第3話 お手伝いさん

 俺は今50代だけど、幼い頃、実家でお手伝いさんを雇っていた時期があった。親が清掃会社を経営していたから、家で雇ってるお手伝いさんも会社の従業員にして、利益を少なく見せようとしていたんじゃないかと思う。自営業ってこういうところがある。会社によっては、家で使うものや、食材までも、経費に入れたりしてる所があったりする。税務調査で何て言われるかわからないけど。

 

 うちは車が会社名義だったみたいだ。それで、頻繁に高級車を乗り換えていたから、周囲から羨ましがられた。もちろん国産車。田舎だし外車は見たことがなかった。


 とりあえず、当時でも、お手伝いさんがいる家ってやっぱり珍しかった。うちは庭も広かったし、近所から、うちは金持ちだと思われていただろう。

 でも、お手伝いさんは60くらいのおばさん一人だけで、しかも通いだった。その人は、結婚して旦那さんもいるし、成人した子供が2人いる人だった。元々はうちの会社の清掃員の仕事に応募したけど、料理が上手くてお手伝いさんに回されたみたいだ。前は旅館かなんかで調理の手伝いをやってたとか。その人が料理がうまいかは微妙だった。品数が多くて、ぱっと見豪華だけど、味はあまりおいしくなかった記憶がある。母もあまりおいしくないと言っていた。

 それから、その人は料理のほかに、家の掃除。洗濯もやってくれていた。これも微妙だった・・・。他人にパンツを洗われたくなかった。

 

 お手伝いさんの他には、庭の手入れとか、車の送迎をするおじさんが1人いた。この人は、清掃会社の仕事もしていたようだ。犬の散歩もしてくれてた。庭に4匹くらい飼っていた時があって、2匹づつ散歩してた記憶がある。


 じゃあ、母親は何をしてたのかと思うかもしれないけど、会社の事務を手伝ってて、ちゃんと仕事をしてた。決して有閑マダムって感じじゃなかった。本当に忙しかったんだろう。それに、家を空けていると不用心だから、誰かにいて欲しいと言うのがあったと思う。お手伝いさんは週6で来ていて、日曜は休みだった。


 俺はお手伝いさんに懐いていたかというとそんな感じじゃなくて、家の中に他人がいる・・・という緊張感が常にあった。その証拠に、兄も俺も『君づけ』で呼ばれていた。お坊ちゃまじゃない。うちは決して、世間から思われているほど裕福じゃなかった。


 大正時代の小説を読んでいると、貧乏な独身男がおばあさんの召使と2人で住んでいるというのがある。昔は仕事があまりないから、そういう風に他人の家で住み込みで働いている人がけっこういたのだろう。俺もそういうのをやりたいと思うが、今は各人、家を持っているからやらないだろう。それにそのおばあさんだって、実際は60歳くらいなのかもしれない。


 俺はお手伝いさんを頼むほど余裕はないが、毎年、ハウスキーピングを頼んでる。

 キッチン周り、エアコン、バスルームの清掃だ。

 これを年1回やってると、普段の掃除がかなり楽だ。


 あとは、草むしりも頼んでる。

 けっこう利用している方だと思うが、今まで若い女の人が来たことは一度もない。大体、おばさんか男性が来る。若い女性は家政婦より楽な仕事がたくさんあるだろうと思う。


***


 俺の同僚でお手伝いさんを雇っていた人がいた。

 Aさん。

 その人は俺と同じような感じで、独身の一人暮らし。40代。渋谷区にマンションを買って住んでいた。はっきり言って金持ちだ。


 忙しくて掃除ができないから、週1回平日に台所、トイレ、風呂の掃除、洗濯、Yシャツのアイロンかけ。さらに冷蔵庫に入っている食材で、簡単なおかずも作ってもらう。


 大手の家事代行サービスを利用していて、鍵は預けていたそうだ。

 俺だったらやりたくないけど、彼は口コミを信じていて、危ないことはないと思ったそうだ。

 

 最初は日曜日に来てもらって家事をやってもらった。その時は60くらいの女の人で、料理がうまくて、感じがよかったそうだ。それからは、平日留守の時に頼んでた。そうでないと、土日に家でゆっくりできない。だから、普段どんな人が来ているかは知らなかった。Aさんは、こんな生活を1年も続けていた。月5万円ちょっとの出費。それでも、家事から解放されて、Aさんは満足していた。


 ある日のこと。Aさんは人間ドックを受けて、半日で家に帰って来たことがあった。


 すると、玄関に女物のパンプスが脱いである。20代くらいの人が履く靴みたいだった。

 Aさんには彼女はいないし、誰かに合鍵を渡したこともなかったそうだ。

 おかしいなと思って部屋に入って行くと、20代後半くらいのきれいな女の人がリビングに座って、スマホをいじっていた。

 ハウスキーピングの人かと思ったが、エプロンなどをつけていない。カバンもブランド物で、掃除のバイトに来るような格好ではなかった。


「どちらさまですか?」

 Aさんはあっけに取られて尋ねた。

「あ、家事代行サービスから来ました」

 その女の人はしれっと言ったそうだ。

「今日は頼んでないんじゃ?」

「え、そうでしたっけ?すみません。曜日間違えちゃって・・・」

 と、言って慌てて出て行こうとした。

 すごくきれいな人だったから、Aさんはちょっと引き留めたくなった。

 ロングのストレートヘアで、顔立ちがはっきりしていて、ハーフのような美人だった。

「お名前は?今度、指名したくなるかもしれないから・・・」

「あ、私、星野です」

「星野さんね。下のお名前は?」

「ルイです」

「星野ルイさんね。土日は来れますか?」

「はい。日によってですが・・・」

「あ、そうですか。料理は得意?」

「大体できます。事前にこういうのが食べたいっておっしゃっていただけたら・・・」

「じゃあ、それもリクエストしますね」


 Aさんはすっかりその気になって、その人が帰ったら、すぐに家事代行サービスに電話しようと思った。土日家にいる時に来てもらって、会話したり、一緒に料理を作ったりしてみたかった。


「君、家は近いの?」

「30分くらいです・・・」

「あ、そう・・・交通費は出るんだっけ?」

「はい。1回1,000円までは」

 そうやって、話している間も、Aさんは星野さんの美貌にすっかり見とれていた。

「じゃあ。そろそろ失礼します」

 笑顔で軽く会釈すると立ち上がった。

 背が高い・・・170くらいありそうだ。

 Aさんと同じくらいだった。

 着ている服もセンスが良くて、上は白っぽいブラウスで、下はパンツスーツのような感じだった。まるでモデルみたいだった。

 歩いた後もふんわりと香水の匂いがした。


 そして、Aさんは女性が出て行って15分後には、コールセンターに電話を掛けていた。

「今日、うちに来ていた星野さんっていう方を土日にリクエストしたいんですが・・・」

「本日はご予約入っていませんが・・・」

「そうですが、間違ってきたと言っていて。星野ルイさんていう若い女性で・・・」

「ただいまお調べいたしますので、少々お待ちください・・・」

 5分くらい待たされた。変なことを言ったかなとAさんは心配になった。相手は若い女の人だし、一人暮らしの男の所には派遣しないのかもしれない・・・。美人だったから、また会いたいなぁ・・・。Aさんはどうしてもその人に会いたくなった。


「お待たせして申し訳ございません。お調べしましたが、弊社にはそのようなスタッフは在籍しておりません」

「いえ・・・でも」

「同業他社様ではございませんでしょうか・・・」

「いいえ・・・御社以外に頼んだことはありません」

「弊社のスタッフではございませんし、ご予約いただいた日以外に伺うことは、基本的にはございませんので・・・」

 コールセンターの女性も困ったように言った。

「じゃあ・・・あの人は・・・」

 Aさんは幻覚でも見たのかと怖くなった。

「推測ですが、合鍵を持たれている方ではと」

「いいえ。合鍵は誰も持っていないんです・・・」

 Aさんは、どうしようかと逡巡しながら話し続けた。

「推測ですが、不動産の管理会社に人ですとか・・・不法侵入とか」

「ああ・・・なるほど」

 

 Aさんは電話を切ってから、誰かが自分の部屋の合鍵を持っていると思うと怖くなった。そうしていると、誰かに見られている気がした・・・。

 

*** 


 Aさんはすぐに110番通報した。

 

「何か取られたものは?」

 警察の人がAさんに尋ねた。若い警官で、さも「大変でしたね」という表情をしていた。所詮は他人事だ。

「まだ見てないからわかりません・・・。あまり触らない方がいいのかと思ったので。でも、貴重品は金庫に隠してあるので見てみます・・・」


 Aさんはクローゼットの中の金庫を開けてみたが、なくなった物はなさそうだった。金庫に入っていたのは、実印とか証書なんかで換金性の高い物はなかった。もともとAさんは、時計やブランド品などには興味がなく、取られて困るようなものはなかったそうだ。家に現金はないし、クレジットカードなどは、常に持ち歩いていたからだ。通帳なんかもウェブに切り替えていたから、持っていなかった。


「合鍵をハウスキーピングの会社に預けてます・・・。他に合鍵を持っている人はいないし・・・」

 Aさんは警察に自ら言った。

「家に帰った時は、鍵は閉まっていたんですか?」

「はい」


 Aさんが後から知ったのは、マンションの各階には防犯カメラがついていないということだった。カメラはマンションのエントランス、エレベーターの中と外階段くらいしかなかった。そのマンションは結構高かったのだが、最新のマンションではなかったので、意外とセキュリティに金がかかっていなかったのだ。そういう所もAさん宅が狙われた要因だったのだろう。


 Aさんは後日、エントランスで撮られた防犯カメラの映像を見せられた。

「Aさんが出勤した後くらいから、映像を見てみましたが・・・それらしい若い女が写っていました。朝10時くらいです・・・」

 防犯カメラの映像はカラーでかなり鮮明だった。

 そこにはあの背の高いきれいな女の人が写っていた。


「あ、この人です」

「そうですか・・・」

「うちに何をしに来ていたんでしょうね・・・来た時はスマホを弄っていたので・・・誰かと待ち合わせをしているとか・・・時間を潰している感じでした」

「ああ、そうですか・・・防犯カメラの付いてるところにわざわざねぇ・・・」

 警察は頭を捻っていた。

「このマンションにはどのくらい住まれてるんですか?」

「10年くらいです・・・」

「なぜ渋谷に?」

松濤しょうとうの住所に惹かれて」

「そうですよね・・・まあ、今マンション価格も上がってるし・・・買った時より高く売れるんでしょうね」

「多分・・・。まあ、売る気はないですけど、売ったら次どこに住むかって話になりますから・・・」

「で、ハウスクリーニングはどのくらい頼んでいたんですか?」

 Aさんは、定期利用プランに加入していることを説明した。


「仕事が忙しくて・・・普段帰りが遅いもんですから」

「帰りはいつも何時くらいですか?」

「大体夜10時とかですね」

「何かおかしい所はありませんでしたか?普段から人が入ったような感じがするとか・・・」

「いえ、そんなことは思ってもいませんでしたから・・・」

「電気代が上がったとか?」

「電気代は気にしてなくて・・・」

「冷蔵庫の物がなくなってるとか」

「あまり覚えてなくて・・・」

「お酒とか」

「う~ん。飲む時は外で飲んで来るんで・・・」

「じゃあ、寝に帰るだけという感じですか?」

「ええ。そうです」  

「もったいないですね。こんないい所なのに」

 Aさんは自分の金の使い方を否定されたようで、腹立たしかった。

「実はさっきの女なんですけど、実は平日ほとんど毎日来てましたよ・・・」

「え?」

「ハウスクリーニングのある時間帯以外・・・」

「えぇっ!?」

 Aさんは叫んだ。


***


 「あの女ですがほとんど毎日来てたんですよ・・・」

 警察が言った言葉が、Aさんの頭の中をグルグル回っていた。

 知らない間に、美女とルームシェアしていたとは・・・。

 直接言ってくれたらよかったのに・・・。Aさんは思った。


 今回は何も取られていないし、ただの住居侵入罪だけなら罪は軽いだろう。法定刑は懲役3年以下、10万円以下の罰金だけど、部屋に入っただけだと不起訴になることも多いのだとか。警察もこんな軽微な犯罪では、本腰で取り組むことはないだろうと思った。


 Aさんは好奇心もあり、あの美女に会ってみたかった。

 なぜ、Aさんのマンションにいたのか・・・。

 多分、渋谷によく来るんだろう・・・。超絶美人で、モデルの長谷川潤さんに似ていた・・・。下心もあった。見つけたら示談にする代わりに交際を申し込むつもりだった。

 

 Aさんは、モデル事務所を経営している知り合い(Bさん)の伝手を頼って、ハーフの美人モデルで、それらしい人がいないか探してもらった。そしたら、数日後に知り合いから、インスタのリンクが送られて来た。


「どうですか?この子?似てませんか?」

 

 Aさんが見てみると、本当に彼女だった・・・整った彫の深い顔だち、サラサラのストレートヘア。しかも、インスタ写真を見たら、Aさんのマンションが使用されていた。Aさんの部屋はインテリアコーディネーターに頼んで作ってもらったから、すごく御洒落だったのだ。ブラウンとダークブラウン、白の組み合わせでシック。家具はイタリアの高級ブランドのものだった。リビングだけで500万以上したとか・・・。Aさんが女受けを狙ったからだった。


 女は自分のインスタ素材としてAさんの部屋を拝借していたのだ。

 さらに、Aさんの部屋には簡易なジムのような設備もあった。

 高級なランニングマシン。バイク、懸垂マシン、ベンチ。そして大きな鏡。

 そうした設備も、自宅として紹介されていた。

 そして、大理石のキッチン。

 そこで料理を作ったり、同世代の友達も呼んでいた。

 さらに犬がいることもあった。


 Aさんは情報をくれた人を通じて、彼女にコンタクトを取った。そして、交際を申し込んだのだ・・・。電話番号も入手して、君が不法侵入したのは黙っててあげるから・・・つき合って、と言った。


 女は言われた通りにAさんのマンションにやって来た。

 そして、2人は一夜を共にしたとか。

 女はまったく嫌がっていなかったそうで、完全に合意があったということだった。

 Aさんは鍵は使ってていいよ、とOKを出した。


 Aさんと女は、翌朝、同時に家を出た。Aさんは仕事に。星野はそのまま警察に向かった。そして、Aさんから脅迫されて、肉体関係を強要されたと訴えた。Aさんは脅迫と強制性交の疑いで逮捕されてしまったのだ。


 その後、弁護士を介して示談になって、女に1,000万の和解金を支払ったそうだ。


 件の合鍵をどうやって作ったかというと、Aさんが昔交際していたクラブのホステスが鍵の番号を控えていて、それで合いカギを作り、星野ルイに渡したそうだ。何のために渡したのかは知らないが、「知り合いが住んでるから・・・使えば?」と、言ったそうだ。ホステスの方はそんなに長期間使用すると思っていなかったそうだ。


 もともと星野とホステスが組んでいたのかもしれない・・・。

 Aさんはホステスとまずい別れ方をして、恨みを買っていたそうだ。

 不法侵入だけなら大した罪にならない。

 それに、いくら不法侵入だからといって、暴力を振るったらAさんが罪に問われる。きっと、わざとトラブルが起きるように仕向けたんだ。


 結局、ハウスキーピングの会社と星野は何の関係もなかったが、Aさんは面倒でも土日以外は頼まないことにしたそうだ。

 俺も、やはり留守宅に人を呼ぶのは怖いと思う。

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