幼少期編 第八話

 紀州藩には、明確な職制が決められていて様々な役職がある。


 紀州藩の構成は藩主を頂点に家老衆が政治を司る。彼らが意思決定機関だ。附家老(家康により後見役として派遣された家老)は安藤家と水野家。家老衆は、江戸家老 三浦家、国家老 久野家、水野太郎作家、渡辺家、村上家、伊達家、戸田家、加納家、水野多門家、朝比奈家、岡野家となる。

 附家老の立場は本社からの出向社員。家老はグループ会社の役員。立場柄、附家老は徳川宗家の意向を尊重するし、家老は藩の事を優先する。話がややこしくなるのは必然といえば必然だ。


 最高職の家老を除くと、それ以下の役職は大きく分けて番方(武官)、役方(文官)、近侍役となる。

 

 番方は、武に関連する役職で、常備軍としての意味合いも持つ。職務としては大番組、書院番組など城の警護や藩主、要人の警護を主とする。


 役方は、行政に関連する役職で、いわゆる役人というやつだ。太平の治世では役方が花形となっていて出世を望むのであれば役方にと言われているくらいだ。

 ちなみに近侍役は特殊で藩主近習の武士が勤め、側用人、小姓などがある。俺についてくれいる水野も、以前は小姓だったので、この近侍役に分類されるだった。


 しかし不思議なもので、役職として人気なのは役方であるが、番方は一種のあこがれを持っている役職であるのも事実。


 というのも、世の中が変わっても世を治めるのは武士であることに変わりはない。時代が過ぎて平和な世になったとはいえ、武士が武士たるべき存在意義である武術を蔑ろにはできないのだ。今の時代に役に立つのか、というと怪しいところではあるが、武術が不得手なものは、下に見られる傾向にある。平和とはいえ武士は両刀を手挟むのが常識であり、刀が重いと細身の刀にしたりする風潮も役方にはあるが番方は頑として戦国の気風の残る打刀を帯びている。


 だからこそ、武術の秀でた者のみが付ける番方というのは、憧れとともに一種の後ろめたさも相まって、武士としての存在意義の上位に位置するものとして一定の配慮がされるのだ。


 徳川家は武士の棟梁であり、紀州藩は徳川家の直系の家柄として武術に特に力を入れている。剣術でいうと田宮流刀術(居合術を主にした剣術、通称 紀州田宮流、弓術では竹林派や吉田流が主流になっている。他にも、馬術、槍術、柔術、水藝(水泳)、砲術などなど多くの道場、教授方がいる。


 徳川の剣術といえば柳生新陰流か一刀流だが、なぜか紀州藩には柳生新陰流というのは無く不思議に思った。江戸は、柳生宗矩やぎゅう むねのりの流れで江戸柳生があり、同じく新藩の尾張藩には、柳生利厳やぎゅう としとしの流れの尾張柳生があるのだ。

 地理的に考えてみても柳生の本拠である柳生の庄から尾張藩までの距離と紀州藩までの距離さして変わらない。地理的な問題ではないはずと考えていたが結論は出なかった。


 ある時、側仕えの水野知成に聞いてみると

「藩祖頼宜様にも剣術指南役として柳生の者が派遣されたようなのですが、当時の指南役の意向で、柳生新陰流の流派を名乗るのは、はばかるとして柳生新陰の名を付けなかったそうです。ですので、紀州藩では、剣術の教えの中身が柳生新陰流だとしても、流派の名には、教授方の名を付けるのが一般的となりました」という事のらしい。


 俺には、なぜ柳生を名乗るのが憚るのかよくわからなかった。想像にはなってしまうが、おそらく柳生の血筋ではない高弟であったとか、指南役自身が柳生新陰流を極めたと思っておらず、柳生を名乗る気になれないといったところではないだろうか。



 俺は、父上が参勤交代で江戸に戻るまでの一年間、主要な役職を順繰り回り経験を積むことになった。

 やはり担当する役職は役方ばかりであり、勘定奉行や郡代などの税や会計にかかわるもの、紀州藩の特産でもある材木を監督する材木奉行、武具や備品などの管理や差配を行う納戸方、鉄砲玉薬奉行などが候補になっている。


 俺としては一日座って書面とにらめっこは性に合わないので、郡代として領地を歩き回ったり、信長公や秀吉公など名だたる武将たちに所縁のある武具に触れられる納戸方が楽しみである。


 もちろん合間を縫って剣術、弓術、馬術などの武芸諸般もやっていかねばならない。

 部屋に帰っては寝るばかりの生活になりそうだ。

 いかん、日記もつけねばならぬし、書物も読まねばならぬのに。

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