第20話 本編12 すごい女

12 すごい女


 孔雀石涼の顔がこわばり、両肩が上がっている。彼は開けたドアに背中を付けてそれを押し開けたまま、口を左右に開いていた。


 入ってきた年配の女の口が開いた。


「はあ、ただいまでしたあ。重かったわあ。こんなにいろいろと切れていたかしらねえ。そこのスーパーと向こうのスーパーと、あっちのドラッグストアまで行ってきたのよ。あと、遠くの百円ショップにも。ああ、重かったっと」


 女は四つの大きなレジ袋を阿鷹の机の上にドスンと置いた。そして、その場で中の品物を取り出しながら言い始めた。


「ええと、まず、みんなのお茶菓子でしょ。それから、お客さん用のお茶菓子。あと、お客さんじゃない人用のお茶菓子に、私のお茶菓子。ウフフ。それから、殺虫剤、殺鼠剤、殺……これ何て読むのかしら。まあ、いいわ。なんか殺すやつ。それと、ああ、これ大事ね。消毒液。今日日のしつじゅ……ひしゅじゅ……必需品。言えないのよねえ。舌噛んじゃった。ええと、手のやつと床のやつね。あとは、台所用洗剤でしょ、排水管用の洗剤、おトイレ掃除用の洗剤と換気扇用と、これも何用かしら。ああ、窓用ね。面白くないわね、普通。ええと、それと、これが芳香剤。ねえ、シャクちゃん、知ってた? 台所用の洗剤で下からピュッで出てくるのがあるのよ。ピュッて。面白そうだから、ちょっと多めに買ってみちゃった」


 雀藤は適当に頷くと、少し首を傾げた。女の口上は続く。


「はい、所長さん、ご依頼のカーペット専用のコロコロです。なんだか、コロコロにもいろいろと種類があるのねえ。この柄のところが伸びたり縮んだりするやつとか、途中でカチって折れ曲がるやつとか、そうそう、なんかパカって二つに分かれるやつもあったわよ。パカって。こんな感じ」


 頭の上で合わせた両手を左右に広げた女は、その手をまたレジ袋の中に入れると、中から少し大きめの座布団らしき物を取り出した。


「で、ミオちゃんには、これを買ってきちゃった。じゃーん、バイク用の座布団。そこの百円ショップで売ってたのよ。これ私の奢りだから」


「ど、どうも……」


 意味不明の座布団を受け取りながら大島美烏は困惑する。彼女の顔の前で女は手を何度も振った。


「あんた時々バイクに乗るでしょ。その時お尻が痛くなるんじゃないかなと思ってね。あんたも一応、若いんだから、お尻とかはちゃんとケアしとかないと駄目よ。油断したら、すーぐブツブツとかできちゃうんだから」


「まだって……。しかもセクハラだし……」


「シャクちゃんは足が短いからバイクには乗れないでしょ」


 女にそう言われた雀藤は頬を膨らませた顔を前に出す。


「免許もってないだけですう」


「あら、そう。あらそうだ、って言えばね、そこの商店街で・タイソンのポスターが……」


 鳩代に気づいた女は、発言を一時停止させて、キョトンとした顔で鳩代を見て指差した。


「この人、誰なの?」


 阿鷹が困惑顔で女に言った。


「今週入った新人さんですよ。前に話したじゃないですか」


 女はまた顔の前で手を一振りする。


「あら、ごめんなさいね。はじめまして、私、鳴子。雲雀口ひばりぐち鳴子なるこ。『ヒバちゃん』って呼んでちょうだい。もう少し親しくなったら『ナルちゃん』でもいいわよ。私ね、時々、こうしてここにお手伝いに来てるのよ。みんなが忙しい時に。忙しくない時は、お休み。それでね、今週、熱海に温泉旅行に行っていたの。うふ。ここが忙しくなかったから。しかも、昨日帰ってきたばかり。お友達の亀子ちゃんと行ってきたのよ。盛り上がったわあ。ああ、亀子ちゃんとはね、小さい頃からの友達なの。カメちゃん、ナルちゃんって呼び合う仲なのよ。カメちゃん、息子さんの就職がようやく決まってね。そのお祝いに、二人で温泉旅行に行こうって事になって、行ってきたのよ。ああ、その息子さんは来てないわよ。仕事あるから。温泉に行ったのは私たち二人だけ。息子さん、まだ内定中なのに、研修とか、なんとかワークとかいろいろあるらしいのよ。なんだか、今の若い子はたいへんねえ。あ、そうのと言えば、どっこい助六。その子まだ未婚らしいけど、よかったら紹介しましょうか」


 くるりと振り向いた雲雀口鳴子は、大島と雀藤をキョロキョロと見てから言った。


「ええと、まだ若い子だから、できるだけ若い方がいいでしょうから、今回は、ミオちゃんはお預けね」


「ぐっ」


 胸の前で拳を握りしめた大島を阿鷹が必死に宥める。


「ミオさん、抑えて、抑えて」


 大島に背を向けて雀藤の方を向いた雲雀口は、口の下に人差し指を当てて検討した。


「そうなると、シャクちゃんだけど、うーん……」


「な、なんですか」


 雀藤が困惑気味に尋ねる。


 雲雀口は雀藤の三色ニット帽の先端からスニーカーの先までジロジロと見回してから言った。


「スタイルに問題はないのよね。オッパイも、グー。ミオちゃんより大きいし。背はミオちゃんより低いけど。でも、何かしらねえ、女のとしてのオーラが出てないのかしらねえ。変ねえ、出るところはちゃんと出てるのに」


「す、すみません」


 突進しようとしている大島を押さえながら、阿鷹が雀藤に言う。


「そこ、謝るとこじゃ……」


 雲雀口は天井を見上げて一人思案した。


「ミオちゃんには、色気はあるのよ。一応ね。服装はダサいけど。でも、何故かしら、ちゃんとオーラは出てるのよね。なんで独りなのかしら。顔も美人よね。まあ、好みによるでしょうけど。私も老眼だからねえ。眼鏡変えたら意外と不細工だったりしてね。あはは。ま、それは化粧で何とかできるとして、それでものは、やっぱり、性格に問題があるからかしらねえ。そうは思わないだけど」


「くっ……、この……」


 雲雀口の背後で、横の椅子を持ち上げようとしている大島を阿鷹が必死に押さえている。


 雲雀口のマシンガン・トークが再開する。


「あ、そうそう、それでね。さっき見かけたマイク・タイソンのポスターにね、ここのところに、こう、ピーンで落書きがしてあったのよ。もう、おかしくて、おかしくて。笑いをこらえながら歩いていたら、今度は涙が出てきちゃったじゃない。そしたら、偶然通りかかった民生委員の尾木さんがね、心配して声をかけてくれて……」


「シャク、それ貸して」


 阿鷹を振り払った大島は、机の引き出しから雀型の人形を取り出していた雀藤に手を差し出した。


 雀藤がその人形を渡す。


 大島は、受け取った人形の背中のスイッチを押した。雀の両目が緑色に光る。上下に開いた嘴の間には、緑色の光線が絡まりながら走っていた。大島は充電残量を確認する。尾っぽは先まで光っている。フル充電だ。


 一方、雲雀口のマシンガンに弾切れなど無い。彼女のトークは続く。


「――そんなことないですよって言ってるのに、尾木さん聞いてくれないのよ。私も困っちゃってね。ここのところをチョンってしてやったのよ、チョンって。だってそうでしょ、ウチの職場にだって行き遅れた娘さんが二人もいるんじゃない。いくら売れ残りだからって、ほっといたら賞味期限が過ぎちゃうのよ。早いとこバーゲンセールにでも出だだだだだた!」


 のけ反って硬直したまま、頭を激しく前後に振った雲雀口鳴子は、その場に倒れた。脱力して白目を剥き、口を開けて舌を出している。


「誰が性格ブスじゃ。トゥン!」


 最後のトゥンに意味はない。


 大島美烏は雀型のスタンガンを雀藤に返した。


 阿鷹が呟く。


「誰もそこまでは……」


 足下に倒れている雲雀口を見下ろして、鳩代伶が言った。


「スタンガンかよ。そんなマスコットみたいな物に偽装するかね、普通」


 雀藤が答える。


「怖い道具ですから、せめて見た目はカワイイ方がいいですよね。名付けて『月に代わってお仕置きだべえ、スパロウスタンガン』です」


「なげえな」


「じゃあ『ビリビリすずめ』で」


「今変えるのか。適当かよ」


 雀藤の机の上に立っている可愛らしい雀の形をした必殺スタンガンを指差しながら鳩代がそう言うと、大島が黒髪をかき上げながら不機嫌そうに言った。


「この人、いつも喋り過ぎなのよ。タケル、行くわよ」


 大島は書類を片手に、スタスタと玄関ドアの方に歩いていく。阿鷹は慌てて、倒れている雲雀口に何度も心配そうな顔を向けながら、大島を追って出ていった。


 鳩代が振り向くと梟山も孔雀石もいない。


 鳩代が前を向くと、雀藤は『ビリビリすずめ』を弄りながら言っていた。


「おっかしいなあ。もう一台の方は、ちょうど良かったのに。これ、電圧が高過ぎるのかな。ああ、そっか。雲雀口さんが華奢だからか……。大柄な人なら、たぶん大丈夫よね。あ、ちょっと失礼……」


 彼女は人形を鳩代に近づけた。鳩代は両手を上げて胸を後ろに引きながら「おい、おい、おい!」と言って避けた後、雀藤に真顔を向けた。


「何するかな! 危ねえだろ!」


「そうですよね、やっぱり駄目ですよね」


 雀藤は肩をすぼめて、「ビリビリすずめ」を机の引出しに仕舞った。


 鳩代は真顔で声を荒げる。


「当たり前だろうが! 怖え奴だな」


 鵜飼所長が雲雀口を抱えて起こしながら言った。


「ほらほら、ユキくんも遊んでないで早く仕事に取り掛かりなさい。鳩代くんも。ほら、行った、行った」


 鵜飼はぐったりとしている雲雀口の両脇を背後から抱え上げて、応接室の方へと連れていく。


 雀藤友紀は大きめのトートバッグを肩にかけて事務所から出ていった。


 鳩代伶は頭を掻くと、少し転職を後悔したかのような顔をして溜め息を漏らし、雀藤を追って出ていった。




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