第4話

 「父さん!?無茶言うなよ」

 「悪いな…一生のお願いだ」

 「…それって大体また使うやつじゃね?」


 焦げ臭い煙の匂いと生々しい血の匂いがその場を漂う。路面は崩れており、歩きにくい。死体を退けながら少しずつ進む。


 如何にも戦場に相応しい光景だった。


 しかし先程の爆発音や銃撃の音はもう聞こえない。雅黒が歩く砂利の音と会話だけがやけに響いた。泥々とした戦場とは対照的に話している会話は軽い。


 それは丁度帰ろうとしていた時だった。いきなり父から電話が掛かった。雅黒の仕事中に電話を掛けてくるのは本当に珍しい。緊急度の高い場合か余程何かあった場合のみだ。急いでその電話をとると、意外にも父の声は穏やかだった。


 「どうした?」

 「…今からアジトとは逆方向の廃工場に来る事は出来るか?」

 「は?」


 唐突に要件だけ言われた。理由を聞いても曖昧に誤魔化すばかりで答える気は無さそうだ。その後、一生のお願い、と言われたがそれは聞き慣れた嘘なのであまり信じない。だが、父の頼みを聞いてやりたいというのも事実だった。


 組織の中で、独断で動く事は許されない。本来なら目的が無ければ、組織の命令が無ければ、行かないし、行けない。が、雅黒は組織にバレなければいい、とも考えていた。


 「何処の廃工場?いつ着ければいいの?」

 「逆方向に廃工場は一つしかない。しかも真っ直ぐいけば辿り着く。そうだな、一時間後に会おう」

 「相当歩くじゃねえか…」


 そろそろ戦場にいる組織の人間も動き出す頃だろう。GPSが付いているかもしれない通信機器は捨てて、軽く荷物をまとめた後、バレる前になるべく早くと此処から抜け出した。


 真っ直ぐいけばすぐ着く、と言われたが外が暗すぎて見慣れてない場所だと直ぐに迷子になっていただろうと思う。廃工場が見つかるか心配したが、そもそも建物が少なすぎて偶に見かけるとよく目立つ。確かにこれなら直ぐ分かりそうだった。逆に目印が少ない為戻れるかに関しては自信がなかった。


 …足痛ぇ…。


 十時間にも及ぶ戦闘、しかも今も歩き続けているとなると体が疲れを訴えてくる。幾ら鍛えられた人間だって怪我と疲労は違うのだ。もう歩けないと思った時に廃工場らしき建物を見つけた。


 「おー…雅黒来たか…ってお前大丈夫か?」

 「ちょっと待って、死ぬ。座りたい」

 「椅子ならこっちにあるぞ。急に呼び出して悪かったな」


 素直に謝られたら何も言えない。雅黒は大袈裟に溜息をついて平気、と返した。座って少し休憩してから話に入った。


 それは本当に唐突だった。


 「疲れてるみたいだし単刀直入に言おう。雅黒は人を殺したくて暗殺をやっているのか?」


 一瞬、何を聞かれたか分からなかった。


 「…違う」

 父さんはこっちの瞳を瞬きすらもせずにじっと見つめる。その黒い瞳に全てを見透かされてるような気分になった。きっと、嘘をついても直ぐに父には分かってしまう。


 「そうか。じゃあ、二つ目の質問だ。世界平和を望んでいるか」

 「うん」

 こっちは思わずさらりと出た。考えるふりをしてから答えれば良かったと少し思った。何が目的で聞いているか分からない手前、あまり本心は出したくなかった。


 「組織の…」

 「…これ何の質問?」

 「悪いな、もうちょい待ってくれー」

 ここまで来てまだ答える気が無いのかと不貞腐れる。一体何が聞きたいのか。


 「組織のいう世界平和が正しいと思うか?」

 「――――!?」

 固まる。止まる。停止する。静する。詰まる。乾く。


 ―正しい。

 そう言えばいい、のに言えない。喉の手前までその言葉が這い出て、なのに詰まったようにそう発する事が出来ない。


 ―正しくない。

 そう思いたくは無い。その言葉は自分の全てを否定する事になる。


 正しいと思うか?正しい。それは違うのだろうか?そんな筈は無い。でも態々そんな事を聞くと言うことは―


 分からない。よって沈黙を保った。

 静まり返る。それは長い長い時間だった。戦闘の時よりも緊張が強くなる。

 先に沈黙を破ったのは父だった。


 「良かった」


 何が、と聞こうとして、声が出なかった。喉が乾ついて、口を動かすも音にならなかった。


 「雅黒にはな、未来があるんだよ」


 突然何を言い出すのか。


 「真実を知る権利があるんだよ」


 まるでこの世界が偽物かの様に。


 「自分の意思で自分の描きたい人生を歩んで欲しいんだ」


 何を言ってるの?


 「だから、雅黒の『父』として、最後に送りたかった。きっと雅黒にとっては残酷だと思う。知りたく無いと思う。それでも、生きて、手に入れて欲しいんだ」


 震えた声は、言葉になった。


 「…何を」

「自由」


 間髪入れずに父さんは言う。


 「その為なら、全てを掛けられる」

 「…何だよその言い方」


 まるで最後のように。


 「自分でもこれはエゴだと理解わかってる」

 自分は何も分からない。


 「それでも、ごめんな」
















 唐突な謝罪と共に手刀が首を目掛けて降ってきた。当たるか当たらないかの擦れ擦れで躱す。雅黒の背から冷や汗が流れた。


 「何す―」

 今度は口の中に何か入れられた。薬だと分かった瞬間、近くに置いてあったティーカップのお茶を無理矢理口に注がれる。反対の方向を向いて父を突き飛ばし、口の中の薬を吐く。咳き込む音と、カップが割れる音だけが響いた。

 

 「っ―――――――!」


 首に微かな痛みを感じるといきなり視界がグラついた。後ろを振り向くと父は手に注射器を持っていた。


 父さんが自分に危害を加えるとは思えない。恐らくそれは毒では無く、ただの麻酔薬が入った物だろう。


 しかし、雅黒はその事を心配しているのでは無い。


 …今眠ったら…父さんは………。


 心理と理性が真逆の動きをする。


 遠ざかる音と意識に涙を流した。













 「雅黒…」

 父親はゆっくり雅黒の頭を撫でる。少年は規則正しい寝息をしていた。


 ずっとこのままで良いのか考えていた。雅黒にはもっと平穏な場所で、誰かに支配される事無く、"普通"の日々を送って欲しかった。


 でも雅黒と離れたく無いという心がそれに邪魔をする。頼って貰えた事が、父親として大切に思ってくれた事が純粋に嬉しかった。


 これでだ―。


 きっと、雅黒はこれから自分が何をするか分からないなりに分かったのであろう。


 世界の何処かでは命が生まれ、世界の何処かでは命を落とす。


 幸せは創る事が出来るように、壊す事も出来る。


 幸せだと気づけないまま、嘆くがいる。


 不幸だと気づかないまま過ごす人がいる。


 人の価値は既に決まっていて、数字が全てとされている。


 当たり前の事が出来ないと苦しむ人がいる。

 

 才能が無いと感じる人がいる。


 才能はランク付けされて一番になれない事を知る。


 人はいつも些細な事で死にたくなる。


 人は自分の感情で殺したくなる。


 


 それでも、生きている。










 それでも、生きている。













 「雅黒、流音、愛華…どうか、生きて」


 男の頬から一筋の涙がつたった。

 


 


 

 


 


 




 

 


 

 

 


 


 

 

 


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