込役の藩士のように修練で数を打つことはできないだろう。藩士の懐の痛まない役職とはいえ、予算もあるので潤沢とは言えない程度の数しか放てないはずだ。藩の予算を割り振られている薬込役ですら、そうなのだから山波家では圧倒的に鉄砲を放てる数は少ないだろう。となれば鉄砲術の技術には疑問符がつく。致し方無いのは理解できるが、少し残念だ。
「では腕前は薬込役より劣るのかな?」
「生涯で鉄砲を放った数では劣るでしょう。しかし鉄砲の腕は負けていないでしょう」
おいおい。大言壮語だな。本人の態度からして大言というほどではないのかな。とはいえ、剣はどれだけ振ったか、弓はどれだけ射ったかで習熟度が変わってくるのだから、それほど自信を持てるとは思えない。
生真面目な六右衛門殿の友人という事だから嘘つきというわけでもないだろう。こやつもだいぶ癖が強そうだ。俺も大概だが周りとうまくやっていけるとは思えん。
俺と同じく出世しにくい人種だろうな。周りの人間がバカに見えてしまうのだろう。部屋住みでなく嫡男だったとしも閑職に回されるやつだな。
「おい、政信。いつも言っているだろう。もう少し謙虚に話せ」
安定の宮地殿。俺の周囲は癖の強い人間ばかり。宮地殿のような常識人がいてくれると安心するようになってしまった。妹の日葵殿は、決して常識人ではない。妹に苦労すると、こうなるのだろうか。
しかしその論法で行くと、しっかり者のさくら殿の兄上である山波政信は常識人ではない事になるな。うん、この推測はあっているようだ。
「随分な自信だな。打った数が劣るのにどうして腕は負けていないと言えるのだ?」
「簡単な事です。彼らは、安全なところから止まった的を打つのみ。翻って私どもは、猪や熊、はたまた野盗どもと命のやり取りをしているのです。己の身を危険に晒しながら動く的を狙って打つのですから、腕の良さなど比ぶべくもありません」
「確かにその理屈では貴殿らの方が腕が良い事になるな」
「漫然と数を打っている者になど負けませんよ。そも、対峙したところで彼らは我らを見つけることも出来ぬでしょう。気が付かぬうちにこの世とのお別れをすることになります。命中云々以前の問題ですな」
「おい! お偉方の批判は止めろって」
「まあいいさ。ここは仕事終わりに立ち寄った蕎麦屋で偶然会ったに過ぎないのだから。酒の席で気が大きくなってしまったのさ」
俺は元々そういうの気にしない質だが、しっかり明言しておこう。山波殿は、あえて大きな発言をして、こっちの反応を見ているようにも思えるからな。側近にあたる人材を探していると宮地殿から話も聞いているはずだから、むこうもこちらを値踏みしているのだろう。
そうやって見てみると半分くらいは演技で話しているように思える。基本的に自信を持っているのには変わりないだろうが。
「山波殿というと、さくら殿はご家族ですか?」
話に盛り上がっていると、話の途切れ目を感じたのか水野が会話に入ってきた。
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