〈一〉

 大日女おおひめ暈音かさねは小悪魔系天才美少女である。


 少なくとも、彼女の幼馴染という役割を十年間ほど、否応なく務める俺はそう表現せざるを得なかった。


 彼女は俗に言う、アイドル的な存在であった。


 というか、ほぼアイドルだ。


 絶世の美女たる可憐な容貌は如何いかなる花にも比喩できない。彼女がこぼす天使のような微笑みは疫病すら浄化し、極悪人は感涙あふれて出家の道を歩み始める。そんな頭が痛くなるデマがまことしやかに囁かれるほど、世間は大日女暈音という少女をいたく溺愛していた。それはもう呆れるほどにである。


 確かに顔は良いだろう。至高の芸術品のようだ。彼女の圧倒的な美貌に勝るものを俺は未だかつて見たことがない。容姿に関するそのような事実は、客観的にも認めなければならない。

 だが、雑誌の取材やテレビ番組での出演の際に、謙虚な姿勢や穏やかな性格を、聖人のそれであると喝采するのは大いに間違いだ。


 実際のアイツはそんなんじゃない。みんな知らないだけなのだ。本当の彼女を。


 彼女が成し遂げた偉業の数々も、世間から絶え間ない脚光を浴びる大きな要因の一つと言えるだろう。

 多岐に渡る才覚は、大日女暈音というデタラメな人物像を語るに必須と言える。ファッションモデル、女優業、歌手活動。絵に描いたような超人である。加えて、本業の退としても優秀な成績を残しているらしい。詳しくは知らないが。

 何をやらせても一流の実力を見せつける大日女暈音は、正真正銘〝天才〟と呼ぶに相応しかった。おまけにあの見た目である。天は二物を与えずと言うが、彼女だけは神さまに賄賂でも握らせたのかと疑えるほどに別格だった。


 どのような仕事でもそつなく完璧にこなし、如何なる場所でも衆目に笑顔を絶やさず振りまく、神に愛された天使のような天才美少女。

 それが大日女暈音に対する世論の大まかな評価であり、外聞であり、覆ることのない周知の事実である。


 だからこそ、俺は否定せねばならない。そんな輝かしいだけの偶像はどこにも存在しないと。


 実際の彼女はとにかくワガママだ。

 天使と呼べる要素は皆無と言ってもいい。すぐに拗ねるし、駄々を捏ねる。何かをやらかしたときは決まって悪知恵が働いて、本人だけは被害を華麗に回避する。他人を振り回すだけ振り回して、満足そうにほくそ笑んでいるのが大日女暈音の本性だ。過去の横暴を数え始めたら枚挙にいとまがないほどに、俺は彼女に弄ばれてきた。

 なのに、大日女暈音の評価は全くと言っていいほどに下がらず、被害者筆頭であるはずの俺だけがやれ「悪ガキ」やれ「問題児」果てには「拳が母国語」「ジャングルで育った男」「宇宙人より対話が難しい」などと散々なレッテルを貼られる羽目になった。彼女に「チンピラゴリラくん」とこっそりと囁かれた際は、お返しに耳元でドラミングしてやろうかと思った。


 彼女の機嫌は秋の空模様より激しく移ろう。顔色を窺って対処しようにも、いつ如何なる時だろうと笑顔を保つ彼女の心境など汲み取れるはずもなく、後手に回るのが常だ。

 他の女子と何気なく会話をしているだけで、何の理不尽か、見えないところで足の脛を蹴ってくる。特に理由もなく遊びに出かけると、翌日なぜ誘わなかったのだとねちねち問い詰められる。

 思い通りにいかない時は、ふわふわとした頭をぐりぐりと押しつけて、無言の抗議に小一時間付き合わされることもある。やがて、服の裾を掴んできたと思ったら、そのまま微動だにせず、真っ白な頬を小さく膨らませる。この状態に一度陥ると、彼女が自分の主張を曲げる可能性はほぼゼロになる。


 当時の俺はそうやって、大日女暈音のワガママに付き合わざるを得なくなって、何かと面倒事に巻き込まれてしまい、挙句は暴力沙汰まで発展してしまう。終わってみれば、彼女一人だけが嬉しそうに笑っているのだからたまったもんじゃない。


 俺は知っている。俺だけが知っている。


 大日女暈音はだ。


 あれは決して天使のようにありがたい存在などではない。悪魔である。邪悪と表現するには些か悪意に乏しい気がするが、天使とたとえるには節操とか思いやりとか、とくに俺に対する善意とかが決定的に欠けている。あんなんが天使であってたまるか。もっと聖書読め。俺は読んだことないけど。

 とにかく、あれはもっと人間的なのだ。しかも、他人(主に俺)を陥れることに長けた卑しい性格の顔だけが良い女だ。だからこそ、精一杯の嫌味を込めた上で大日女暈音を小悪魔と形容した。その旨を本人へ告げたら鼻で笑われたこともあるが、それでも撤回する気は一切ない。


 小悪魔系天才美少女。

 それが俺にとっての大日女暈音という幼馴染のすべてである。


 現在いまとなっては、お互い住む場所も、生きる世界も違うため、久しく顔を合わせていない。電波に乗せられてきたテレビの映像や有名雑誌などのメディア媒体を通して、一方的に大日女暈音の存在を身近に感じてしまう鬱蒼な毎日を過ごしているが、彼女からすれば、ごく普通の高校生の域に収まっている幼馴染の腑抜けた顔など、とうの昔に忘れているに違いない。

 彼女と過ごしたのは小学校までの話。それも卒業する直前で、彼女の方が家の事情で東京へせっせと引っ越してしまったのだから、幼少期の記憶など薄れているはずだ。

 平凡な幼馴染の存在など、どうでもいいと感じるほどには。


 そう高を括っていたのだが──。


『明日、そっちに帰ることになったから泊めてね』

「お断りしま」

『泊めてね』


 受話器から有無を言わさぬ鋭い声色が俺の言葉を封じた。


「ヒトの話を遮るんじゃねえよ」

『聞くに値しない口弁は時間の無駄だよ?』


 相変わらずの毒舌に、受話器を握る手が震えた。

 この小悪魔め。威圧だけでなんでもかんでも押し通せると思い込んでいるのだろう。それが許されたのは、鼻水を垂らしチ〇コで爆笑していた小学生時代までの話である。今は当然違う。鼻水は垂れていないし、チ〇コでもそんなに笑わない。

 ゴホン、と大袈裟に咳払いして、負けじと口唇を動かす。


「今さ、ウチに親いねえんだよ。仕事で九州とか行ってんだ。帰ってくるのは三週間ぐらい先でよ。なんかわりイな」

『うん。知ってる。だから泊めて』


 こいつ「だから」の使い方間違ってんじゃねえの?


 成立しない会話に唖然としてしまって、思わず天を仰いでいると、通話の相手である大日女暈音が華やかな声で淡々と述べた。


『お母さまの方には先に事情を説明して、ちゃんとご了承を頂いているから大丈夫だよ。いきなりでゴメンね』

「なーるほど。それを先に言えっての──って、だからなんでウチなんだよ。田舎といえど、ホテルとか民宿とかいっぱいあるだろ。探せよ。探す努力をおこたるなよ」

『んー。面白くないから却下』


 どうやら、彼女は面白さという曖昧すぎるステータスの存否で自分が宿泊する施設を決めているらしい。まったくもって愉快な幼馴染である。ハハハッ、何も面白くねえよクソが。


「俺の家も面白さに欠けるだろ」

『信乃がいるから面白いんだよ』


 微塵も嬉しくない評価を頂いた。ただし、これを勘違いしてはいけない。彼女の口にする「面白い」とは、他人があたふたしている滑稽な姿を高みから見下ろして、けらけらと悦に浸っているだけに過ぎない。

 つまり、俺は檻の中で飼育される見世物小屋の猛獣と同類である。ふざけんな。お断りだ、お断り。


「他を当たれ、芸能人」

『芸能活動は別にやりたくてやってるわけじゃないから、そんな風に呼ばれるのはちょっと不服かな』

「もう無理だろ」


 視線を投げた先にはテレビがある。電話が鳴る直前までは、座布団に肘をのせて、ポテチ片手にお笑いの特番を鑑賞していたため、電源は付けっぱなしであった。

 今は番組が終わって、スポンサーのCMが流れている。新しく発売される炭酸飲料の広報である。大手企業が作りそうなとりわけ珍しくもない内容だ。

 しかし、出演者が問題であった。

 夏季を彷彿とさせる、薄手のワンピースに袖を通した可憐な白髪の美少女が、砂浜を歩いている。カメラは主演の少女を画角に収めるように追跡する。白い砂浜と青い海。瓶の口から滴る炭酸の泡。小柄の少女はぐっと青空を仰ぐようにそれを嚥下する。

 豪快な飲み方に反して、目を疑うほどの美貌は決して損なわれておらず、何をするにしても気品という言葉が付きまとう少女は、妖艶と清涼が同伴する微笑を画面テレビの向こう側に見せつけた。


 〝この夏、きみとの距離をゼロにする。ゼロカロリーのサイダー。新発売〟


 無性に腹立つ台詞を吐いてCMは終わった。


『炭酸あんまり好きじゃないんだけどね』


 テレビの音があちらにも漏れていたらしい。リモコンを手に取って、惜しむことなく画面を黒に変えた。


「どこのチャンネルでも、テメーのツラを拝まにゃならねえの、腹立だしいったらありゃしねえ。俺はどこにクレーム入れりゃあいいんだ」

『ふふふ。嬉しいでしょう』


 はっはっはっ、面白いことを言う幼馴染だな。ぶっとばすぞ。


『今度、信乃が大好きな『ぷっつんプリン』のCMに起用されることになったから楽しみにしててね』

「ふざけんな。テメーこの前『うんめぇ牛乳』の宣伝してたばっかりじゃねえか。パッケージにまでしゃしゃり出やがってよお。おかげで飲みづれえ」

『売上アレで結構伸びたらしいよ』

「俺の好感度はがっくり落ちたよ」


 買うけど。飲むけど。


「で、今度は『ぷっつんプリン』だと? テメーは俺のささやかな安らぎすら奪っていくのか。悪魔でももうちょい慎み深いぞ」

『あはは』

「なにわろとんねん」

『ごめんごめん。どうせなら、信乃の好きなもの全部に、私の写真を印刷させてみようかなって』

「コイツを法で裁けないの司法の敗北だろ……」

『あっ、牛乳で思い出した。晩御飯は私が作ろうと思うんだけど、何か食べたい料理のリクエストはある? 商店街のスーパーって何時に閉まるんだっけ。そこそこ早かった気がする。そうだ。駅まで迎えに来てよ。そのまま一緒に食材の買い出しに行こうよ』

「……もうなんでもいい。好きにしてくれ」


 降参と言わんばかりの心情である。

 小悪魔系天才美少女な幼馴染の突拍子もない行動に反旗するすべなど、はなから俺には無かったのだ。諦めの境地である。もうどうにでもなれ。

 向かうところ敵なしを地で行く完璧な幼馴染に、凡人の高校生如きでは太刀打ちなど当然できず、常日頃から圧倒されるしかない。ああ、なんか昔を思い出してきた。苦いメモリーがフラッシュバックしそう。今日は枕を涙で濡らすぜ。


『じゃあ、そういうことで。到着は夕方の五時半ぐらいになるかな。ちょっと楽しみになってきたかも』


 俺の憂鬱な心境を汲むことなく、電話越しでもわかるぐらいに彼女は上機嫌であった。今にも鼻唄を口ずさみそうなぐらい声質が跳ねている。よくよく耳を澄ませば、リズム良く足を踏み鳴らす音も聞こえる。もしかしたら、受話器の向こう側でステップでも踏んでいるのかもしれない。新手の煽りか?

 里帰りって、そんなに楽しいものだろうか。生まれ育った田舎町で骨を埋めるつもりである俺には理解できない感情だった。


「へいへい。そうですか。そりゃあ良かった。だったら、今度電話かける時はもっとマシな時間にしろよ。いま何時だと思ってんだ。そんで俺の出席日数がどれだけ足りてねえと思ってんだ」

『夜の十一時過ぎ。ダメだよ。夜更かしばっかりしちゃ。朝起きられなくなるよ。どうせいつも寝坊して遅刻してるんでしょ』

「電話かけてきたやつが言うセリフじゃねえな」


 現時刻は真夜中である。そろそろ時計の針が真上で重なる頃だろう。健全な青少年ならとっくに布団に包まれている時間帯だ。ちなみに俺は不健全な青少年なので普通に起きている。


『ちょっと祓魔庁から呼び出しがあってね。バタバタしてたら遅くなっちゃったの』

「はあん」

『どうしよかな、信乃もう寝ちゃってるかな、って、一応悩んではみたけど、信乃は悪い子だから起きてるっていう結論は揺るがなかったよ』

「いや、揺るげよ。確信を持つなよ」


 日々の倦怠な疲労をまったく感じさせない愛らしい笑声が、受話器から聴こえてきた。

 幼馴染が多忙を極めていることは容易に想像できる。同い年とは考えられないほど、今の彼女は色んな業界に引っ張りだこである。こうして、電話をかけてきたことも実に三年ぶりなのだ。彼女が引っ越して間もない頃は毎日のように用件のない電話のコールが鳴り響いていたものだが、それはもう昔の話だ。

 現在いまは生きる世界が違う。華々しい舞台で輝く彼女と平凡を絵に描いたような俺では釣り合わない。自然と距離も開いていくのが常だ。


 だからこそ、俺はこれから幼馴染の希望に満ちた人生における有象無象の過去として、栄光の道に転がる砂利の一部として、早々に消えていくべきなのだろう。やがて、大日女暈音の記憶から次第に忘れ去られ、風化する時の一端となり、顔も名も思い出すらも彼女は思い出せなくなって、俺たちの縁は事切れる。

 それでいい。

 俺一人でも覚えていたら、それでいいんだ──と、楽観的に考えていたが、世の中はそう上手くいかないらしい。


 コイツ、俺のことばっちり覚えてやがる。


『とにかく、明日はお願いするね。ちゃんと迎えに来てよ。忘れないでね。信乃は頭の用量がヒヨコと同じなんだから。来なかったら、私寂しくて泣いちゃうかも』

「うっせえな。誰がトリ頭だゴラ。ちゃんと迎えに行ってやっから、はよ寝ろ」

『信乃もね』


 お節介な幼馴染である。まあ、残念ながら、俺はこれから深夜のコンビニで、今朝買い損ねた漫画雑誌を読みに行かねばならない。ついでにサラダチキンと胡瓜の惣菜も購入しておこう。夏の夜風は気持ちのいいものだ。原チャリは使わず徒歩で行こうか。

 などと考えているので、今日も夜更かしコースである。息子の蛮行を咎める両親が居ない稀有な期間だ。ギリギリまで存分に楽しませてもらおうという腹づもりであった。口には決して出さないが。


『どうせ「やかましい親がいねえ今、俺ァ自由なスクールライフを堪能してやるぜ!」とか思ってるんでしょ?』

「エスパーかよ」

『退魔師だよ』


 そういうところを指摘したのではない。あとモノマネすんな。微妙に似てて腹立つ。


『それじゃあ、おやすみ。信乃、また明日ね』


 そう言ってから、しばらくしても通話を切らないあたり、返事を律儀に待っているのだろう。そういうところは昔と何も変わらない。

 俺は後ろ髪を掻きながら、ぶっきらぼうに言った。


「また明日な。おやすみ、暈音」


 なぜだか背中がむず痒くなって、恥ずかしさが込み上げてきたので、すぐに受話器を置いた。

 今頃、小悪魔系天才美少女の幼馴染が俺の慌てっぷりをくすくす笑っているのではないかと想像すると素直に悔しかった。彼女に対する劣等感などという大層なものは持ち合わせていないが、男としてのプライドはミジンコのクソ程度には残っている。

 明日は見返してやろう。幼馴染の高い鼻をへし折って、ぎゃふんと言わせてやる。

 ぎゃふん、と。


「無理だろうな」



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