幼少期編 第十七話

 翌日、治右衛門や田野への挨拶もそこそこに次の目的に向かった。達は顔を出さなかった。失望したのだろうか、単に田野がいるから寄り付かなかっただけなのか、いくら考えたところで答えは出ない。


「次は角村、そして谷村ですな」

「うむ、残りの村にいる代官は田野のような代官ではなければよいが……」



 結論から言う。残りの代官も田野とそう変わりなかった。あそこまでひどくないものの、田野と似たような考え方をしていた。三人に共通するのは、農民を下に見て自分の思い通りにできると思い込んでいる事、税は絞れるだけ搾り取る方が良いと考えている事。


 そして俺にとって悪い事に、三人とも職務に真面目に取り組んでいるという事だ。それは怠慢を理由に更迭できないことを意味する。この代官たちの考えは、紀州藩の評価基準上、是とされているから、この考えのもとに職務に励まれるとむしろ褒めねばならぬという板挟みになる。


 こうなると基準自体を変えるしかないのだが、自らの手の届かない、高みというよりも深く暗い闇に対してどうすべきか何ら方法が思いつかなかった。


 しかし有意義な発見もあった。


 その発見は三か所目の谷村に行った時のこと。


 谷村はその名の通り谷あいにある。有田川の川岸から山に入り一つ二つ小さな山を越えると小さな盆地がある。そこに谷村があった。


 そこは、有田川に流れる小さな支流があり少しばかりの水田と畑がある特に小さな村といった印象だった。

 しかし谷あいとはいえ、水田を広げられそうな地もまだあったし、畑にできそうな場所もあった。人手が足らないのだろうか、そこは野原のようになっていた。


 さて、遠回りだが、改めて黒川殿から習ったことをおさらいしてみよう。検見法の核は代官の小検見、郡代の大検見だ。どちらの検見も毎年収穫時期に視察に行かねばならない。主要な課税作物は米であるから秋口になる。(畑の農作物なども課税されている)


 えっちらおっちら山を越えて谷村に辿り着いた時に、ふと思ったのだ。主要な川から遠く不便なところは米が多く作れず、住む人も少ないため必然と税収も少ない。


 ここで問題は視察のため赴く移動時間は不便な地ほど多くなることだ。それに対して、そこで得られる税収は少ない。視察でいくらか増加させたところで、たかが知れている。


 つまり実情は反比例になっている。かけるコストとリターンがあっていないのではないかと気が付いたのだ。これは自ら歩いた結果、痛感したのである。ただ、だからと言って視察に赴かなくするというのは無理があるだろう。黒川殿に相談してみるか。


 という事で、帰りに加茂村へ立ち寄り、黒川殿と相談しながら報告書の草案を作成することにしたのだ。


 加茂村に辿り着いたが、代官館には向かわない。

 外はまだ明るいから屋敷にはいないだろうと考え、俺は真っ先に村の水田地帯に足を向けたのだ。


 その考えは的中し、黒川殿は当然のように田圃の畦道にいた。


「黒川殿、数日ぶりにございます」

「これはこれは徳川様、真に足をお運び頂きありがたき次第」


「いえ、師へ挨拶に参るのは当然の事。とはいえ、挨拶以外に少々御相談したい事が……」

「……視察先で何かありましたかな。わかり申した。拙宅へ参りましょう。お二方ともお疲れでしょう。茶など高尚な物はありませぬが、冷えた井戸水で喉を潤しくだされ」


「それは何よりの褒美」

「かたじけない」


 水野と共に黒川殿の後について代官屋敷に戻った。



「それで相談というのは?」

 

冷えた井戸水を貰い、喉を潤し一息ついた様子を見た黒川殿が訪ねた。


「実は担当している村々を視察して気が付いたのですが、今の検見法は無駄が多く非効率なのでは無いかと」

「ふうむ……」


 あれ? 同意してくれると思っていたのだが。黒川殿は実務に長けているから、同じように苦労しているはずなのに。


「若様はそこが気になられたのでござるか。して、相談とは?」

「今の検見法は非効率です。検見法に代わる効率的な方法がないかご意見をいただきたいと考えておりました。」


「今の検見法は、太閤殿の検地により正確な石高を把握し、神君家康公が、それに基づいて検見法を導入なされたのでござる。これを変えるとは、先のお二方お肩を並ばれる所業。そのお覚悟ありや、なしや?」


「しかし非効率であることに変わりはありませぬ。私は若輩なれど変えて良くなるのであれば変えてゆくべきであると考えます」

「それについては、某も同感です。ただ某も異端児。その他の大方の人間は変えることに抵抗を覚えましょう。人々は変化を好まず、今ある日々を守りたいと考えるものです」


「それは間違っています!」

「確かに若君にとっては間違っているのでしょう。かくいう某も若い頃同じようにおもっておりましたからな」


「であれば……」

「お待ちくだされ。某は時間を経て理解したのでござる。幸せというのは人によってそれぞれ。正しさも同様。多くの人は不確定の将来より確定した明日を望みまする。そして人の世は一人では生きられませぬ。人が集まると集団の意志というものに変わり、それは多数派によって主導されまする。多数派とは、すなわち保守派。となれば若様のご意見は理解されぬでしょう。某も大いなる意思に流されてここに居りまする」


「では、どうしようもないという事でしょうか」

「某が考えるにまずは若様が偉くなる事、そして皆の信任を得て改革する事という流れでござる。言うは易し、行うは難し。某を見ての如く出世すらままならぬ」


「異端は出世は望めぬとでも?」

「それが世の真理でござる。己が信条を隠し出世して足場を固めた後、動き出せばいくらか可能性が見出せるかと」


「それはいつになるのですか?」

「それはわからぬ。数年、数十年先になるやも知れませぬ」


「それでは! 変わらぬも同じではないですか!今後もずっと非効率な作業を進めていくのですか!」

「力なき者は、それを受け入れるのみにござる」


「力がない……」


「しかし力とは己が体に備わるものだけではござらぬ。若様には殿やご家老様方へ伝手をお持ちではございませんかな。それも若様の力のうちにござる」

「父上への伝手が力か……」

「若、己が非力を嘆いていても変わりませぬ。黒川殿の助言に従い、殿か加納様へ上申してみてはいかがでしょうか」


「まずは行動か。やってみよう。黒川殿、草案の作成にご指導いただけませぬか?」

「承知仕った。微力を尽くしましょうぞ」

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