幼少期編 第七話
「騒がしいと思い来てみれば、見知らぬ男どもを連れ込んで……」
その言葉にカチンときて、その女が話すのを遮って、否定する。
「私は! 藩主貞光が四子 徳川新之助です! 母上が連れ込んだのではなく、私から母上に会いに来たのです!」
「家老の水野知義が庶子 水野知成と申します」
「はて、殿のお子が城に登られるとは聞いていたが、この御殿の奥を取り仕切る妾に挨拶にも来ておらぬ。もしや、そこの女を先にして妾を後回しにするつもりだったのかえ?」
母上は大層申し訳なさそうに、高慢ちきな女に低頭して謝罪する。
「申し訳ございませぬ。お萩の方様。私も今の今、私の息子だと聞いたのです」
「口答えするでない! ほんに母が母なら子も子だえ。親子そろって物の道理も弁えぬ。殿のお子として奥に立ち入るのであれば、嫡子を生んだ妾に先に挨拶するのが筋だとは知らぬのか?これだから下賤な生まれは好かぬ」
下賤だと! 俺にとって大切な母上を馬鹿にするのは許せない。それに顔も知れず何年も思い描いた母と会える機会。一番に優先して何が悪い。
「道理は弁えております! しかし生まれて初めて母上に会える機会を得たのです! 今日くらい良いではありませぬか!」
その女は、俺の暴言に少しのけぞるような仕草をした後、それをバネにするかのように激しく言い返してきた。
「何が良いものか!! 武士の子であれば自分の感情を押し殺し、筋目を立ててこそ武士といえるのです! それともどこの馬の骨ともわからぬ女の子供では、武士の血はどこへやら行ってしまったかの」
俺はカッとなり立ち上がり高慢な女へ近づく。
「黙れ! 何度も何度も母上を侮辱するのは許しませぬ!」
お萩の方は、子供とはいえ尋常でない顔つきで近づく俺に恐怖を感じたようで、少し後ずさった。
「おお怖い、乱暴ものだが賢いと聞いていたがただの乱暴者のようだの。挨拶に来れば屋敷に住まう事を目こぼししてやろうと思っておったが、ここまで物の道理を弁えず粗野な小僧であったとは」
確かに道理としては先に挨拶に行くべきだった。水野もそのように諫言してくれていた。しかしやっと会えた母なのだ。真っ先に来て何が悪い。
母上の生まれを侮辱されたのもあり、正論だとは思いながらも承服できず反発してしまった。
「妾は鎌倉の治世よりこの地を任されし湯浅の血筋。殿もこの紀州を恙なく治めるため、妾を側室に迎えたのじゃ。さらに言えば嫡男 綱教の生母。正室も同然の第一夫人ぞよ。それを挨拶もせず、妾を蔑ろにするだけでなく、暴力をふるおうとするなど浅ましいにもほどがある! いつかこの地から追い出してくれよう!」
そう言い残すと、お萩の方は部屋から出ていった。
そして部屋に残ったのは何とも言えぬ重苦しい雰囲気だった。せっかくの母上との対面だったのに。母上の様子が気になったので振り返ってみると、これ以上ないというくらい頭を下げたまま微かに震えていた。
水野は茫然としたまま口をパクパクとさせている。今にして思えば、怒りに任せた俺を止めてくれても良かったのではと思わぬでもなかったが、水野も10歳。さすがにあの状況で上手く取りなすなど期待するのは酷であろう。
この出来事があってからというもの屋敷での暮らしぶりに影を落としたのは言うまでもないことだった。
◇◇◇
「お方様、いかがなされましたか?」
「おお、須磨殿(三男 長七の生母)か。先ほどあの女の部屋が騒がしいと聞いたので今日登城すると聞いていた、あやつの子が来ているのだろうと当たりをつけてな。嫌味でも行ってやろうかと向かったのじゃが、案の定、そこに四男の源六がおったのじゃ。今は新之助と名乗っているそうじゃがな」
「お方様自らお会いに向かわれたのですか」
「そうじゃ挨拶にも来ぬからこちらから出向いてやったわ」
「嫡男であらせられる綱教様のご生母様に挨拶に来ないなど、どれだけ非常識なのでありましょうや」
「うむ、妾の次は、長幼の序からすれば三兄の母である
「…………」
「すまん、長七殿は部屋住みとは言え親藩 紀州藩の第二継承順位者じゃ。殿はきっと分家として家を立ててくれるじゃろ。さすれば立派な大名じゃ」
「はい、私もそうなることを願っております。」
「まったく、母の身分を楯に追い出したのに、忌々しくも戻ってきおった。あの下賤な女が殿の寵を得るだけでも腹立たしかったのに、その子まで同じ館に住むことになるとは。館どころか、この地より叩き出してやらねば気が済まぬ!」
「お方様、いま少しの辛抱です。何でも、新之助殿は江戸藩邸詰めになるとのこと。お方様が手を下されなくとも勝手に出ていきます」
「それでは妾の気が済まぬわ! いずれ目にもの見せてやる……」
◇◇◇
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