第十話

「それで話というのが、日葵殿の兄上に引き合わせて頂きたいのだ」

「兄上ですか? 急なお役目で山に行かなければ今日明日でも構わないと思いますが。どちらにせよ二日続けて山に行くようなことはないので、どっちかは大丈夫だと思いますよ」


「それはありがたい。今日では急だから明日そちらに伺うと伝えておいてくれないか。駄目なら城の茶坊主に伝えてれれば伝言は届くはずだ」

「うちの荒屋あばらやにですか?! こう言っては何ですが、庭番なんて最底辺の武士とも言えない家柄ですよ。そこらの農民と変わりない家ですし、屋敷と呼ぶのも烏滸がましいくらいの家です。同輩ならまだしも松平様をお招きするような家じゃありませんよ」


 随分な言い様だな。いくらなんでも拝領屋敷が荒屋なんて事はないだろう。ないよな。でも江戸の貧乏御家人も中々苦しい暮らしぶりだったから、そんな感じかもしれない。しかし嫌がられるのであれば止めておいた方が良いだろう。


「そうは言っても時間を取ってもらうのだからこちらから出向くべきであろう。とはいえ、迷惑なようなら場所を指定してくれれば、そこへ出向くさ」

「……とりあえず兄には、そのように伝えておきます」


 そんな感じで別れたその次の日、日葵殿の兄上から茶坊主経由で連絡があり、城下の蕎麦屋で会う事になった。

 その蕎麦屋は砂屋という。これぞ蕎麦屋という雰囲気を醸し出していて、暖簾や提灯がなくても十人が十人蕎麦屋だと言うくらい一般的な蕎麦屋だった。実は切り蕎麦は好きな方だから、楽しみにしてたりする。それに見た感じ、歴史のある外観は期待が持てる。決して綺麗なお店ではないが不潔ではない。長い間、地域に親しまれた店といった様子。これなら味も期待できそうだ。


「このような場所にお呼びして申し訳ございませぬ。某、宮地六右衛門みやじ ろくえもんと申します」

「松平頼方だ。こちらこそ急な話で時間をとってもらって申し訳ない。しかも妹さんを通じてでは、ご不審に思われただろう」

「はっ。妹の日葵からある程度の話は聞き申したが、あいつはご存じの通りの性格にて、さっぱり要領を掴めませなんだ」


 思い当たる節があるので、俺も水野も苦笑いだ。咄嗟に否定の言葉も出ない。


「それは、こちらが詳しく説明しなかったのがいけなかった。日ごろ、日葵殿から花を買わせてもらっていてな。それが縁で暮らしぶりなど城下の話を聞かせてもらっていると庭番の家系の技術について話が及んでな。興味が湧いたので話を聞きたかったのだ」


「左様ですか。さして面白いものではございませぬが。野を這い、山を這い、武士とも言えぬ事ばかりしており申す」

「お役目柄、必要な事なのであろう。遠駆けに始まり、様々な技術を持つようだな。宮地家は印地打ちや手裏剣術が得意だとか」


 おっと。これは言わぬほうが良かったのかな。家で伝承している技術は隠されることも多い。日葵殿の話しぶりから、そんなに秘匿性のある話ではないと勝手に思い込んでしまっていた。


「日葵はそのような事まで。搦手ばかりの技術にて武士道とはかけはなれた技ばかりにございます。誇れるようなものではございませぬ」


 良かった。技術を隠したかったのは、武士としての体面を考えての事のようだ。


「そう言うな。俺は寧ろそのような技術を持つ者がいると知って興味を持ったのだ。それともう少し砕けた話し方はできぬか? 上司と部下というわけでもあるまいし、ここは城下の蕎麦屋だ」


「流石にそれは! 松平様と聞いておりましたが、まさか殿のご子息の松平頼方様だったとは。お城で茶坊主に聞いて寿命の縮む思いでした。こんな軽輩の庭番がよりかた様へ伝言などありえぬ事。あの慇懃無礼な茶坊主に頭がおかしくなっていないかと本気で心配されたくらいですから」


 茶坊主は意地汚く、袖の下次第で伝言を遅らせたり、逆に贔屓の物には城内の情報を伝えたりする。誠意という言葉とは正反対の存在だ。そんな者達に本気で心配されたというのだから、その状況を想像すると面白い。


「ハッハッハ、それは悪いことをしたな。ついつい早く会いたくて外聞を考慮するのを忘れてしまったよ。これからは連絡の手段を考えねばな」

「これからのですか? 失礼ですがそんなに時間のかかる内容なのでしょうか」


「そういえば、まだ本題の話をしていなかったな。紀州藩士なら俺と長七兄上が領地を拝領した事と立藩したことは存じているだろう。だがな俺ら藩主は名ばかりで、この紀州からは出られず、現地に行く藩士は命令を聞かない。見ているのは国家老の方ばかりだ。残りの藩士なんぞ名簿に名前が載っているだけで、本人は紀州藩士だと思っているような輩だけだ。そんなのでは、まともに領地経営なんてできる訳がない。だから信頼できる能力のある人材を探しているのだ」


「同輩も立身出世の機会だと喜んでおりましたが結局は蚊帳の外でした。実情がそんなことになっているとは。しかし、我らが何かお役に立てるとは思えませぬ。殿よりお役目も頂戴しておりますし」


 そんな経緯があっても、今回のように美味い話にすぐ飛びつかないところは信用できそうだ。しかし本人も言っている通り、紀州藩士としてお役目を持っている人間を引き抜くのは難しいだろう。一人か二人なら無理をすればできるかもしれないが、それでは足りない。

 であれば、協力できる環境にいるの人材を探すしかないのだ。


「六右衛門殿のようにお役目をお持ちの方は厳しいだろうな。しかし、藩士となれずとも相談相手になってくれれば嬉しい。俺には信頼して話ができる人間が少ないのだ」


「私ごときに相談とは恐れ多い事にございます。某は頭の働きが悪い方にて真面目にお勤めを務めるのが精いっぱいです。よろしければ同輩の友に頭の切れる男がおります。あやつは次男坊で暇しているため頼方様の条件にも合うかと」


「それはありがたい! 今度はその方も含めて会おうではないか。深い話はその時にでも。では蕎麦でも食わんか? 江戸で切り蕎麦を食ってから蕎麦に目がなくてな」


「かしこまりました。江戸の蕎麦ですか。いいですね! 江戸の味は知りませぬが、ここの蕎麦も美味いですよ。さすがに松平様をお呼びするのにどうかと不安でしたが、私が行けるような店で、飯も酒もまともな所はここくらいしかありませんで」


 宮地家の人間は食い物の話題になると良い反応をしてくれるな。日葵殿の店選びも外れてなかったから兄上である六右衛門が選んだ蕎麦屋というのも期待できる。


「それは良い。まずは三枚ほどもらおうか。酒もつけてな」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る