第1話
漆黒、という言葉がこれ程似合う時間帯は無い。街の電気は消され、電車が止まり、月明かりさえも青白くぼやけ、今にも消えかけようとするこの時間。
それは午前2時という丑三つ時に相応しい、恐ろしくも神秘的な時間。
そして、その時間帯こそが少年の一番の活動時間であった。誰もが眠りにつき、風の音すらも聞こえない空間に一人の少年と男がいる。
少年が息を殺すかのように密かに呼吸するのに対し、目の前で横たわる男からは全く呼吸音が聞こえない。ただ目を見開いたまま固まっている。まだ温かく、血色も青白い程度で、月明かりの反射が男の顔を照らしているせいで顔色が悪いともとれる。
だが、その男の顔からは絶対生身の人間が生きているには有り得ない量の赤黒い血が眉間から流れ出ている。
少年はゆっくりと顔をあげる。手には一本のナイフが握られていた。少年が着けている手袋にもナイフにもベッタリと血や肉片、脳味噌の欠片がついている為、恐らく凶器はそれで、殺害した人物は彼だと言えるだろう。
全身真っ黒の服装、完璧な手捌き、一ミリも変わらない表情に、その場の衝動で人を刺したのでは無く、明らかに人を殺すのに手慣れた人物だといえる。
彼こそが
「選ばれし子供達」の一人だが、拉致されたのは3歳の頃の話なので、どこの国で、その時何があったか、本人はほとんど分からない。
「今日は微妙だな。いつもならもっと早く動けるはずなんだが…」
少年は軽く溜息をつき、呟く。そういう少年の手にはもう血がついていなかった。一瞬、といって良いほどの速さで死体や証拠を片付けていく。彼は正確さとスピードが大きな武器となっている。正確に急所に当てることで騒ぎになるのを防ぎ、後始末も軽くする。スピードを出すことで相手に気づかれにくくし、血が飛び散るのを防ぐ。少年は暗殺者として最も必要な逸材であった。
(―早くこの場から去らないと)
少年は窓から飛び降りる。四階といえど彼にとっては対したことが無い高さだった。クルリと回転した後にそのまま音を立てずに着地し、駆けていった。
―少しずつ、重かった空気が、止まっていた時間が、深い暗みのある夜が、また着々と明けていく。こうして「今日」が始まっていく
「雅黒、おかえり」
「…父さん、待ってたの」
少年―北宮雅黒は驚いた様に、玄関の柱にもたれ掛かる男性に問う。組織のアジトに到着したのは朝の四時。夜は明けてきたとはいえ、十分早い時間だ。
父さん、と呼ばれた男性は少し困った様に笑う。
「当たり前だろう。まだ十二歳の男の子を夜中に放っておいて寝られるか。今日は確か例の政治家を暗殺をしたんだろう?怪我は無いか?大丈夫か?」
「…別に皆もそうだろ。ほぼ夜中に仕事してんじゃん。ていうか、暗殺なんて毎日してる事だろ。今更怪我なんてへまはしないさ」
そもそも、十二歳なんて大人と同じ扱いである。まだ十二歳、という発想の方が雅黒にとって違和感をおぼえた。
いや、確かに此処はそうなんだが…と不思議な事を父はボヤく。父さんは昔からそうだった。
雅黒が暗殺業をやるのも最後まで渋って嫌がっていたのも父さんだ。
―組織の命令に逆らえるわけ無いのに。
ずっとそう思っていたが、必死に組織に説得している父を見るとそんなことを言う気になれなかった。最終的にはやはり暗殺業に就く事になったが、それでも辛いと思わなかったのは父のお陰だったと思う。父さんとは血縁上繋がっていない事は雅黒でも知っている。けれども、血縁以上の関係で、何かあれば必ず助けてくれる、自分を理解し味方でいてくれる、という何か絶対的な信頼があった。
「雅黒、ごめんな」
「何が?」
そんな事を考えていた瞬間に、急に父さんに謝られた。しかし父さんは答えること無くただじっと前を向いている。誰かに向けて言ったわけではないのかもしれないと雅黒もすぐに意識を背けた。密かな謝罪は風に、空気に、溶けていった。
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