〈五〉

「……ということがあって、今では退魔師と呼ばれるエリートを統括する組織〝祓魔庁〟が設立され、国内で発生する霊的な超常現象による被害は最小限に抑えられるようになったってわけだ。

 妖魔に関する事件の大凡おおよそは、祓魔庁に所属する退魔師たちの尽力によって解決されている。彼らの主な仕事は、妖魔の管理と駆除。警察や軍隊の手に負えない化け物を陰陽術で祓ったり、害のない妖魔を保護したりと、退魔師の仕事の八割は、凡人には観測できない妖魔に関係する。

 自慢じゃないが、先生も退魔師の知り合いがいてな。夕飯奢ってもらったこともある。陰陽術ってのは見せてくれなかったけど、この人は別世界の住人なんだってことは何となくわかった。生きてる世界というか、見ている世界が違うんだ、彼らは」


 正午の教室。

 日本史の担当教員は教壇に立ち、停滞することなく授業を展開している。昼食の直前で居眠りにふける生徒は視界に入っておらず、時折チョークが素早く走る音だけが軽快に鳴り響く。


 黙々と板書をノートに写す紫暮しぐれ夕火ゆうひは動かしていた手を不意に止めて、隣の席に視線を合わせた。

 うつ伏せの状態で惰眠する男子生徒がいる。

 手にはしっかりとペンが握られているが、円錐の先端が天井を向いており、そのままピクリとも動かない。

 夕火は彼の脇腹をペン尻で何度もつつく。反応は無い。正常に息をしているかも怪しい爆睡の域である。

 このままでは埒が明かないと踏んだ夕火は頃合いを見計らって、出来る限り身体を寄せて、授業の妨げにならない程度の音量で私語を囁いた。


「朝倉くん。今日は朝倉くんが当てられる番でしょ。起きていないとまた怒られちゃうわ」


 返事はなかった。

 意識は深い夢の中に転がっているようだ。


「平安時代、そして、昭和に起こった超常的災害の代名詞とも言える、人的被害想定値における記録的なフェーズ8〝百鬼夜行〟が現代では御伽噺おとぎばなしのように言い伝えられてるのも時代ってやつだな。

 先生も子供の頃にお婆ちゃんから聞いた話でしか知らないが、東京はすごかったらしいぞ。ほとんど戦争だったらしい。空を埋め尽くす妖怪の群れが誰の目にも見えるようになって、火の玉とか、式神とかが戦闘機と一緒に飛んでるんだって」

「今朝も先生にホームルームでこっぴどく叱られたばっかりじゃない。きっとまだプンプンよ。少しでも真面目にしておかないと、またいつもの……ダメねこれ」


 肩を激しく揺さぶっていると、がっちりと組まれた腕の中から居眠りを堪能する阿呆面あほづらが発掘されてしまった。憎たらしいほどに幸せそうな寝顔であった。

 夕火は彼を起こすのも何だか悪いような気がしてきて、何もできなくなった。


「じゃあ、今日答えてもらうのは一周回って、出席番号1番の……朝倉だな。朝倉かあ」


 まるで、クジ引きでハズレを引き当ててしまったような声色の変化に、忍ぶような笑声が教室で聴こえ始める。


「まあいい。朝倉信乃。前回学んだ平安朝での百鬼夜行。その首謀者の名前は覚えているか? もちろん人間じゃないぞ。妖魔だぞ。それも鬼だ。覚えていないか? あの時は参加してたよな?」


 返答が無いまま、教室が静寂に包まれる。

 生徒たちの哀れみを含んだ視線が朝倉信乃の眠る窓際の席に次々と集まっていく。

 隣で夕火は苦笑した。これから何が起こるか、容易に想像できる。

 日本史の担当教員は無言で青筋を立てる。大股の足取りで彼の席へと近づいた。


「朝倉。授業中にまたまた居眠りとはいい度胸だな」


 真横に立たれても無反応を貫く彼を夢の世界から解き放つべく、教員は教科書を高々と振り上げた。


「少しは更生しろ、朝倉ァーッ!」


 鈍器となった日本史の教科書が、信乃の脳天に炸裂した。



 ◇◇◇



いてえ」


 ガヤガヤとした昼食休みの教室。

 気怠いだけの座学とは違い、生徒が自由に羽を伸ばせる至福の休み時間であるにもかかわらず、俺の心境は穏やかではなかった。

 先の授業で、日本史の教科書によって叩かれた頭がヒリヒリと痛むのだ。これが漫画なら、お餅みたいなタンコブがふっくらと出来上がっているだろう。人の頭を何だと思っていやがるんだ。モグラ叩きの練習台じゃねえんだぞ。せめて、百円玉供えてからやれ。


「寝てただけだろ。授業の邪魔してねえだろ。引っぱたく必要なんざどこにもねえだろ。ただでさえ少ねえ脳細胞の皆さまが絶滅危惧種の仲間入りしちまうだろうが。バカの頭はもっと丁重に扱えよな」


 ブツブツと不服を述べながらオニギリを齧っていると、クラスメイトである嶋野しまの克平かっぺい一ノ瀬いちのせりくの二人から「やれやれ」という感じの失笑を浴びせられた。

 俺を含めた三人は教室の隅っこの一角を陣取り、くだらない談笑を交わしながら昼飯を食べるのが日課である。今日も例に漏れず、むさい男三人で一つの机を囲んでいた。


「自業自得だな」


 スポーツ刈りの頭髪と男らしい太めの眉毛を持つ、野球部の若きホープこと嶋野克平は焼きそばパンを両頬に含みながら言った。行儀の悪い男である。そんなんだから、女子にモテないのだと辛辣な事実を突きつけてやりたいが、恐らくはブーメランとして我が身にも返ってきそうなので、聡明な判断ができる俺は口をつぐんだ。

 ごっくんと口の中にあるものを呑み込み、嶋野は話を続ける。


「寝てて怒られんのは当たり前だろ、この居眠り常習犯め。つーか、他校の連中とモメたことについて、こっぴどくドヤされた後だってのに、能天気に昼寝をブチかますお前が悪いっての。まったく、お前の頭には脳味噌の代わりに筋肉が詰まってんのか?」


 冷静に正論を並べられた。

 俺は苦し紛れに言い訳を口にする。


「いや、ありゃ誤解だ。なんかイキッた野郎どもがコンビニでうるさくたむろってたもんでよ。邪魔だったんで〝そこを通りたいので、どいてください〟って、腰を低ーくして、お願いしたら、そこから変な因縁つけられてよお……!

 完全に被害者だぜ? 罪なき者だぜ? 悲劇の主人公だぜ、俺はよお!」

「腰なんか低くしてねえだろ。どうせ〝どけ〟の一言だったろ」

「違え〝どけクソ〟だ」

「ニアピンじゃねぇか。しかも悪化しとるがな」

「はいはい。過程がどうあれ、手を出した時点で同罪だよ」


 中学生と誤認されるほどの童顔に加えて、低身長という二重苦を背負った吹奏楽部のマスコットこと一ノ瀬六は真っ当とおぼしき意見を論じた。こいつは一見真面目そうな風貌を装っているが、俺や嶋野とつるんでいる事実から性格はお察しの通りである。

 一ノ瀬はサンドウィッチを丁寧に噛み砕いて、ゆっくりと嚥下してから、いつものニッコリとした爽涼な笑顔を向けた。


「それにさ。信乃のことだから、どうせ、ほとんど一方的だったんでしょ?」

「一方的じゃねえ。一発か二発ぐらい殴られた」

「相手の顔、どう森の蜂に刺された時みたいになってるらしいよ」

「なにそれおもろ。写真とかねえの?」

「悪魔かコイツ? 道徳ドブに捨てたか?」


 ドン引きする嶋野と何故か笑う一ノ瀬。この二人は俺のことを外来種の珍獣か何かだと思っている節があるので、友人とはいえ要注意である。


「とにかく、ぶつくさ言ったって、寝ていた信乃が全面的に悪いことには変わりないからね。紫暮さんが起こそうとしてくれてたのに、無視してぐっすりしちゃってさ。文句言える義理じゃないよ」


 一ノ瀬の冷ややかに責め立てるような指摘に、俺は異議を唱える気にはならなかった。

 椅子を引いて、大きく顔を逸らし、教室の一帯を見渡すように視線を左右に動かす。若々しい喧騒に包まれている開放的な教室内では、いくつもの集団が形成されている。気の合う仲間と昼飯を食べるという至って普通の行為が、他人の交友関係を紐解く安易な要因になってしまうのだから、世の中は怖いものである。

 とくに彼女はわかりやすい。

 昨今ではスクールカーストと言うのだろうか。俺はあまりそういう学校生活における地位的な差を感じたことはないが、仮にあるとすれば、教室の真ん中につどい、一際大きな声で会話している女子生徒のグループは間違いなく上位に位置するだろう。和気藹々と談笑に盛り上がるその女子の輪に、中心を定めるとすれば、それは愛想よく相槌を打つ黒髪の生徒に当てられるだろう。

 古風な貴族めいた濡羽色の長髪。大きな瞳と小さな口元。背筋が伸びた優雅な黒猫を彷彿とさせる美麗な容貌は、言わずもがな男子から大好評である。

 クラスメイトの話に耳を傾け、時折ウンウンと頷き、時にはクスクスと品性を損なわない笑い方で場を和やかにしていた彼女は、ふと俺の寄越した目線に気がつくと、淑やかに微笑みながら、こっそり小さく手を振ってきた。


 紫暮夕火。

 彼女は清楚系美少女だろう。

 男女問わず、学年問わず、羨望の眼を集めている彼女は大和撫子を体現したような近寄りがたい美貌とは裏腹に、誰であろうと隔たりなく接する気さくな性格をしている。そのため、勘違いする男子が後を絶たないらしいが、浮いた話や悪い噂もなく、猫のように飄々と気高く、学校の人気者という立場を確立している。

 この前の学校新聞に記載された『付き合いたいランキング』の総合部門で堂々の一位だったのも記憶に新しい。彼女自身はあまり興味が無さそうではあったが。

 内も外もよくできた我が校のアイドルこと紫暮夕火。誰もが羨むであろう彼女の隣の席に座っているのが、残念なことに、我が校の問題児であった。つまり、俺である。


「羨ましいなぁ。紫暮さんに起こしてもらえるの」


 一ノ瀬は気持ち悪いことを平然と口にする。

 俺が無言で嫌悪感を示していると、横で嶋野が手を合わせて、謎のお祈りを捧げ始めた。


「おお。神よ、なぜこんなチンピラゴリラにお恵みをお与えになったのですか!? こいつに学校のアイドルの隣はもったないです! 席替えを所望します、今すぐに!」

「誰がチンピラゴリラだ」

「なんでもかんでも力づくで解決すればいいみたいな考え方してるからだよ」

「してねえよ」

「してなかったら、もっと静かに暮らせていると思うんだけど。少なくとも、今よりはね」


 哀みの情緒が介在しない手厳しい一撃を食らった俺は「ぐぬぬぬ」と、震える拳を膝の上で握ることしかできなかった。牛乳パックに刺さったストローを咥え、不機嫌そうな顔を作って、そっぽを向き、必死の抵抗を図る。

 しかし、愉快に笑う一ノ瀬は、誰も興味がない俺の事を勝手にペラペラと話し始めるのだから、たまったもんじゃない。


「成績はお世辞にも良いとは言えず、下から数えた方が格段に早いレベル。全体的に評判は悪いし、普段の素行もダメダメ。いつも顔がムスッとしていて、体格もそこそこあるから、信乃はかーなーり怖い人に見えるよ。中身は残念なのにね。

 部活の先輩たちも怖がってたよ。朝倉はいつか一人ぐらいるんじゃないかって。少しは自分を見直した方がイイんじゃない?」

「うっせ。ほっとけ」

「まずは小さなことから始めよう。ほら、一回笑ってみて。イメージアップさ。にこーって」

「にこー」

「うわあぁ。闇金の借金取りって、こんな顔してるんだろうなぁ」

「ドラム缶に詰められてえのか」


 一ノ瀬の甘ったるい顔面を一発ぶん殴ってやろうかと思った。我慢した俺はえらい。次世代のガンジーとは俺のことである。


「つーか、俺は別に自分を変えたいとは思ってねえよ」

「チンピラゴリラでいいの?」

「チンピラでもゴリラでもねえつってんだろうが。樹海に人知れず埋めるぞゴラ」

「ははは。じゃあそういうことにしておこう」

「テメーは近いうちに必ずシメるからな。チッ。解せねえ」


 飲み干した牛乳パックを意味もなくズーズーと鳴らしていると、


「なあーにが解せないだ」


 焼きそばパンを平らげた嶋野が、学生鞄からファッション雑誌を取り出して、俺の机に見せつけるように叩きつけた。


「コイツがあの大日女おおひめ暈音かさねの幼馴染ってのがこの世でいッちばん解せねぇよ!」

「あ。今月は〝かさね姫〟が表紙なんだ」


 その名前を耳にして、元から低かったテンションがさらに急降下する。これが株価と連動していたら世界恐慌の再来である。


「つまんねえモン見せんな」

「いいや、見せるね! それがかさね姫の幼馴染って大役を仰せつかったお前に与えられた宿命だかんな!」

「意味わからん」


 若い世代を中心に圧倒的な人気を博しているファッション雑誌『十二単衣じゅうにひとえ』の表紙には、大人びた夏服とロングスカートを着こなした小柄な体格の少女が一面を飾っていた。あどけなさと大人びた色気。相反する美貌を兼ねそろえた絶世の美少女の髪はどこまでも白い。

 この反則みたいな顔面を見間違えるはずもない。彼女こそ〝かさね姫〟という愛称で親しまれている天才カリスマモデルこと大日女暈音であり、認めたくはないが、俺の幼馴染その人であった。

 彼女と幼馴染であった過去を嶋野と一ノ瀬に暴露してしまったのは完全に失態であった。いつものように雑誌を広げて、誰がかわいいだ、どれが好みだとか、くだらない会話を続ける二人を無視して、居眠りを堪能していると「かさね姫はイタリアンとかフランス料理好きそうだよな」と聞こえてきたので、つい寝ぼけた頭で「アイツの好物はこってこての炒飯だぞ」と反射的に返してしまったのが運の尽きだった。我ながら莫迦ばかだと思う。

 面倒な奴等にバレてしまったものだ。もはや、何の意味も持たない後悔の念を抱きながら、心底やる気のない声色で答える。


「幼馴染つっても、四年ぐらい会ってねえぞ。疎遠だぜ。疎遠」


 まさに、くだんの本人が数時間後にはこの田舎町に舞い戻って、あろうことか、我が家に宿泊していく予定があるのだが、その情報については口が裂けても二人には話すまい。面倒くさいことになるに決まってる。

 内心ドキドキしていると嶋野は半ば発狂した様子で掴みかかってきた。目は血走っている。怖えよ。


「たとえ! そうだとしても! 幼馴染ってだけで羨ましいことこの上なしなんだよ! なんで冴えないヤンキーみてぇなお前がそんな美味しい役を貰ってんだよ⁉︎ 不平等だぜ! 不公平だぜ!」

「知るか。俺だって好きで幼馴染になったんじゃねえ。代われるもんなら代わってやりてえぐらいだ」

「カァ〜〜ッ⁉︎ そいつは嫌味ですか⁉︎ 女子にモテないトリオの中で自分だけがぶっ飛んだアドバンテージを持ってるからって、イイ気になってんのか⁉︎」

「なってねえし、トリオも結成してねえ」

「じゃあ、いま結成だ」

「やむなし」

「待って。なんで僕もその許容しがたいトリオに入れられてるの」


 白熱する嶋野は止められない。


「チクショウ。ただの安っぽい幼馴染の関係ならまだしも、話を聞けばギャルゲーの幼馴染みたいなガチの関係じゃねぇか。うらやまけしからん! なんでこんな中途半端にグレたヤンキーなんかに俺たちのアイドルの幼馴染なんて大役が務まってんだよ。こんな下品なチンピラゴリラによぉ……っ!」

「テメーはいちいち俺を貶さないと息できねえのか」

「こうなりゃ全国のかさね姫ファンを代表して、この嶋野克平、たとえ刺し違えてでも、お前という存在をこの世から抹消してやる! お覚悟ォォォ──すまっしゅ⁉︎」


 いきなり飛びかかってきた嶋野の顔面に向けて、至って冷静に拳骨を叩き込む。スポンジにめり込むようにパンチが直撃した嶋野は呆気なくKOされた。


「グーはダメじゃん。グーはマジじゃん」

「防衛本能だろ。無罪だ。無罪。ウホウホ」

「どっちもどっちかな。あっ。信乃、見てよ。この人、中々のスタイルじゃない?」

巨乳ボインか」

巨乳巨尻ボインボインだね」


 雑誌のページをめくる一ノ瀬と教室の床に倒れ伏した嶋野。俺はからになった牛乳パックを握り潰して、差し出された雑誌を横から覗き込んだ。

 普段のの日常はこんな感じ。

 一般的に褒められた生活ではないだろうが、これでもそこそこ気に入っているのだ。


 だから、ここから先は非日常である。

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