幼少期編 第三十二話

 いやはや、谷地殿はとんでもない発言をして去っていってしまったな。

 大っぴらに発言していたのだから勘定奉行支配の仲間内での共通認識なんだろうと思う。

 まず、谷地殿の発言から情報を整理してみよう。


 納戸方として草鞋調達と管理の担当は、参勤交代に使用するための職務である。

 予算は高くても五百両ほど、今春、江戸より帰国した際の草鞋の余りは廃棄してしまった。


 大事な話はこれくらいか。問題がありすぎる気がするが、問題点を洗い出そう。


 まず参勤交代だが紀州藩は三千人体制で二十日間かけて江戸に向かう。そして草鞋は一日でダメになる。単純に計算すると、出発日分と予備一足は本人が持参するとして、残りは三千人×十八日=五万四千足?! とんでもない数になるな。


 さすがに最大値での計算だからこんな数を用意することはないだろう。

 第一に、草鞋の耐久性だが、手直しすれば三日は持ってくれる。宿泊時に直してもらえれば、それだけで三分の一になるな。


 第二に草鞋の消耗が激しいのは、徒士の侍と小者たち。中、上級武士は騎乗するから、さほど草鞋を交換することもあるまい。藩内の家臣の割合からするに三割は減らせるだろう。


 ざっと計算し直すと二千人×六回=一万二千足か。まだまだ多いが人数が多いのだから仕方ないかな。


 次は予算か。草鞋は商店で購入するときは大体十九文前後。計算しやすく一足二十文で計算してみよう。


 まず五百両という数字を軸に考える。

 一両は四千文だから、二百万文。一足二十文で購入できると十万足買えてしまうことになる。俺の計算間違いだろうか……。最大値で計算した数の倍の数が買えることになってしまう。


 逆に全員が毎日履き替えた想定の数、五万四千足を軸に考えるとどうだろうか。

 五百両を五万四千で除すれば良いから、二百万文、割ることの五万四千足で一足三十七文になるぞ。


 これじゃあ市価の倍じゃないか。しかも一万二千足で済むはずだから、そうなったら百六十六文で市価の九倍になってしまう。


 ううむ。おかしすぎる。これは前例をあてにすると痛い目に遭いそうだな。


 それに残った草鞋を廃棄したというのはどう言うことなんだろう。買いすぎてしまったことを隠したかったのだろうか。

 謎が多すぎる。尾藤屋に会えばもう少し情報が集まるだろうか。いや、尾藤屋も絡んで現状がこうなっている以上、尾藤屋も同じ穴の狢か。そうなるとそこから集める情報もあてに出来なそうだ。


 となると俺に出来るのは足を使って商家への聞き込みと信頼できる人へ意見を聞きに行くことだな。今出来ることはそれくらいだろう。



 俺は水野を伴い、和歌山城下の大通りを歩く。この大通りは大店が軒を連ね、紀州藩で一番賑わっている場所だ。ちらっと見えたが尾藤屋もこの通りの一等地に店を構えていた。


 しかし今回の俺の目的地はそこではない。

 俺は、大通りと交差する幾分細くなった通りに入り、目当ての店を見つける。巴屋。古着を扱う比較的大きな店だ。紺に白字で巴と染め抜かれた暖簾は古びていて、良い風合いになっている。俺は勝手知ったるように遠慮なく暖簾をくぐる。


「こんにちわ。忠吉はいるかな?」

「源六じゃないか! 元気にしてたか」


「おう。忠吉も元気そうで何よりだ。そうそう、今は新之助と名乗っているよ」

「俺の中では、いつまで経っても源六さ。とはいえ、店先ではちょっとまずいかな。お侍様、私どもの店にお越しいただきありがとうございます。ささ、奥の座敷へどうぞ。お付きの方もご一緒に」


 昔の仲間のバカ丁寧な態度に、こそばゆい思いをしながら奥へとついて行く。


「本当に久しいな、源六。お付きのお侍様、私はこの巴屋の次男坊 忠吉と申します」

「これはご丁寧にかたじけない。水野知成と申す」


 茶が来るのを待ちながら、忠吉と思い出話をしたり、水野へ忠吉との出会いの話をして時間を潰した。

 忠吉は加納屋敷にいた頃につるんでいた悪ガキどもの一人だ。忠吉も家との折り合いが悪く、家に居付かなかったクチだが、俺より一足先に落ち着いて実家で家業の修行を始めていた。


 供された茶を一口啜ったのを見た忠吉は、待ちきれなかったように話を切り出す。


「源六、急に店に来てどうしたんだ?」

「実は今、納戸方にいてな。ちょっと相談したかったんだ」

「お城からの発注か?! 古着ならいくらでも納められるぞ!さすが持つべきものは友だな!」


 引くくらいに食いついてくる。忠吉も商人になったのだなと、ちょっと場違いな考えを抱いてしまう。とても期待に満ちた目をしているのが申し訳ないがちゃんと否定しておこう。


「いや、俺の担当は草鞋で古着じゃないんだ」

「なんだよ。商いの話じゃないのかよ」


「申し訳ない。俺が商いに疎いから、詳しそうな忠吉に教えてもらいに来たんだ」

「そう言うことか。源六は頭が良いから、商いの事などすぐ理解できるだろう。で、どんな事を聞きたいんだ?」


 俺は、谷地殿の話やそれを基に考えた話などを掻い摘んで話した。


「なんだいそりゃ。お侍様の仕事はそんなもんなのかい?」

「そうではないと思いたいんだが」


「俺の立場に見立てて考えると、予算は店主の親父の金だ。何か買うにしても、目的と成果を見積って説得しなきゃならん。いつまでにこれくらい売り上げるから、このくらい使って仕入れたいってな。そのあと、計画通り行動したら結果を報告せにゃならん。実際、いくらで仕入れて、いくらで売れて、どれだけ在庫に残ってしまったか。そこまで丁寧にやらなきゃ金を使わせてくれんぞ」


「普通そうだよなぁ。俺もそのくらいすると思うのだが」

「紀州藩は親藩だから金に困ってないのかもしれねえな」


 どうなんだろうか。特別裕福とは聞いた覚えがないが……これは俺らには出せない答えだから、別のことを聞いてみよう。


「とはいえ、余りの在庫を破棄するのはおかしいだろ?」

「そりゃあな。余りとはいえ、商家に下取りさせれば六割は回収できるだろう」


「俺は担当者が買い過ぎの失敗を隠すために廃棄しているのかと考えたのだがどうだろうか」

「それもあるのかもしれないが……商家の目線で考えると買った事にして差額を着服でもしてるんじゃないかって思えるよ」


 そうか。余るとわかっているなら予算だけ取って実際買わないでおくこともあるか。四万足と五万足の違いなんて見ただけじゃわからないし、どれだけ使われてるのかも報告されていない。単に廃棄してしまったという理由よりしっくりくるな。


「ちなみに城下で草鞋を買うならいくらで買える?」

「店を通すなら二十五文くらいにはなるんじゃないか。街道の茶店で19文くらい、原価でいえば十文ってところだろ」


「普通、まとめて買うなら安くなるよな」

「量にもよるがな」


 城で考えていた一足当たりの単価に大きな乖離はなさそうだ。

 あとは購入量の問題とその数を用意できるかという点だな。


「なあ、草鞋を一万足単位で用意できるのかな」

「今までやってきたんだから大丈夫なんだろ。どこぞの大店なら、時間さえあれば集めるのも苦労しないんじゃないか」


「そうだよな。今までも集めてたはずだし問題ないか。どこか信用のおける大店あるか?」

「草鞋を扱うところだろ? そんでもって御用達の大店となると紀之本屋かな」


「紀之本屋な。ちなみに尾藤屋知ってるか?」

「尾藤屋を知らない商家がいたらモグリだよ。城下で一、二を争う大店だな。少々強引で評判は良くないが大店なら多かれ少なかれ言われることだ」


「そうなのか。ありがとう。参考になったよ」


 やはり聞き込みをしてみると今までの草鞋担当の杜撰さが目に余る。単なる阿呆で買い過ぎたのならまだ良いが着服の話までになるとかなり問題だ。


 尾藤屋との相対するのは、しっかり事前調査を済ませてからにしよう。

 今の所でいえばかなり経費を削減できる気がする。藩に余裕があろうとなかろうと無駄な経費を削減すれば父上も喜ばれよう。

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