幼少期編 第二話
日吉と屋敷に戻ると、いつも養父上と面談する私室ではなく、上位者を迎える最上級の客間に通された。
日ごろにない対応を見るに養父上より身分の高い人間が来ているのではと思った。そんな人物など片手で数えるくらいしかいない。
つまり城から使者が来ているのではという考えに至り、日ごろの態度を改め礼儀作法通りに声をかける。
「加納源六、お呼びにより
「お入りなさい」
養父上は普段と違い随分と丁寧に返事を返してきた。いくら藩主の子としての生まれとはいえ、日ごろは、一般的な父親というような感じで接してきていた。滅多に会わない分、普通の父親より緊張感は多分に含んでいたが。
「? 失礼いたしまする」
襖を開け、目線を上げぬよう中腰で下座へと進む。
しかし養父が下座の中央に座してこちらを振り返っている。
二人で使者からのお言葉を頂戴するならば、養父は左にずれて座っているはずである。が、中央に座られているため俺の場所がない。
そして上座にはまだ誰もいなかった。
家老職にある養父がこのような失策をするとは考えにくい。そもそも部屋に入る許しを得るのに敬語だった。
どちらもあり得ないことだ。不審に思い、少し目線を上げると上座に誰もいない。
「
一瞬、戸惑いつつ、あらかたの事情を察したため、養父の言葉に従う。
「先ほど殿より直々にお言葉を頂いてまいった。源六様におかれましては、城へお戻りになり、徳川の姓を名乗り兄君たちを補佐するようにとのことでした」
驚きのあまり、俺は何も言葉を発することはできない。上意のお言葉を頂戴している最中は言葉を挟むことは許されないから作法でいえば正しい行いではあったのだが。
こちらを気にすることは無く、さらに養父は続けようとする。しかし、口籠るような話しにくそうに逡巡するような仕草をしている。俺の態度を気にするというよりも何か、さらに重要な事を告げようとしているようだ。
「驚きなさいますな。実は某は源六様の実の父ではないのです」
うん、それは知っていた。なんだそれの事だったのか。もっと、とんでもない話が出てくるのかと身構えてしまったよ。徳川姓に戻るって話も充分とんでもない話なんだけどさ。
「突然のお話で、さぞや驚きであると推察いたしますが、源六様の御父君は紀州藩主 徳川光貞様なのです」
うん、それも知っている。
むしろ俺が固まっているのは何で今更、こんなことを言い出したのかという事。
俺の悪い評判は城へ伝わっているのは間違いない。暴れん坊と評されていることは加納屋敷はもちろんの事、城下でも知らない者がいないくらいなんだから。
家に居つかず近所の悪ガキどもとつるみ喧嘩に明け暮れる日々を過ごしていた。身内とも言える加納屋敷にしたって、雇い主の子供が透明人間のような扱いを受けているのだ。赤の他人である他の藩士からすれば、あえて俺を城に向かい入れる理由がないだろう。そんな事をすれば紀州藩の評判を落とすだけだ。
それでも俺を迎え入れる理由ってなんだろうか。頭の中で色々と理由を考えるがこれといった理由が思いつかない。
思考の海に
「なぜ急に私が呼び出されれたのですか?」
「二番目の兄君である次郎吉様がお隠れになられ申した(亡くなった)」
「なんと……」
さすがにそれは予想外だった。
会ったこともない兄君達だが三人いるのは知っていた。さらに言うとみんな母親が違うから接点はなかった。というより生まれてすぐ捨てられてしまったから、接点など持ちようがなかっただけなんだ。
全く関係のない世界の人物だったので、好きも嫌いも特に感じたことはなかったが、兄弟が多かったおかげで、こうして好き勝手暮らしてこれたのだから悪い感情はない。
そもそもでいうと血のつながった父にすら親近感を持てていない。
でも母上には会いたいと思ったことは数えきれないくらいある。どんな顔をしているのだろうかとか、どんな声をしているのだろうかとか街を歩いて大人の女性を見ると、こんな感じかなとか考えてしまうのだ。
おっと、話がそれてしまったな。
ちなみに長兄は長福丸、次兄は次郎吉、三兄が長七という。
「なぜ次郎吉兄がお隠れになられたのですか?」
「はっきりとは知らされておりませぬが、侍医によると病とのこと」
「今回の呼び出しは次郎吉兄のご葬儀に参列するだけではないのですね?」
「
今もひどい暮らしだが、それより碌でもない生活が待っている気がしてならない。少なくとも今のように気ままに暮らせた方が性に合っている気がするのだが、断れる話じゃないんだろうなってわかってしまう。だから返事は諾だ。
「かしこまりました。謹んでお受けいたします」
本当は謹んでなんて受けたくない。
むしろ聞かなかったことにして屋敷から飛び出したかった。
むろん、加納屋敷を飛び出したら、そのまま二度と屋敷へ帰る気はない。
金がなくとも、商家の小僧にでもなれば食うにも困らない。
悪ガキ仲間には商家の三男坊もいたのでどういった世界かは知っている。
いくらか時間はかかるかもしれないが、俺なら暖簾分けで店を持てるだろう、そのくらいの知恵はあるはずだ。
しかし、自分は武士だ。
そして徳川は武士の棟梁だ。
その徳川の血を引く以上、避けては通れぬ道、受け入れるしかなかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます